バルムンクの陰謀
執事服を着た禿頭の男は部下から報告を聞くと一瞬だけ渋面を作った。
部下からの報告は吉報ではなかったのだ。
「まったく、ガイルめ、しくじりおって……」
舌打ちこそしなかったがそれに類することをすると、禿頭の執事は主の部屋に向かった。そこには新聞を読む主がいた。
執事の主であるランセル・フォン・バルムンクである。
主は王侯貴族のように優雅に新聞を読んでいた。いや、〝ような〟とは不適切か。主は貴族の中の貴族なのだ。
ランセル・フォン・バルムンクはフォンの敬称から分かるとおり貴族である。由緒ある侯爵家の当主でその門地は国内でも最大級であった。
彼の一日は最上級のコーヒーと新聞から始まる。コーヒーはシャクー・ハムスターという齧歯類がかみ砕いたコーヒー豆を焙煎したものしか飲まない。それ以外のものを注ぐと口を付けることもない。
新聞はサン・エルフシズム新聞を好むが、ドワーフ・タイムズやヒューマンなどの主要紙にはすべて目を通す。
メイドがアイロンがけをした新聞を端から端までじっくりと読むことから主の朝が始まるのだ。この国の大臣とバルムンク家の当主を兼ねる主は分単位のスケジュールで動いているため、この時間を貴重に思っている。そのことをよく知っていた執事は静寂を破っていいか迷ったが、結局、破ることにした。
「そのような話聞きたくない」
とは〝破滅するもの〟が必ず口にする言葉。耳障りな報告を遮断するな、とは常日頃から主が言っている言葉だった。執事はその度量に惹かれ、今日まで主に仕えてきたのである。
執事は心地よく新聞を読む主に事態を伝えた。バルムンクは一瞬、新聞を読む手を休めるが、それ以上の反応は見せなかった。
「報告、ご苦労」
とだけ言う。
「……それだけでございますか?」
「それ以上、なにがあるというのだ」
「叱責されるものと覚悟していました」
「王女襲撃は余興だ。成功するとは思っていなかった」
「…………」
「王女襲撃の目的は王女の命にはない。真の目的はその護衛の実力を計ることだ」
「あの、リヒト・アイスヒルクとかいう小僧を高く買われているようですが」
「ああ、やつを見るとうずく」
「買いかぶりすぎではありませんか。やつはたしかに魔人アサグを殺しましたが、まぐれということもありましょう」
「俺は敵を過小評価しない。正確にはおれの剣は、かな」
バルムンクは手元に置いてある剣に手を伸ばす。その剣は神々しいまでの威容を誇っていた。
「家名と同じ銘を持つ神剣バルムンク、こいつが言うのだ。あの男は強いと」
「神剣バルムンクが……」
「そうだ。共鳴、いや、鳴動するのだ。あの男の持つ神剣ティルフィングと剣を交えよと」
「侯爵家の当主ともあろうものが、あのような平民と剣を交えなくても」
「聞けばあの少年、エスタークの息子だそうではないか。エスターク家は伯爵だ。侯爵家と釣り合いが取れないこともない」
「バルムンク家に並ぶ家などございません」
執事の追従に偽りがなかったので、バルムンクは「うむ」とうなずくと話を続ける。
「しかし、この神剣がおれをたぎらせるのだ。あの少年と戦えと。ゆえにおれはそのたぎりが本物であるか、確かめるために暗殺者の派遣を許可したのだ」
「見事に返り討ちにあってしまいました」
「そういうことだ。つまりおれのたぎりは本物であった、ということだな」
「ではあの少年を捕縛しますか? 我が家に呼び出すことも可能ですが」
執事の提案をバルムンクは拒否する。ゆっくりと首を横に振る。
「魅力的な提案であるが、あの少年との決闘はランセルとして執り行いたいもの。おれはランセルであると同時にバルムンク家の当主であり、ラトクルス王国の財務大臣でもある」
そのように纏めると、バルムンクは今、一番しなければいけないことに注力する旨を伝えた。
バルムンクの視線は闘技場を描いた絵画に移る。その闘技場はバルムンク家が所有するものではなく、とある学院が所有するものであった。その学院とはもちろん――。




