強敵アサグ
「飛んで火に入る夏の虫。一石二鳥とはこのこと」
魔剣使いのヴォルクは愉悦に満ちた表情を浮かべる。
俺は姫様が幻影でないことを確認すると、大声で叫んだ。
「アリア! なぜきた!? 逃げろ!!」
腹に激痛が走るが、かまいはしない。そんなことよりも姫様の安全のほうが大切だった。
そんな俺に蹴りを入れるのはヴォルク。
腹を蹴り上げると、そのまま苦痛にうめく俺に嫌みたらしく言った。
「どうやらおまえのお姫様は賢くはないようだな」
「…………」
ほざけ、と言い放ちたいところだが、激痛のあまりそれもできない。
そんな俺の姿を見て、姫様はそれをやめるように諭す。
「ほお、一国の姫様に命令されるとは光栄だ。しかし、あいにくと俺は不憫な一般生。名誉特待生様の言っていることが理解できない」
そう言うと、俺を踏みつける足に全体重を掛ける。
「やめなさい! ヴォルク! それ以上はこのアリアローゼが許しません!」
アリアは剣を抜き放つが、彼女の実力ではヴォルクに遠く及ばない。
傷ひとつ付けられないだろう。
それくらいふたりの実力差は離れていたが、俺は彼女に挽回の策があることを知っていた。そのまま見守る。
「アリアローゼ姫、俺はこの魔剣の送り主におまえを生きたまま捕まえるように命じられている。しかし、傷つけるなとも、弄ぶなとも言われていない。要は生きていればいいのだが、その意味は分かるか」
ヴォルクは好色な顔を浮かべる。生来のサディスト、倒錯者の目をしていた。
美しいアリアの色香に惑っているのだろう。
アリアは好色な男の視線に身体を反らせる。
「いやあ、実はおれは大昔から君のファンなんだ。入学した当初から美人美人だと思ってね。しかし、君は名誉特待生、おれは一般生。住む世界が違うと思って声を掛けなかった」
「住む世界が同じでも一緒でしょう。わたくしは便所虫の言語を解しませんから」
その言葉にこめかみをひくつかせるヴォルグ。俺の腹を踏む力が強くなる。
「そんなこと言っていいのかなあ。おまえの大切な騎士が痛い痛いって言ってるよぉ」
狂気に歪むヴォルクの顔。もはやそこに人間性は一切ない。
「わたくしの身体はこの国のもの。この身体に触れていいのはメイドとリヒト様だけ。おまえのような下賤に触らせることはありません」
「でも、そのリヒト様は俺の下で悶えてるけどぉ?」
ヴォルクはサディズムを全開にさせると、本音を吐き出す。
「いいからおまえも俺の下で悶えればいいんだよ! おれは世界最強の魔剣使いなんだから! おまえを守る騎士はこんななんだからさぁ!」
その品のない台詞にアリアは平然と対抗する。
「リヒト様はまだ負けたわけではありません。それにわたくしを守る盾はリヒト様だけではありません」
「他になにがあるというんだ?」
「最強のメイドさんです」
そう言うと疾風の速度でやつの横腹を突くメイドさん。彼女の両手にはクナイが握られていた。
「アリアローゼ様一の家来、マリー、参上!」
必要最低限の言上を述べながら、ヴォルクの右手に斬撃を加える。
吹き飛ぶやつの指は四本、一撃で右手を使用不能にする。
「ぐ、ぐぎゃあああ!!」
情けない悲鳴が洞窟内に木霊する。
やつが地面を地虫のようにのたうち回ると、魔剣グラムは吹き飛ぶ。
おれはやつの汚い靴底から解放されると、親愛なる主とメイドさんに感謝の言葉を述べた。
「命の差し入れ、ありがとう」
主は、
「どういたしまして」
と、にこやかに微笑み、メイドさんは、
「感謝しなさいよね」
と胸を張った。対照的な台詞だったが、有り難いことに変わりはなかった。
やつの魔剣が吹き飛ぶと、アリアローゼは流れる動作でそれを回収する。俺は地虫のように這いずりながら、彼女のもとによると、介抱される。
「わたくしは魔法は使えませんが、薬学には少し自信が。ポーションがありますので止血しましょう」
そう言うと口にポーションを含み、俺の腹に吐き出す。これが一番、量を調整できていいのだそうな。俺の腹黒い内臓にキスをするのはさぞ気持ち悪いだろうに。しかし、彼女は文字通り顔を真っ赤にし、衣服を鮮血で汚してもまったく厭うことがなかった。
(……またひとつ、この方に命を懸ける理由が生まれてしまったな)
アリアに感謝の念を述べるが、今は彼女の表情よりも確認したいことがある。
それは俺を救ってくれたものの表情だった。
先ほど見事なクナイでヴォルクの指を吹き飛ばし、俺を救ってくれたマリー、彼女は引き続き戦闘していた。
舞うような動きでヴォルクを斬り裂いている。
「強いだろうな、とは思っていたが、あのメイドさん、いったいなんなんだ? 動きがただものじゃない」
「マリーはラトクルス流忍術の使い手です」
「ラトクルス流忍術?」
「はい。東方よりやってきたフウマという伝説の忍者がこの国に伝えた暗殺術です。マリーの一族に古くから伝承されています」
「あの娘、暗殺者の一族なのか」
「はい」
「どういう経緯で君に仕えたのか、気になるところだが、それよりも早く傷を塞がないと」
そう言うと俺は自身でも回復魔法を掛けるが、なかなか傷口が塞がらない。
回復魔法は不得手なのだ。まだ姫様のポーションのほうが効果があった。
それでも必死に回復に努めるが、そんな俺を見て姫様は言う。
「リヒト様、焦らないでくださいまし。マリーの不意打ちは効いています。それに魔剣を失ったヴォルクは恐るべき存在ではありません」
その言葉は事実であった。
指を吹き飛ばされたヴォルクは苦痛に悶えながら、短剣で応戦していた。
マリーはやつの攻撃を軽くかわすと、翻弄するかのようにやつの身体を斬り裂く。
二の腕、太もも、頬、胸、ひとつずつやつの身体にダメージを蓄積させる。
その実力差は明らかで、大人と子供のほどの技量差があった。
あるいは見ようによっては一方的に殺戮ショウを繰り広げているようにも見えたが、俺は知っている。マリーという少女がとても優しいことを。先ほどから放っている一撃はすべて致命傷とはほど遠い。ヴォルクを殺す意志を持っていないのだ。
俺ならばあのような男、一撃で切り捨てるところだが、優しいメイドさんにはそれができないようだ。
――不覚悟、そう言い換えることもできるが、そうではなく、それが彼女の人間性、優しさなのだろう。姫様を侮辱したものは苦しみながら死ね、と思っている俺とはそこが違うところだった。
そんな俺の心を知ってか知らずか、姫様は核心を突く言葉を発する。
「変ですね……」
彼女はその美しい眉をひそめるとこう続ける。
「マリーが圧倒していますが、ヴォルクが怯む様子を見せません。普通、あそこまで実力差を見せつけられたら、戦意を喪失するはずなのですが」
「さすがは姫様だ。いいところに気が付いた」
「やはり変ですよね」
「ああ、俺もそう思ってるよ。見ろ、やつの表情、あそこまでボコられているのにあの余裕――」
ヴォルクの顔に集中が集まる。
やつの顔は苦痛に歪んではいなかった。恐怖にも支配されていない。
ただ不気味に笑っていた。いや、にやついていた。
愉悦に満ちた笑いも漏らしている。
その不気味さは直接戦っているマリーが一番感じているのだろう。圧倒しているのにもかかわらず、後退し、間を作る。
その瞬間、やつは抑えていたものを爆発させる。
「くははは! 欠落姫の部下はなかなかやるではないか、その騎士もメイドもなかなか強い」
さらに趣味の悪い笑い声が漏れるが、姫様はとあることに気が付く。
吹き飛ばされたはずのやつの指がいつの間にか復活していることに。
「馬鹿な。先ほどマリーに吹き飛ばされたはずなのに。それにあの禍々しい指はまるで――」
「まるで悪魔のよう、か」
「はい」
「その例えは言い得て妙かもな。俺にはやつが人の皮を被った悪魔に見える」
「人の皮を被った悪魔……」
「そうだ。もはややつの身体は人間ではない。心もな。おそらく、やつは魔剣グラムを託されると同時に、悪魔に魂を売ったのだろう」
その言葉に反応したのは当の本人だった。
やつはぬけぬけと言い放つ。
「なんだ気が付かれていたのか、すでにこの小僧の意識を乗っ取ったことに」
やつの声はすでにヴォルクのそれではなく、野太い猛獣のようであった。
「ああ、口から人間の臓腑の匂いがした。それにヴォルクの十倍はむかつく表情をするようになっていたからな」
「それはそれは光栄だ。ならばもはやこの脆弱な姿でいる必要もないな」
かつてヴォルクだったものはそう言い放つと、暗黒のオーラを纏う。
すると皮膚は裂け、そこから土褐色の筋肉が現れる。
口は裂け、牙が伸びる。
背中からは蝙蝠のような翼と黒豹のような尻尾が生えてきた。
禍々しい上に恐ろしい外見を持った悪魔へと変貌する。
「やあ、こんにちは。初めまして、かな。おれの名はアサグ。疫病の守護者にして岩よりも硬きもの」
どうやらこいつはバルムンク一派に召喚された異世界の悪魔のようだ。
すでにヴォルグの精神は死に絶えたとみていいだろう。
俺は腰から聖剣を抜くと、マリーの前に立つ。
「ここからは俺が相手をしよう」
「ふたり掛かりでもいいのだぞ」
「それは有り難い」
俺がそう言うと、マリーは両手で六本のクナイを握り、それを投げつける。化け物に遠慮はいらないと思ったのだろう。すべて急所だった。やつはそれを億劫にはね除ける。二本、醜い右手で弾き飛ばすが、残りはすべて急所に命中する。
頭、喉、内臓、太ももの動脈、人間ならばすべて即死の箇所であるが、やつは涼しい顔をしていた。
「これが欠落姫の護衛の力かね」
アサグは口元を歪ませると、牙を見せる。
この悪魔はなかなかに強そうだ。
神剣を持つ手に力が入る。
俺とマリーは互いに視線を向けずにうなずき合うと、同時に攻撃を仕掛けた。




