覚醒 第二楽章
俺は走る。
ロナーク男爵家の山荘に向かう。
本来は一〇分で片を付けるはずであったが想定よりも遙かに遅れてしまった。
人造人間デュオの実力が図抜けていたためであるが、それは言い訳でしかない。
要はまだまだ俺の実力が足りていないのだ。
もっと精進せねば姫様を護ることが出来ない。
俺は背中にエッケザックスをくくりつけながら走った。
ロナーク男爵家の山荘に到着する。
予定より一時間遅れの到着であるが、剣戟の音が聞こえた。
つまり妹と王女はまだ無事ということである。
生きていると言うことであるが、戦場に到着した瞬間、言葉を失う。
妹の姿がぼろぼろだったのだ。
エスタークの宝剣が飴細工のように折れ、制服もズタボロだった。
戦場の申し子であるはずの妹をここまで追い詰めるとは一体、なにものか。
それを確認するが、そこにいたのは先ほど俺が倒したはずのアダムスだった。
「馬鹿な、先ほど心臓だけにしてやったはずなのに……」
もう回復したのか、そのように漏らすと、アダムスはこのように口にする。
「驚いているね、神剣使い」
アダムスと〝同じ顔〟をした少年はにこりと微笑む。
「……声が微妙に違うな」
「正解。僕は君が倒した個体とは別だよ」
「なるほど、究極生物兵器は二体じゃなかったというわけか」
「そういうこと。僕はアダムス〇〇六。アダムス式生物兵器のひとり」
「おまえみたいのが六体もいるのか」
やれやれと吐息を放つが、アダムスは「残念」という。
「僕たちを作り出すのは容易じゃない。アダムス式とイブリア式の生物兵器が一〇八体製造されたけど、無事、稼働したのは数体だよ」
「それはよかった。さすがに一〇八体もいたら負ける」
「だね。でも、三体でも同じだと思うよ」
そう言うと後方から心臓を持ったイブリアが現れる。
「潔く舞台から降りたと思ったが、俺の命を奪いたかったんだな」
「そういうこと。剣爛武闘祭は殺人が禁止だから」
「結局、剣爛武闘祭デュオは余興に過ぎないってことか」
「そうね。〝私たち〟も〝あなたも〟も本気を出せない」
「最後の一撃は、結構本気だったんだが」
「それでも心臓を残すという甘さがあった」
「殺したら負けだからよ」
「負けたほうが幸せだったわよ。――死ぬよりはまし」
そう言うとイブリアはアダムスの心臓を喰らう。
レバーでも頬張るかのようにむしゃむしゃと咀嚼すると、身体を一回り大きくさせる。達磨のように醜い体型になると、アダムス〇〇六もむんずと掴むと頭からぼりぼりと食べ始める。
その姿はえぐかったが、視線を外すわけにはいかない。
イブリアはアダムスを食べるたびに身体を肥大化させていった。
やがてちょっとした小屋くらいの大きさになるイブリア。
いや、もはやその名前は不適切だろう。
究極生命兵器、生物の頂点に君臨する暴君は大きな腕を振り上げ、振り下ろす。
腕が振り下ろされるよりも早く後方に飛躍すると、先ほどまで自分がいた場所に大きな穴が、いや、クレーターが出来ていた。
隕石が落ちたかのような一撃。挙動を見てから回避していたら自分もあの穴の一部となっていたことだろう。
タイラントは人語を話す。
「我はあらゆる生物の長所を持つ。この膂力は巨人の遺伝子由来」
そう言うと巨体に似合わない動きを見せ、後方に回り込む。
「この動きは大猿のもの」
ましらのような速度はたしかに猿に似ていた。
流れるような連続攻撃。
「この柔軟な筋肉は大蛸のもの」
あらゆる巨大生物の長所を持つ化け物、それがタイラントだった。
俺はやつの攻撃を避けながら、背中の剣で攻撃する。
エッケザックスの膂力ならばやつに対抗できると思ったのだが、それは甘い計算だった。
巨人殺しの巨人の力をもってしても、〝巨人を超えしもの〟を凌駕することは出来なかった。巨人に大猿、大蛸、巨竜にロック鳥などの遺伝子を合わせもつ化け物に対抗することは出来ない。
タイラントは巨竜の遺伝子を活用する。灰の中にある火袋からガスを吐き出し、それに火をともす。
灼熱が俺を包み込む。
とっさに防御壁を張るが、防御壁の中もあっという間に高温になる。
このままでは蒸しリヒトの出来上がりであったが、それを阻止したのは我が妹であった。
満身創痍であった妹が戦線に加わる。
炎を吐くタイラントに斬撃を加える。
最高の一撃であったが、無限の回復力を持つタイラントには無意味だった。
僅かに俺が炎から待避する時間を稼ぐことには成功するが。
炎から脱出した俺は妹に礼を言う。
「ありがたい、エレン」
「リヒト兄上様こそ助けに来てくださってありがとうございます」
「大切な妹と主を見捨てられるか」
「私が先で嬉しいです」
「おまえは無鉄砲だからな。姫様よりも先に飛び込むと思っていた」
「ですが、兄上様がやってくるまでお姫様を守り抜きました」
軽くアリアローゼを見る。彼女はこくりとうなずき、感謝の念を示す。
「ああ、そうだ。おまえはこの国の王女を、そして未来を護った。誰しも出来ることではない」
「ありがとうございます。兄上に褒められるのが一番嬉しゅうございます」
元気百倍、体力も回復しましたわ、と続けるが、空元気である。満身創痍の彼女は戦力として換算できない。なので下がるように伝えるが、妹は首を縦に振らなかった。
「この国の未来を護るよりもリヒト兄上様の力になりたいです。あの化け物を倒すお手伝いがしたいです」
「不要だ。剣爛武闘祭で優勝した。おまえは大手を振ってこの学院に通える」
「兄上が死ねばこの学院に通う意味もなくなる」
そう言うと妹は剣に焔を宿し、斬撃を加える。
炎の魔法剣はタイラントを傷つけるが、瞬時に回復する。
何度も見てきた光景だが、先ほどまでと違うのは回復するいとまを与えずに連撃を加えられることだった。俺は妹の意気込みに応えるため、回復途中のタイラントに強大な一撃を与える。
巨人殺しの巨人殺し、エッケザックスの一撃を加えたのだ。
イブリア〇〇六を一撃で葬り去った強大な一撃はタイラントにも有効だった。
肩口からざっくりと切り込みを入れられるタイラント、獣の咆哮のような悲鳴を上げる。
究極にして最強の生物であるが、「痛覚」はあるようだ。
数々の攻撃を受けてきたことを考えると哀れであった。
――哀れであったが、今の俺に彼らを哀れむ余裕はなかった。
あそこまで見事に切り裂いたにもかかわらず、タイラントは瞬時に傷を塞ぎ、反撃をしてくる。
エッケザックスの刀身の腹で斬撃を受けるが、刀身の上からでも飛んでもない衝撃がやってくる。
数十メートルほど吹き飛ばされるが、巨木に激突する寸前、妹が後方に回り込み、衝撃を吸収してくれた。
「巨木と背骨を折らずにすんだ」
妹に礼を言うが、返答はない。その前にタイラントの攻撃がやってきたからだ。
巨木よりも太い腕を振り回し、攻撃する。
技術や洗練さとは無縁の攻撃であったが、生物の頂点に小賢しい技など不要ということだろう。飛燕よりも早く、隼よりも鋭い一撃、避けるので精一杯であった。
俺と妹は防戦一方となる。攻撃を加えるいとまさえない。
このままでは負ける、そのように直感したが、俺はとあることに気がついていた。
後方で俺たちの戦いを見守るアリアの姿。
彼女に固有の武力はない。いつも俺の戦いを後方から督戦していた。
戦いのたびに自分の無力さを恥じ入り、情けなく思っている。いつかそのように言ったことが彼女だが、今日の彼女は違った。
俺の戦いを見守ることなく、マリーと本を読んでいた。
あまりにもふがいない俺の戦いぶりに呆れているのかな、聖剣のティルはそのように茶化すが違った。アリアに限ってそんなことは絶対にない。
俺は直感した。
彼女に変化が起こっていることを。
彼女がなにかしようとしていることを。
俺に『善悪の彼岸』を放った〝あのとき〟と同じオーラを纏っているのだ。
彼女はまた〝奇跡〟を起こす。
そう確信した俺は奇跡を起こす時間を稼ぐため、体内に残された魔力を解き放った。
王女の騎士であるリヒトとその妹のエレン、彼ら彼女らの強さは想像の上をいった。
ふたりで力を合わせれば傭兵団ひとつを壊滅できるほどであろう。
彼ら彼女らのような豪傑の助力を得られるのは誠に暁光なことであったが、彼らを見つめていると考えてしまうのだ。
アリアローゼ・フォン・ラトクルスに彼らのような英雄を従える資格はあるのだろうか?
彼らが忠節を果たす価値があるのだろうか。
答えは〝否〟である。
アリアに固有の武力はない。
幼き頃から鍛練を重ねているが、剣の実力はさっぱりだ。
魔力もない。
火・風・水・土、の基本元素もほとんど所有しておらず、魔素もほとんどない。
無属性魔法の素養はあるようだが、善悪の彼岸を発動しただけで、それ以降、自身にも他者にもなんら影響は与えていなかった。
相変わらず欠落姫、無能者として道を歩んでいたのだ。
そのことを歯がゆく思いながら、政治活動を行っていたが、その政治活動すら上手くいっているとはいえない。
自身の才覚のなさを痛感するばかりだ。
バルムンク侯爵には常に先手を打たれ、数少ない味方の信頼も勝ち取ることは出来なかった。
己のふがいなさをなじる気持ちしかないが、嘆いてばかりもいられなかった。
アリアは無能ではあるが、無力ではないと思っていた。
武力はない。政治的な才覚もない。
しかし、無為無策でその場にとどまるような愚かものではないのだ。
リヒトたちの後方から戦いを督戦しながらも、彼らに〝新たな力〟を与えるこことだけを考えていた。
戦場の一角で本を開いているメイドに語りかける。
「マリー、見つかった?」
高速で本をめくるマリー、その手は血で滲んでいたが、厭うことはない。
マリーがめくっているのは「白昼夢の砂漠」と呼ばれる古代の魔術師が書き記した書物であった。かつては存在しなかったと呼ばれる無属性魔法について語った書物である。
それ一冊で小貴族の館が買えるほど高価であるが、マリーは汚れることも気にせず読みあさる。
本来、マリーは小心者でそのような高価なものを汚すことなどできないが、今は火急のとき、同僚にして姫様の最愛の人物の命が掛かっていた。血で汚れるなどと呑気なことを言っている暇はない。
ただただ、急いでページをめくるだけだった。
マリーが高価な本を真っ赤に染め上げていると、途中でその手が止まる。
「……ありました! アリアローゼ様、このページです」
「このページですね。読み上げます」
アリアは善悪の彼岸二章と書かれたページを読み上げる。
「白昼夢の砂漠」は無属性魔法全般について書かれた魔術書である。究極の無属性魔法である善悪の彼岸についても触れられていた。
一章は読み飛ばす。すでに最初の善悪の彼岸は発動したのだ。読む必要はない。
アリアが知りたいのはその次の段階だった。
リヒトに無属性の力を渡し、聖なる神剣も、魔なる神剣も装備させることができるようになったが、善悪の彼岸の力はそれだけではないはずだ。
善悪の彼岸はリヒトの力をさらに解放できる。
彼に無限の可能性を与えることができる。
そのように確信しているアリアは目を高速に動かし、書かれた内容を読み上げる。
「善悪の彼岸の第一段階は術者の命を必要とする」
「たしかにそうでしたね。アリア様とマリーの命を半分ずつ捧げました。第二段階も命が必要なのかしら?」
「だとしたら今度はわたくしの命を多めに」
「駄目です。今度はマリーが大盛りつゆだくで」
「平行線をたどりそうな議論ですが、二段階目の開放には命は不要なようです」
ほっと胸をなで下ろすマリー。
「また命を半分取られたら美人薄命になっちゃうとこでした。それで二段階目に必要なものってなんなんですか?」
「愛です」
短く、だが的確に口にするアリア。
「愛ですか。これまた難しい注文ですね」
「はい。命を捧げるのには決意さえあれば可能ですが、愛というのは長年懸けて醸成するものですから」
「姫様とリヒトが抱いているのはたぶん、まだ〝恋〟だろうしなあ」
「…………」
沈黙してしまったのはその通りだと思ったからだ。
もはや隠す必要もないが、アリアはリヒトのことを好いていた。
彼を見ると心の臓の鼓動が早くなる。
彼の横顔は何時間だろうと見ていられる。
燃え上がるような律動を感じることもある。
しかし、それは一般的には恋と呼ばれるもの。恋と愛は別種なものであった。
アリアはそれを知った上で言葉を発する。
「巨人殺しの神剣の力はすさまじいです。しかし、それだけではタイラントには勝てない。あの暴君を上回るにはみっつの神剣の力が必要です」
「みっつ……」
「もしもみっつ同時に神剣を操ることができれば、リヒト様は暴君を上回る力を手に入れるでしょう」
「しかし、それには〝愛〟が必要」
「そうです」
「かぁー、なんてこと書いてくれてるのよ、この本は」
「そうですね。しかも、肝心なところが読み取れません」
「え、どういうことですか?」
マリーは「白昼夢の砂漠」をのぞき見る。
たしかにそのページの一角が判読不能になっていた。血で汚れていたのだ。
「は、はわわー!」
も、申し訳ありません、マリーは慌てて頭を下げるが、アリアは否定する。
「これはマリーの血ではありません。よく見て、古い血痕です」
「あ、ほんとだ」
「誰かが意図的に血痕を付着させたのでしょう」
「なんて意地悪」
「しかし、前後の文脈からなんとか察することは出来ます。リヒト様を覚醒させるには愛が必要。そしてその愛は彼のすぐそばにある」
アリアはそう断言すると、機会をうかがう。
今はタイラントの攻撃が激しすぎる。
リヒトに近づくことさえ出来ない。
リヒトを覚醒させるには〝愛〟が必要であるが、その愛を与えるには彼のそばに寄らなければならない。タイミングを見計らってリヒトに近づき、愛を与えなければいけない。
アリアはその瞬間を辛抱強く待つが、そのときが訪れる。
タイランドの圧に耐えながら戦闘を続けるエスターク兄妹、防戦一歩だった彼らであるが、戦況に変化が訪れたのだ。
後方に飛躍し、攻撃をかわす兄妹、その刹那、タイラントは奥の手を使う。
十数メートル離れた兄妹を打ち倒すため、右手を伸ばしたのだ。
丸太のような腕が十数メートルほど伸びる。
タイラントは生物だけでなく、植物の特性も持っていたのだ。
樹や蔦を思い起こさせる勢いで腕を伸ばすタイラント、それを予期していなかった兄妹はその攻撃を食らってしまう。
リヒトの腹に大穴が空く――、ことはなかった。
とっさのところで妹が庇ったのである。
エレンは兄を突き飛ばすと、代わりにその一撃を食らう。
タイラントの伸縮の一撃はエレンの肩をかすめ、肉の一部を穿つ。
エレンはそのまま戦闘不能となる。
リヒトは妹の負傷に穏やかではいられないようだが、戦闘を継続させる。今、隙を見せれば兄妹ともに死ぬからだ。
しかし、大幅に戦力をそがれたリヒトに勝機はない。
もはや防戦すらできない有様であった。
マリーはリヒトの敗北を確信したが、それでも彼を見捨てる気はなかった。主に許可を取ると戦線に加わる旨を伝える。
アリアは即座に許可する。
「お願いします。わずかでいいです。時間を稼いでください」
「はい。今さらマリーが加わったところでどうにもならないでしょうが」
マリーはエレンよりも弱い。それに先ほどの戦闘で消耗している。
役に立たないどころか、足を引っ張る可能性もあったが、なにもせず主の大切な人が死ぬ様を見ていることはできなかった。
そのように決意し、
「負け戦ですが、死に花を咲かせてきます」
と微笑んだ。
それに対してアリアは気負うことはなかった。
悠然と言い放つ。
「いえ、この戦いは我らの勝ちです。リヒト様の横には〝愛〟があります。それが我らの勝因です」
マリーは主の言葉の意味を解しかねたが、時間がなかった。クナイを握りしめるとタイラントに突進をした。




