善悪の彼岸
メイド忍者であるマリーが後方支援、俺が前衛担当。打ち合わせするでもなく、そういう役割分担になるが、不満はない。
日頃、剣の稽古をしているのはこのようなときに備えてのことだった。
神剣も張り切り、
『やったるー!』
と青白いオーラを纏わせる。
マリーも最大限の援護をくれる。後方からのクナイ攻撃、煙玉、爆竹。忍者らしいトリッキーな動きを見せるが、アサグは翻弄されなかった。
どのような攻撃も身体を「岩石化」させて無効にしてしまうからだ。
岩よりも硬きものの異名は伊達でもないようだ。
神剣ティルフィングでもなかなか致命傷は与えられない。
やつは余裕の表情で俺の攻撃を受ける。
「ふはは、聖なる剣ティルフィングの力はそんなものか? 心地よい風ではないか」
「…………」
反論できなかったのはその通りだと思ったからだ。まるで太い丸太を殴っているような感覚。俺の攻撃はすべて無力化されていると見ていいだろう。
ここは魔法剣に切り替えるべきだろうか。
剣に魔法を宿し、戦う戦法だ。
しかし、そのような余裕、アサグは与えてくれなかった。
「攻撃を受けるばかりが能だと思われたくない」
そう宣言すると拳を硬質化させ、拳打を加えてくる。
眼前に無数の拳が見える。
拳の幕であり、拳の壁であったが、その圧力に圧倒される。
百手拳ともいうべき攻撃を神剣で受け、いなし、避け続けるが、それも永遠に続かない。一発、右肩に拳を喰らうと、体勢を崩し、その後立て続けに、胸や腹に一撃を貰う。
「……ごふ」
口から血を吐き出す。先ほど回復した傷口が開く。
血に染まる俺の姿にアリアは目を覆う。
「リヒト様」
たしかにグロい姿なのでこれ以上、姫様に心配を掛けないように神剣を振るう。
やつはその一撃を硬質化で防ぐ。
まったくダメージを与えられない。効いているそぶりも見せない。
圧倒的な防御力の差、それが形となって現れていた。
(……これは自爆覚悟で戦うしかないかな)
そんな感想しか漏れ出ない。
通常攻撃は一切歯が立たず、魔法剣を使う隙もない。
このまま戦えばマリーだけでなく、お姫様まで窮地に陥るはずである。その未来を回避するには、一撃にすべてを掛け、さらにその一撃に〝命〟も乗せることだった。いわゆる、禁呪魔法の中でも禁じ手の禁じ手、《自爆》を使うのだ。
それもやむなし、そう思いながら、真剣を振り回し、《自爆》を使う隙を探り始める。
アリアローゼ・フォン・ラトクルスは自分のために命を捧げるふたりの人物の背中を見る。
ひとりは幼き頃から仕えてくれているメイドのマリー。
もうひとりは先日、騎士になってくれたリヒト・アイスヒルク。
どちらも掛け替えのない友人にして、忠烈の勇士だった。
このようなふたりに巡り会えたことは、人生において幸福以外の何物でもなかったが、彼らが傷付く様子をただ見つめるのはなによりも辛かった。
――もしも、自分も彼らの横に並べれば。
彼らと一緒に剣を取り、戦うことができれば。
胸が苦しくなるほど自分の無力さに苦しむ。
アリアはその苦しみから、逃れるため、腰にある剣に手を伸ばす。
戦力にならないどころか、足手まといになると分かっていても手を伸ばさざるを得なかったのだが、その愚行は〝とあるもの〟にたしなめられる。
足下に置いていた無機物が語りかけてくる。
『――神に造られた人々の子孫、および、リレクシア人の王の娘にしてドルア人の可汗の娘よ。無駄なことはやめよ』
誰の声!? 一瞬、身体を震わせてしまうが、すぐにそのものが誰であるか、気が付く。
先ほど回収した魔剣グラムがしゃべっていたのだ。
怪しげに輝く魔剣、彼は言葉を発するたびに魔力の波濤を巡らせる。
『そうだ。我がしゃべっている。我の名は魔剣グラム。異世界の北欧と呼ばれる地で生まれた最強にして不敗の魔剣――」
「剣がしゃべるなんて……」
『不思議か?』
「……いえ、この世に不可思議なことなどありません。リヒト様も時折、剣と話されているようですし」
蒼く光り輝く聖剣を見つめる。
彼女の声は耳に届かないが、それでもリヒトとふたり、とても強い絆で結ばれていることは察することができた。
「しゃべる剣があることは理解できますが、わたくしの耳にその声が届くことが理解できません」
『どうしてだ?』
『わたくしが神剣に選ばれしものだとはとても思えません』
「ほう、分かっているではないか、欠落姫よ」
「はい。わたくしは無属性の魔法しか。いいえ、無属性の魔法も満足に扱えぬ無能姫」
『それは違うな。無属性魔法は選ばれしものにしか扱えない究極の魔術』
「しかし、わたくしはその無属性魔法で攻撃することもできません。ただ、属性のない使えない魔法を放てるだけなのです」
『なぜ、役に立たないと決めつける?』
「わたくしの無属性魔法では鉄は切り裂けません。岩を砕けません。空しく風を切るだけなのです」
『それは生まれ持った性質だろう。ただ、攻撃魔法が向いていないだけ』
「攻撃魔法の使えない魔術師に意味はありますか?」
『支援魔法がある』
「わたくしの支援魔法は『無』。味方に掛けても敵に掛けても大した効果はありません」
『それこそが決めつけなのだよ。欠落姫よ。たしかにおまえは多くのものが欠落しているが、その代わり人にはない特別な魔法が使える」
「特別な魔法……」
『その魔法を使えば、対象者を『無属性』にすることができる。善と悪の呪縛から解放することができる』
「……おっしゃっている意味が分かりませぬ」
『言葉では語り尽くせない』
「ならば実際に試させてください!」
『気が早いことだな』
「はい、今はリヒト様の窮地なのです。もしもその魔法で彼の窮地を救えるのだとしたら、躊躇う必要はありません」
『いい心がけだが、その魔法を唱える代償として『命』が支払われると聞いても同じ台詞が言えるかな?』
「……命」
『ああ、この魔法は古代の魔術師が発明した究極魔法のひとつ。発明者はこの魔法の詠唱を終えたと同時に死んだ。魔法に寿命を奪われたのだ。つまりこの呪文を唱え終えると同時に術者は死ぬ』
「……死ぬ」
のですか、と口の中で続けるが、アリアは数瞬、間を置いただけで、すぐに魔剣グラムに尋ねていた。
「術式と詠唱を教えていただけますか?」
その迷いのない瞳、態度に魔剣グラムは驚く。
(一瞬で自分の命を捨てた。いや、天秤に掛けたのか。それほどあの若者が大事に見える)
魔人アサグと激闘を繰り広げる神剣使いの少年。名をリヒト・アイスヒルクと言っただろうか。見目麗しい美少年であり、剣術の達人のようだが、一国の姫がその命を引き換えにする存在には見えない。
この少女アリアローゼはこの国を救う、この世界に平和をもたらす。そんな使命感に燃えた少女であったが、そんな少女が己の命を懸けるとはよほどのことだ。
その少年を心の底から愛しているか、あるいはあの少年が世界を導く存在となると確信しているのか、そのどちらかだろう。
魔剣グラムは氷蒼の瞳を持つ、王女を見つめる。
この少女と出会って間もないが、彼女と彼女の信じるものに賭けてみたくなった。
魔剣グラムは姫の足下に魔法陣を出現ささせる。
『術式はこれを使え。わからぬところはそのままで、あとは自分でアレンジしていい』
「はい」
『詠唱はこうだ。
光と闇の境界線、善と悪の彼岸、それらを超越せし、存在よ。
今こそ我が命を捧げん、その清らかにして醜い手で我が命脈を絶て。
すべてを無にする名もなき無貌の神よ。
我の信じるものに大いなる力を与えよ!!』
一字一句忘れることなく聞き覚えたアリアは魔剣グラムに礼を言うと、彼を握り絞め、走る。前進し、究極魔法を唱えるのだ。
この魔法はリヒトを覚醒させる魔法、彼に近づいて発動しなければ効果はない。
それにおそらくであるが、この魔法の効果が発動すれば、リヒトは「これ」が必要になるだろう。そのとき、これを素早く渡したかった。
そのように思いながらリヒトの側に近寄ると、アリアに血しぶきが飛んでくる。
リヒト・アイスヒルクのものだった。




