伝説の舞踏会
エレン・フォン・ラトクルスは地面に背中を預けていた。
夜空を見つめながら考察する。
明日はもう月明かりを見れないのではなかろうか、と。
肩口の傷は軽いものではなかったが、致命傷ではない。
学院に戻り、治癒師に見せれば一命は取り留めるだろうが、学院に戻ることはできないかもしれない。
暴君、タイラント、究極の生物兵器。
やつの強さは底抜けであった。
あらゆる生物の長所のみで構成されたチート生物を倒すことは今のエレンには出来ない。最強不敗の神剣使いである兄でも難しいであろう。
兄は聖剣と魔剣を使いこなし、抵抗を試みているが、それももって数分といったところだろうか。
巨人を殺すための鉄の塊も巨人をベースに造られた生命体の前では無意味だった。
このままでは確実に全滅であるが、エレンはなんとか兄だけでも救出できないか、考え始めていた。
懐に入れた虎の子の魔法石を握りしめる。
転移の魔法が付与された魔法石、これを使えば兄ひとりくらい戦場から離脱させることが出来るが、問題はどうやって使うか、だ。
兄の性格を考えれば、ひとり戦場を離脱するなど考えられない。逆に自分だけ残り王女とエレンの命を救おうとするだろう。
だからだまし討ちの形で兄を転移させるしかないと思ったが、なかなかその隙は訪れない。歯がゆく思っていると真横に気配を感じる。
先ほど打ち漏らした魔物か!? 傍らにある宝剣に手を伸ばそうとするが、それは叶わない。宝剣は先ほどの戦闘で飴細工のようにぐにゃりと曲がっていた。それにその影に敵意はなかった。
「アリアローゼ様……」
「エレンさん、大丈夫ですか」
「武運つたなく、このざまです。しかし、兄は救って見せます。どうか、協力願えませんか」
「兄上を強制離脱させる気ですね」
「さすがはお姫様、お見通しですか」
「考えることがわたくしと一緒だからです」
アリアはくすくすと笑うが、エレンは表情を変えなかった。
「同じ気持ちならば協力してください。兄上をどうか、私のもとへ」
「いえ、それはできません」
「どうしてです? リヒト兄上様を愛していないのですか?」
「愛しております。しかし、あなたには遠く及ばない。十数年掛けて育まれたあなたの愛には及びません。〝今は〟ですが」
意味深につぶやくと、アリアは己の作戦を披露する。
「エレンさん、リヒト様の第二の力を解放するには、〝愛の力〟が必要です。それはあなたの力が必要だと解釈しています」
「第二の力……」
「そうです。第二の力によってエッケザックスとティルフィングとグラムを同時に使いこなすことが出来るようになるはず。さすればリヒト様は無敵です」
「……たしかに」
ふたつの神剣だけでも最強不敗なのだ。そこに巨人殺しの力が加われば、タイラントですら打ち払えるだろう。
「しかし、どうやって」
「実は詳細は分かっていません」
あっさりと言うアリア。
「…………」
「あなたの愛をリヒト様に与えればなんとかなると思います。……ベーゼでもすればいいのかしら……」
「それでいいのならばいくらでも。でも、違うと思う。善悪の彼岸も魔術の一種なのだから〝トリガー〟が必要なはず。愛を端的な形で示さないと」
「うーん、この魔術書からしみ抜きをすればなんとかなるのでしょうが……」
首をひねりながら血の染みを見つめるアリア。エレンはきょとんとしてしまう。
「そんなことでいいのですか」
「え、どういう意味ですか」
「この血はただの血痕です。血は各種ミネラルで出来ています。そのミネラルと水分を分離し、分解すれば血は消せます」
なんですと、という表情をするアリア。
「初歩中の初歩ですよ。水魔法の応用です」
「わたくしは初歩の初歩も使えないので気がつきませんでした。エレンさん、お願いできますか」
「はい」
瀕死の重傷を負っているが、初歩魔法くらいならば唱えられる。水魔法で血を分離し、火と風で蒸発させると、白昼夢の砂漠の書から血痕が除去される。
そこに書かれていたのはアリアとエレンが望んだものであった。
ふたりでその文章を見入ると、うなずき合う。
「やはり愛が必要だったんですね」
「トリガーも」
「ベーゼというのも当たらずも遠からずでした」
魔術書に書かれていた〝愛〟のトリガー、それは、
愛するものの〝唾液〟を、
与えることだった。
唾液を効率的に与えるには、キスに勝るものはない。ベーゼをすればいいのだ。
高揚するエレンだが、今の自分の身体では兄に接近することは出来なかった。
キスをするなど絵に描いた餅なのだ。
「合法的に兄上とキスできるチャンスなのに」
口惜しい、と嘆くエレンであるが、アリアは嘆くことはなかった。
策があるのである。
そのことをエレンに説明する時間はない。
アリアは、
「ごめんなさい」
と言うと、エレンの唇に唇を合わせる。
「なっ!?」
同性に唇を奪われると思っていなかったエレンは慌てふためくが、アリアは毅然と言い放った。
「エレンさん、わたくしを信じてその魔法石を使用してください」
「アリアローゼ……様」
アリアがなにをやりたいかは分からない。しかし、アリアを手伝わなければいけないことだけは分かった。彼女を信じ、彼女にすべてを託すことが最善であると分かっていたエレンは迷うことなく魔法石を取り出す。
懐から取り出した魔法石に魔力を送り込み、発動させる。
転移の魔法込めた魔法石は光り輝き出すと、アリアを転移させる。
彼女が望んだ転移先は、リヒト・アイスヒルクの眼前だった。
タイラントとの交戦中に突如として現れた銀髪の姫に驚愕する。
最初、化け物との戦闘で傷ついた俺が見た幻想かと思った。
失血のあまりに見た幻覚かと思ったが違った。
俺が護るべき存在であるアリアローゼ・フォン・ラトクルスはたしかに質量を持ってそこにいた。
「お姫様! なにをしている」
「交戦中に申し訳ありません。リヒト様の力を開放するため、やってきました」
あうんの呼吸でこれを予期していたマリーが叫ぶ。
「一〇秒時間を稼ぎます! その間にぶちゅっとどうぞ」
「ありがとうございます」
アリアは忠実なメイドの感謝の念を送ると、アリアローゼは俺に近づき、彼の頬に手を伸ばした。そのまま彼の唇に己の唇を寄せる。
俺はその瞬間まで、いったいなにを、という表情を崩さなかった。
唇を重ねてさえ、俺は気がついていない。
主が唇を重ねる理由を。
キスと呼ばれる行為をする意味を。
当然か、俺は異性と接吻するのが初めてだった。
困惑しか感じないが、アリアの唇の温度を感じると現実感を覚える。
(……これがキス。王女の唇)
暖かいものが心を満たし、すべてが充足していくが、それ以上のものが身体の内から湧き上がる。
(こ、これは……)
湧き上がる不思議な力、善悪の彼岸を受けたときのことを思い出す。
(力が湧き出てくる。エッケザックスが共鳴している!?)
ざわめき始める巨人殺しの神剣。
それを見たマリーは叫ぶ。
「すごい。これがアリアローゼ様の力?」
アリアは「否」と答える。
「わたくしの力ではありません。これは兄を愛する妹の力、――兄妹愛の力」
「兄妹愛!?」
「兄を愛する妹の力。十数年のときをかけて育まれた愛の力。互いに互いを必要とする愛の力。愛の結晶である分泌液をわたくしの口腔を介して与える!」
アリアローゼがそう宣言すると、アリアの口腔にあった唾液が俺に移る。
エレンの愛がリヒトの中に注ぎ込まれると、化学反応が起きる。
俺の身体が輝き始めたのだ。
その光は俺の背中にあったエッケザックスの光と交わり、まばゆさを増す。やがて光の濃度が同一になると、完成する。いや、発動する。
善悪の彼岸の第二章――。
善悪の彼岸の第一章は、聖と魔の融合、通常ひとつしか装備できない神剣をふたつ装備できる能力。
第二章の能力は、人間の能力を凌駕するもの。みっつの神剣を同時に〝操る〟能力であった。
俺は〝本能〟によって聖剣ティルフィングと魔剣グラムを投げ放つと、エッケザックスを構える。
二刀流は数々の剣士により考案され、実戦でも使用されてきたが、三刀流はあらゆる剣豪が失敗してきた歴史がある。人間の腕がふたつである以上、三つ目の剣を使うことは不可能なのだ。
あるものは剣を口にくわえ、あるものは魔術的手法で腕を増やす。あるいはお手玉のようにみっつの剣を使い分けようとしたものもいたが、皆、大道芸の域を出なかった。
実戦で使用に耐える三刀流を使いこなすものは現れなかったのだ。
しかし、俺は違う。
みっつの神剣を同時に使いこなす。
右手と左手で大剣を振り上げると同時に、左右に神剣を浮遊させる。
神剣を使い魔のように操ることに成功したのだ。
俺は神剣をドローンのように従えると、別個に動かす。それぞれが意志を持つかのように動く神剣。ときには隼のように、ときには蜂鳥のように、ときには梟のような動きを見せる聖剣と魔剣。
神剣たちは高速で動き回りながらタイラントの肉を切り裂く。
この世界には漏斗と呼ばれる魔法があるが、それに似ているかもしれない。漏斗よりも遙かに素早く、強力であるが。
俺は離れた位置にある神剣をたしかな意志で動かしながら、タイラントの四肢を切り裂く。
右手と左手、右足と左足を切り落とす。
無論、その瞬間から再生していくが、それでもコアがあるのは身体の中心であると知っていた。今、そのコアを守る手足はない。そして俺の両手にあるのは強大な力を秘めた大剣だった。
俺は悠然と大剣を振り上げると、振り下ろし、暴君を滅する。
「巨人の心臓を穿つ一撃改」
先日覚えたばかりの必殺技に改良を加える。
かつて剣を教えてくれた伊達男の言葉を思い出す。
剣に完成形はない。
想像力がある限り発展していく。
俺の師は最強の剣士であったが、その弟子である自分もそうでありたいと思っていた。
だからどのように強力な一撃を放っても慢心することなく、改良を加えていくのだ。
その精神が俺を最強にする。
さらなる高みへ誘う。
巨人殺しの一撃改を放った瞬間、天地は鳴動し、大気が破裂する。
圧倒的な質量を伴った一撃は暴君と呼ばれた生命体を包み込み、無に還元する。
今度は心臓さえ残さない。
純粋に破壊エネルギーを浴びせると、哀れな生物兵器をこの世界から消滅させた。
その瞬間、俺の勝利が確定する。
エレンの生存も確定する。
アリアの未来も開ける。
さらにいえば化粧好きのメイドさんもスキンケアについて悩むことが出来るだろう。
勝利はあらゆる可能性を広げ、選択肢を増やすのだ。
俺は強大な敵に打ち勝ったことを喜びながら、気を失った。
魔力と身体を酷使しすぎたのだ。
その場で崩れ落ちる俺を抱きしめるは愛おしき人だった。
銀髪の少女は俺を抱きかかえると、
「お疲れ様です、リヒト様」
このような言葉をくれた。
聖女のような慈愛を称えた彼女の言葉はなによりもの褒美であった。
†
目覚めるとそこは診療所であった。
学院付属のもので治癒師が何人も常駐している。
白い衣服を着た美女の回復魔法は心地よかったが、目覚めると激痛が襲ってくる。どうやら骨が数本折れているようだ。
毒草のように臭い薬草もベタベタ張られており、最悪の目覚めであったが、生きているだけましであろうか。
そのように思ったが、妹のことを思い出す。
彼女はタイラントによって致命傷にも近い一撃を貰っていた。あるいは俺よりも重症かもしれない。そう思った俺は起き上がろうとするが、それは姫様にとって押さえられた。
「ご安心ください。王家専属の治癒師と薬師が治療に当たっています。傷は回復します」
しかし、それでも気が気ではない。
「言い方が悪かったかもしれません。王家のメンツに懸け、エレンさんを治療します。後遺症はもちろん、傷跡も残しません」
そのように言われてしまえば起き上がる気力もなくなる。
餅は餅屋、回復は治癒師、の格言に従う。
冷静さを取り戻した俺は姫様に礼を言う。
「ありがとう。妹を救ってくれて」
「それはこちらの言葉です。あなた方、兄妹の忠節はなによりも貴重なものです」
「姫様を盛り立てれば世の中がよくなると思えば、自然と力も入る」
「ありがとう」
その後、姫様はその後の経過を話す。
剣爛武闘祭デュオで優勝の政治的効果は絶大で、姫様親派離反は防げたらしい。それどころか暴君を倒した噂は瞬く間に国中に広がったという。
「バルムンク侯爵を恐れていたものたちも今回の件で考え方を変えつつあるようです」
「よかった。俺と妹の戦いは無駄ではなかったのだな」
「その通りです」
にこりと微笑むアリア。俺も嬉しくなり、笑みを漏らす。
ふたりの間になんともいえない空気が流れ始めるが、なんだか気恥ずかしくなってしまう。
(――そういえば俺はこの人とキスをしたのだよな)
唇に触れあのときの感触を思い出していると赤面してしまうが、それは王女も同じだったらしく、顔を真っ赤にしている。いたたまれなくなった王女は気を紛らわすためにチェストの上に置かれていた林檎を剥く。
アリアローゼは器用な少女だったのするすると剥いていくが、やはり心が乱れたのか、途中で指を切ってしまう。
俺は思わず彼女の手を取り、指をなめようとするが、その瞬間、メイドのマリーが入ってくる。
それに気がついた俺と姫様は距離を取るが、小賢しいメイドマリーは「ははーん」とにやつくと、「あとで出直しましょうか?」と言った。
俺と姫様は同時に、
「結構です」
「結構だ」
と言った。
はもってしまったので、その台詞はとても滑稽に聞こえた。
†
今回の戦いで殊勲者というものがあるとすれば、それは満場一致でエレン・フォン・エスタークであった。
彼女は単身、ロナーク男爵襲撃軍を駆逐し、姫様を守るという大功をあげた。
その後、究極生物兵器との戦いでも獅子奮迅の活躍をしたし、勝利の決め手となった『善悪の悲願 第二章』の〝覚醒〟も彼女なしには考えられなかった。
ひとつの功績で一階級昇進と考えれば、城持ち領主になってもおかしくない活躍なのだが、残念ながら俺は自分の城さえ持っていないのでなにも与えることは出来なかった。
それでもエレンをねぎらおうと毎日、病室に通う。
妹はそのつど喜び、飛び跳ねんばかりであるが、怪我人がそのようなことをすれば傷が開くので叱りつける。
その代わり伝家の短剣で林檎を切ってやる。
「うさぎさんにしてくださいまし」
とのことだったので要望に応える。
もしゃもしゃと兎のように林檎を食べる妹。
幼き頃、エスタークの城になっている林檎を剥き与えたことを思い出す。酸っぱい林檎であったが、とても旨かった。
そのように過去に思いをはせていると、妹もそのことに触れる。
「あの林檎はとても酸っぱかったですが、この世で一番の美味でした」
兄妹、考えることは同じのようだ。
「また、食べたいか?」
妹はゆっくり首を横に振る。
「いいえ、城に戻れば兄上と離ればなれにさせられてしまいます。ですのであの味は封印です」
「だな。冷静に考えればただの酸っぱい林檎だ」
「ですね。林檎パイにするにはいいのでしょうが」
「その林檎パイも王立学院のカフェのもののほうが旨いさ」
明日、治癒師に内緒でテイクアウトしてやる、というと妹は喜んだ。
妹は満面の笑みで、
「ありがとうございます」
と言ってくれた。
これでひとつ、妹の頑張りに報いたが、彼女の功績のご褒美にはまだ不足だ。もっと喜ぶことはないかと考え始めたが、無骨な俺にはなかなか思い浮かばなかった。
毎日のように妹の病室へ向かうが、それも終わりが見えてくる。
妹の退院の日が決まったのだ。
ならば彼女になにか出来ないか、と思っていると主であるアリアが助け船を出してくれた。
「わたくしは今、エレンさんが一番喜ぶことを知っております」
さすがは同じ女性、と褒め称え、教えを請うが、彼女は直接的な答えは教えてくれなかった。
放課後、俺の腕を引くと、馬車に押し込められる。
俺が連れて行かれたのは王都の目抜き通りにある小洒落た商店だった。
「サムスの愛の店」と書かれた不気味な看板が見える。
ムキムキの同性愛者サムスの仕立屋である。
その見た目と性格はともかく、仕立ての腕は超絶品で、王都の貴婦人はこぞってこの店で服を仕立てる。
紹介状のないものは三年待ちといわれる人気店であるが、御贔屓にしてお気に入りのアリアローゼを伴えば、その日のうちに服を仕立ててくれる。
いつものように尻を触られながら採寸を受ける。
「あら、肩周りが太くなっている」
「成長期だ」
「それだけでなく、激戦を勝ち抜いてきたんでしょう?」
「分かるのか?」
「分かるわよん。これでも人を見る目には自信があるのよ」
そう言うと、以後、軽口も叩かず黙々と仕事をする。
採寸を終えると弟子とともに作業場に籠もること小一時間、彼、いや、彼女は小洒落たタキシードを持って現れる。
「これ以上ないほど格好いいシルエットのタキシードを作ったわよん」
自画自賛しながらそれを俺に着せようとするが、断ると試着室に入る。
「もう、男なんだから気にしないでいいのに」
サムスとアリアが居る以上、それはできない。
特に主であるアリアの前で無粋な真似はしたくなかった。
いそいそと着替えること五分、用意されたワイシャツもしっかりとのり付けされており、決まっていた。
試着室から出ると漏れ出る感嘆の声。
サムスは「うほ」アリアは「まあ」マリーは「へえ」と驚く。
「馬子にも衣装と言うけど、リヒトにタキシードは最強ね」
とマリーは纏める。
「お褒めの言葉、恐縮だが、こんなものを着せてどうするつもりだ?」
「リヒト様写真集の撮影会をします」
真顔で言うアリア、ぎょっとしてしまうが、それは彼女の冗談らしい。アリアは普段、冗談を言わないので判別が難しい。
「冗談でございます。これからリヒト様にはとある場所に行って貰います」
アリアは俺の手を引き、サムスの仕立屋を去る。
ムキムキの同性愛者は大きく手を振り、「一発決めてくるのよ」と見送る。
馬車に揺られること一刻、先ほどと同じ道なのが奇異だった。
学院に戻るんですか?
アリアに問うが、なかなか答えを教えてくれない。
「まあ、すぐに分かるか」
そのように開き直ると、俺は学院に戻った。
いつもの学院であるが、馬車が横付けされたのは見慣れぬ建物であった。
「ここは?」
「ここは迎賓館でございます」
「そんなものもあったのか」
さすがは街規模の学院であるが、迎賓館でなにをさせられるのか、軽く緊張していると詳細を明かされる。
「はは、まだ気がつかないんだ。ていうか、学院のイベント表くらい見てなさい。掲示板に張り出されているでしょう」
「興味ない」
「それが運の尽きだったわね。知ってれば事前に逃げることも可能だったのに」
マリーがそのように言い放つと、周囲から歓声が聞こえる。
「おめでとう!」
「この前の試合、すごかったぞ」
「君たちは最高のデュオだ」
記憶が刺激される。
「……ああ、そうか。剣爛武闘祭デュオで優勝したものは後夜祭で踊らなければいけないんだったな」
「そういうことです」
「しかし、俺は人前で踊りを披露するのが苦手なんだ」
「知っています。しかし、これはご褒美です。わたくしとリヒト様のために命を懸けてくださったエレンさんへの。この国の未来のため、頑張ってくださったエレンさんへのはなむけです」
「……たしかに。林檎のパイひとつで済ませることはできないな」
そのように思った俺は、目立つ覚悟の上、踊りを披露することにした。妹と後夜祭のダンスを踊る為に。
馬車を降りると、迎賓館の入り口に向かう。
「今宵の主役はリヒト様にエレンさんですよ」
アリアローゼはそう言うと俺の背を押す。
すると迎賓館の大きな扉の前に立っていた黒髪の少女がにこりと微笑む。
妹もまた美しく着飾っていた。
真っ白なドレスを身に纏い、黒髪を結い上げていた。
その姿は控えめに言って美の女神の化身と言ってもいいだろう。
一瞬、我が妹であることを忘れてしまったが、すぐに血縁関係であることを思い出すと、愛しい家族の手を取る。
彼女の手の甲に唇を落とすと、このように言った。
「エレン、今日の君はひときわ美しい。僭越ながら俺と踊ってくれるか」
妹は、
「はい」
と短く返答するが、その言葉には万感の思いが籠もっているようだった。
兄に対する尊敬、
愛しい人に対する思慕、
異性に抱く恋慕、
家族を思う気持ち、
それらを統合し、一文字に纏めると、
「愛」
になるのだろう。
俺と妹はそれぞれに違う形の「愛」を胸に、剣爛武闘祭の後夜祭の会場に立った。俺たち兄妹が優雅に踊り始めると、会場は言い知れぬ高揚感に包まれる。
俺と妹の踊りは見事なもので、長い学院の歴史の中でも一番であると語り継がれることになった。




