命の共有
先ほどから《自爆》の魔法を唱えようと隙をうかがっていたが、魔人アサグの攻撃は想像以上で呪文詠唱する暇はなかった。
その拳圧は凄まじく、何度もかすってきたが、そのたびに肉がちぎれそうになる。攻撃を直接食らわなくても爆風と飛び散る小石だけで着実にダメージを蓄積させられている。
あいつを倒すあらゆるパターンを思考する。
頭の中でひとりチェスをするかのように考察する。
一〇〇手先、三二通りのパターンを計算したが、どれも無残に自分が死んだ。もはや自分が生き残ることはできない。ならばせめて姫様だけでも救える道を模索するが、それも難しかった。先ほど繰り返すように魔人アサグはそのような隙を与えてくれなかった。
(与えてくれなければ作るだけだが)
俺は姫様の騎士。彼女の護衛だ。
どのような手段を用いても相手を倒す。
それが俺の役目だった。エスターク城を追放され、生きる目標も定まっていなかった俺に、光明を与えてくれた姫様には恩と義理がある。それを返したかった。
アサドが己の手を硬質化させ、尖らせるのを待った。
先ほどから何度かその光景を見ていたが、剣での勝負は俺のほうに一日の長があると思わせていたので、なかなかその形態を見せなかった。しかし、戦闘が長時間に及んできたし、拳だけでは勝てないと思ったのだろう、やつはとどめを刺すために己の腕を剣にした。
それが俺の布石だとも知らずに。
先ほどから岩の拳の一撃を受けていたのは、拳では俺を殺せないとやつを誤解させるためだった。だから時折、やつの攻撃を受けてもまったく表情に出さず、痛みを感じない振りをしていた。
やつはこうおもったことだろう。「こいつは化け物か」と。
こちらに言わせればおまえが化け物なのだが、こちらに異常な耐久値があると『誤解』させるのは大いなる作戦の第一段階だった。
やつはその思惑に乗り、右腕を剣にすると、それを振り回してきた。
数合、神剣で打ち合いをすると、俺はよろける。これもわざとだ。そうすればやつは止めを差しにくるはずだった。
――魔人アサグはその思惑に乗ってくれる。
俺を殺すため、必殺の突きを放ってくる。
なかなかの突きだ。少なくとも城の熟練兵でもなかなか放つことができない。
ただ、剣術の鍛練を重ねた身ならば避けられる一撃だ。しかし、俺は避けない。避けてしまったら、最後の逆転のチャンスを失うからだ。
俺はその攻撃をわざと受ける。己の肩にアサグの右手を突き刺せる。
俺の肩が裂け、血が飛び散る。その姿を見てアサグは、「にたぁ」と愉悦に満ちた笑みを浮かべるが、その表情もすぐに終わる。
剣が抜けないことに気が付いたのだ。第二撃が放てない。
「な、なぜだ。なぜ抜けない」
それはそうしているからさ、とは言わず、やつの剣を右手で握り絞め、さらに固定する。手のひらからは血が溢れ出る。
「く、馬鹿か、おまえは超近接戦闘にでも持ち込む気か? 肉弾戦はおれが有利だぞ」
「知っているよ。しかし、超近接戦闘なんてしない。これから自爆するだけさ」
「じ、自爆だと」
「ああ、半径数十メートルが跡形もなく消し飛ぶ。どんな岩石だって砕いてみせる。この十数年の研究成果を見せてやる」
おれの不敵な笑いに『死』を感じ取ったのだろう。魔人アサグは焦る。
「ま、待て、こんなところで自爆などするな。姫も吹き飛ぶぞ」
「安心しな。メイドのマリーに避難指示を出した」
「な、あの忍者娘か。そういえば先ほどから姿を見かけない」
「そういうことだ。おまえはとっくに詰んでいたんだよ」
そう言うと、命乞いをするアサドを無視し、《自爆》の呪文を詠唱する。
(……あとは自爆するだけ。姫様がこの国を改革していく姿を見られなかったこと、それに妹の花嫁姿が見られなかったことだけが心残りだが)
心残りを残さずに死んでいくもののほうが少数派だろう。そう思ったおれは、覚悟を決める。しかし、あと数節で呪文の詠唱が終わる段階まで至ったとき、状況に変化が訪れる。
すぐ後方から、姫様の声が聞こえたのだ。
「リヒト様! 自爆の魔法をお止めください。あなたはこのような場所で果てるようなお方ではありません」
呪文の詠唱は止めるしかない。アサグはともかく、姫様まで巻き込まれたら溜まったものではないからだ。ただ、この後に及んでアリアを連れてきたマリーには抗議せざるを得ない。
「なぜ、姫様を連れてきた!」
俺の叫びに彼女は冷徹に応える。
「あなたはここで死ぬべき人物ではない。それにアサグなど、一撃で消し飛ばすでしょ」
それが無理なことは先ほどまで一緒に戦っていたおまえが一番よく知っているだろう。そう言い返そうとしたが、俺の身体が黄金色に輝いていることに気が付く。
「これは?」
その問いに答えたのはアリアだった。
「それは究極魔法、《善と悪の彼岸》です」
「善と悪の彼岸だって!?」
「知っているのですか?」
「ああ、魔術師が目指すべき究極真理のひとつだ。究極の無属性魔法だ」
善と悪の彼岸、別名、世界に調和をもたらすもの。
この魔法はこの世から善と悪という概念を消失させるというものだ。
詳細はどのような魔術書にも触れられていないが、とてつもない効果があるとだけ伝えられている。伝承ではこの世界を破壊し、ゼロから構築するような力だ。
そのような魔法を俺に唱えて、いったい、なにが起こるのだ。
それは未知数であったが、俺の身体は《善悪の彼岸》の効果を知っていた。
無意識に魔人アサグを蹴り放すと、右手に聖剣を握り絞める。
次いで左手に〝それ〟を求める。
それとはアリアローゼ姫が持っている〝魔剣〟である。
アリアローゼは魔剣グラムを投げる。俺はそれを左手で受け取ると、流れる動作で鞘を投げ捨てた。
その光景を見て、魔人アサグは唸る。否、叫ぶ。
「ば、馬鹿な!? この世界に聖剣と魔剣を同時に装備できるものはいないはず」
「ああ、そういう常識になっているらしいな」
「ならばなぜ、おまえは聖剣ティルフィングと魔剣グラムを同時に装備している!」
「知らんよ。まあ、姫様の力なのだろうが」
アリアを見る。彼女もまた黄金色に輝いていた。
(欠落姫アリアローゼ。……いや、善悪を超越せし姫、かな)
新たな異名を心の中に刻みつけると、彼女が施してくれた強化魔法に感謝する。
ただ、それでも腹に穴が空き、肩からは止めどなく血が流れていた。これ以上の戦闘は無理だろう。そう思った俺は右手の神剣と左手の魔剣に魔力を送り込む。
「聖剣ティルフィングよ。それに魔剣グラムよ。今からおまえたちは俺の相棒だ。よろしく」
『おう! てゆーか、ワタシたちはもうマブダチだよ』
『承知』
それぞれに性格を反映するような返答を返す神剣たち。
俺は彼らに感謝すると魔法剣を使用する。
その姿を見て、アサグは驚愕の台詞を発する。
「な、なんだと!? 聖剣と魔剣を二刀流にしつつ、さらに魔法剣を使うだと!? あ、――」
有り得ない、そう続く予定だったのだろうが、もはや奴に主導権はない。
この戦場の支配者はリヒト・アイスヒルクだった。
ティルフィングに炎の魔法、グラムに氷の魔法を込めると、それを斬撃として解き放つ。
炎と氷の剣閃は、Xの形となり、アサグに襲いかかる。
その速度は燕のように速かったが、さすが魔人、反応することはできた。
両手を盾のように硬質化されると、氷炎の斬撃を防ごうとする。
先ほどまではそれですべての攻撃を無効化されていたが、その一撃は先ほどまでのものとは違った。
異質であり、異常な攻撃力が付加されていたのだ。
氷炎の剣閃は、十字にガードを固めたやつの両手を切り落とし、そのままやつの胴体を四つに分ける。
自分が四つに分断される姿を見ながら、やつは最期の疑問を口にする。
「な、なぜだ。なぜ、おれがこんな人間風情に負けたんだ」
その問いに俺は答える。
「おまえは人間の命を侮辱し、姫様の名を辱めた。生きる価値がない」
そう言うとやつは意識を消失し、爆散する。
その汚い花火を眺めながら、右手と左手の神剣を地面に差す。
もはや自力で立っていられないほど消耗し、傷付いたのだ。
いや、そんな甘ぬるい状況ではなく、俺は意識を失う。
前のめりに倒れると、俺の視界を暗闇が支配した。
「リヒト様!」
「リヒト!」
姫とメイドが俺を呼ぶ声だけが脳内に木霊する。
リヒトが気を失っているさなか、アリアとマリーは先ほどのことを思い出す。
アリアローゼ・フォン・ラトクルスは護衛であるリヒト・アイスヒルクが魔人を倒す瞬間をその目に焼き付けることにした。
究極魔法《善悪の彼岸》を彼にほどこし、彼の能力を最高に引き出す。
それは魔剣グラムにうながされたことであるが、あるいは自分はそのために生まれてきたのかも知れない。魔法を唱え終わった瞬間、そのような天命を感じ、充足感すら得ていた。
そのまま死んでもいい。そう思ってしまったくらいだ。
いや、そのまま死ぬのだけど。
究極魔法の代償は術者の死。術者の寿命と引き換えにして、《善悪の彼岸》を発動し、ほどこした相手に力を与えるのだ。
善悪の彼岸はまさしく、相手から善悪を奪い、〝無〟にすることによって、どのような神剣も扱えるようにする、というものだ。最強の魔法であり、最高の祝福でもあるのだが、その強力過ぎる効果との引き換えが人間の命だけというのは安いものなのかもしれない。
少なくともアリアはそう思って呪文を詠唱した。
しかし、呪文を詠唱し終えたとき、自分の肩を掴む存在に気が付く。
メイドのマリーがアリアに魔力を送り込んできたのだ。
アリアは叫ぶ。
「駄目です、マリー! あなたの寿命も失われますよ」
「それが目論見です。マリーの命も半分差し出せば、アリアローゼ様が死ぬことはありません」
「そのようなこと許されません。いえ、許しません」
「これは部下としてやっているわけではないです。アリアローゼ様の、ううん、アリアの友人としてやっているの」
真剣な瞳で自分を見つめるマリー。
彼女と初めて会った日のことを思い出す。
あれはまだアリアが王宮に上がって間もない頃。母親を亡くし、頼るものがいなかった頃。そのとき、自分を励まし、元気づけてくれた女の子の顔だ。
マリーもまた親を亡くしており、ふたりはとても気が合った。主とその従僕という出逢いであったが、ふたりに友情が育まれるのにさして日数はいらなかった。
アリアは自分がどのように侮辱されても怒ることはなかったが、マリーが侮辱されれば怒った。友のために戦った。
マリーも同じだ。他のメイドからどのように馬鹿にされても怒ることはなかったが、アリアの陰口を聞けば同僚を殴りつけた。友のために孤立も厭わなかった。
以来、ふたりでラトクルス王国の王宮を生きてきた。姉妹のように、友のように。あるいはその絆は夫婦以上で合ったかもしれない。
そのような少女が命を掛ける、と申し出てくれているのだ。
アリアローゼはその決意を無碍にすることはなかった。
「あなたの命半分貰い受けました」
「ありがとう、アリア」
「わたくしはこれからこの王国を手に入れます。王国を手に入れ、すべてを改革する。すべてを良き方向に導く」
「微力ながらお手伝いします」
「手に入れたもの、幸せはすべてあなたと分かちます」
「男以外は」
くすくすと笑うマリー。
その冗談に微笑を浮かべるアリア。
決意が固まったアリアは、マリーとふたり、命を捧げ、究極呪文を詠唱する。
光と闇の境界線、善と悪の彼岸、それらを超越せし、存在よ。
今こそ我が命を捧げん、その清らかにして醜い手で我が命脈を絶て。
すべてを無にする名もなき無貌の神よ。
我の信じるものに大いなる力を与えよ!!
こうして解き放たれた《善悪の彼岸》。
その効果によってリヒトは、神剣を二刀流し、魔人を討ち滅ぼす。
自分の愛すべき主が、同僚が、寿命を捧げたことは、生涯、知る由もなかったが、それは未来に影響を与えることはない。
なぜならば王女の騎士リヒトは、
どのようなことがあっても、一度護ると決めた対象は最後まで守り抜くからだ。
あるいはリヒトの価値はそこにあるのかもしれない。
その知謀でも、学識でも、才能でもなく、
その心こそが、
最強不敗の神剣使い、
の呼称の由来なのかも知れない。




