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悪魔に魂を売った男

 木々を這う(ましら)のような速度で走る。

 解き放たれた矢のような速度で地上に向かう。

 すると一時間で第一階層に戻ることができた。あとは地上に出るだけだが、脳裏に〝あの〟娘のことが離れない。

 俺のストーカー。

 ハンナという名の女学生。

 アリアに少しだけ似た少女。

 俺が見捨てた少女。

 俺が殺したも同然の少女。

「…………」

 彼女の笑顔と台詞を頭から振るい去るが、それは不可能だった。

「女の子はみんな変わりものなんですよ」

 彼女の台詞が脳内に木霊(リフレイン)する。

 このまま彼女を見捨てれば、俺は一生後悔するであろうが、ここで引き返しても同じだ。姫様を危険に晒し、その身になにかあれば、俺は生涯後悔するだろう。

 同じ後悔ならば姫様を取る、というのが俺の結論であったが、果たしてそれは正しかったのだろうか。

 哲学せずにはいられなかったが、必死で振り払おうとしたとき、母親の顔が脳内に浮かぶ。

「……リヒト、ごめんなさい。あなたを守ってあげられなくて」

 俺の母親はそんな言葉を残し、俺を一人残し天国に旅立った。

 流行病、医者はそんな死因を俺に伝えたが、俺はそれが嘘であると知っていた。

 エスターク家の正妻に暗殺されたことは明白だった。あの嫉妬深い魔女にいびり殺されたのだ。しかし、俺の母親は最後までそのことを俺に伝えなかった。どんなに酷い目に合わされても俺に愚痴ひとつ言わなかった。

 エスターク家で生きていくと言うことはそういうこと。

 正妻ミネルバの慈悲で生かしてもらうということだった。

 母親はそのことを親身に知っていたから、ミネルバを恨ませないように配慮したのだろう。

 余計なありがた迷惑ではない。

 母親のその配慮、先見性に感謝しなければいけない。母のその賢さによって俺は命を長らえさせたのだから。この歳まで生きることが出来たのだから。

 俺は母親の賢さを受け継ぎ、〝才能〟や〝感情〟を隠すことによって生きながらえてきたのだ。

 母の愛に深く感謝すると、遠方から見慣れた人物が視界に入ってくる。

 そのものはメイド服を纏っていた。

 メイドのマリーだ。

 彼女も風のような速さで接近してくると、血相を変え尋ねた。

「マリーの大事なアリアローゼ様が気絶している。正直、なにがあったか気になるし、あなたをぶん殴りたい気持で一杯。でも、ここは黙ってアリアローゼ様を受け取り、あなたを行かせるわ」

「――なぜ、俺が地下に戻ると分かる?」

「そんな決意に満ちた目をしている男がしようとしていることなんてふたつ。ひとつは好きな女を懸命に守る、もうひとつは自分の信念を貫くときよ」

 なるほど、俺はそんな顔をしているのか。

 自分では分からないが、さぞ複雑な表情をしていることなのだろう。

 俺はマリーの機微、そして気っぷの良さに感謝すると、アリアを彼女に渡す。

「この洞窟は暗殺者に満ちている。お姫様を託せるか?」

「あんたが来る前はマリーひとりで守ってたのよ」

 力こぶから発せられるような頼もしい言葉だった。メイドさんに感謝を込めると彼女に伝言を頼む。

「腰の神剣が共鳴している。おそらく、敵も神剣の持ち主だろう。それにこいつは近く、最大の試練がふたつ、俺を襲うと予言していた」

「ふたつ?」

「詳しくは分からないが、まあ、これから戦う相手は今までのやつの比じゃないってことさ。生きて戻ってこられるかは分からないから、伝言を託す。君の騎士は〝クヘド(愚か者)〟だった、と伝えてくれ」

「愚か者ってなによ? マリーの化粧を馬鹿にしたこと? それとも、もう戻ってこないつもり?」

「両方だ」

 その問いに答えると、俺は反転し、先ほどよりも速い速度で第三階層に戻った。

 マリーはその姿を呆然と見つめる。

「……馬鹿。なんでそんな不器用な生き方しかできないのよ」

その声は空しくダンジョンに響き渡った。



 第三階層の最深部まで行くと、気を失った少女と、禍々しい剣を持った男と出くわす。

 男の周囲には死体が転がっていた。

 暗殺者の死体だ。

 悠然と剣を持ち、俺を待ち構えている男に尋ねる。

「その死体は?」

「この娘を誘拐してきたものたちだ」

「仲間じゃないのか?」

「だから斬った。この剣の切れ味を確かめたかった」

「なるほど、外道だな、ヴォルク」

 外道にして畜生の名を口にする。

 一般生(エコノミー)のヴォルク・フォン・ガーランドは愉悦に満ちた笑みを浮かべる。

「こいつらも俺の役に立てて幸せだろう」

 その瞳には狂気しか見えない。

 ただ、ひとつだけまともなところがあるとすれば、それはハンナに手を掛けていないところだ。彼女の肌には僅かばかりの傷もなかった。それだけは褒めてやってもいい。

「この剣を与えてくれたものに、王女は傷つけずに捕縛せよ、と命令されている。なんでも無属性魔法の使い手らしいな。研究材料にしたいそうだ」

「まったく、趣味の悪い依頼主だ。頭が悪そうだ」

「それは同感だ」

「おまえも同類だよ。それを証拠にその娘は姫様じゃない。赤の他人だ」

「なんだと?」

 ヴォルクは改めてハンナを観察するが、間違いにやっと気が付いたようだ。

「ああ、たしかにそうだ。似ているが違う」

 しまったなあ、と口にした瞬間、剣を抜く、魔剣グラムが妖しい光を発する。


 ガキン!


 鉄と鉄がぶつかり合う音がする。

 ハンナに襲い掛かる魔剣グラム、それを受け止めるは俺の聖剣ティルフィング。

「ほう、おまえも神剣を持つのか」

 一緒にするな! と言い放つ代わりに、ハンナを抱きかかえ、狂犬から距離を取る。

 その判断、心の叫びに神剣は呼応する。

『そうだそうだ! ワタシをこんな根暗な魔剣と一緒にするな! ワタシは由緒正しい聖剣なんだぞ』

 その台詞はどこまでも正しい。

 ヴォルクの聖剣からは負のオーラしか見えない。その持ち主もどこまでも邪悪だった。

 一方、神剣ティルフィングの正のオーラのすがすがしさは特筆に値する。

 同じ土俵で比べてほしくなかった。

 ハンナを安全圏に置いた俺は、ヴォルクに斬り掛かる。

 最速で距離を詰めると連撃を放つ。やつはそれを易々と受け止める。

 先日の戦闘では素人丸出しの動きだったが、魔剣グラムを装備した途端、この動きである。チートだな、と思った。

『ちなみにあの魔剣グラムは英雄の動きを真似する〝能力〟があるんだ。あと毒竜に対する特効も』

「なるほど、それでこの変わりようか。真面目に修行するのが馬鹿らしいな。ちなみに聖剣ティルフィング様にはどんな能力がある?」

『持ち主をフレーフレーって応援する能力がある!』

「OK、切れ味以外期待するな、ってことか」

『さすがリヒト、分かってるね』 

 そんな軽口を交わし合うと戦闘を再開、一〇合ほど打ち合う。

 俺の一撃には鍛錬と信念が込められていたが、やつの動きは力に満ちていた。魔剣の力を十全に使いこなしている。いや、魔剣そのものが最大限の力を発している。

 要は不利だった。勝負にならない。このまま打ち合いをしたら負けは確定するだろう。しかし、それでも俺はティルフィングを握る力を弱めない。


 ――一時間。


 信じられないが、俺は一時間にわたってヴォルクと魔剣グラムの攻撃を防いだ。

 その姿にヴォルクは感嘆の言葉を漏らす。

「信じられん。超人的な動きだ。是非、見習いたい」

「……はあはあ……、ティルフィングのおかげだよ……、はあはあ……、こいつじゃなきゃ、とっくに負けていた」

「そうかもしれないな。そうなるとおまえを殺したあと、その剣を奪って装備したいところだが……」

「それは無理だな。人間には特性がある。神剣を装備できるものは極少数。しかし、神剣をふたつ以上、使いこなすものはいない。有史以来な」

「その通り。聖剣使いは聖剣しか扱えぬ。魔剣使いも魔剣のみ。魔術を嗜むものの常識だな」

「ならばその聖剣、あとで破壊させて貰うぞ。おれが装備できないのならば意味はない」

「……俺に勝ってからほざけ」

 そう言うが、俺の敗色は濃厚だ。

 この上できることはふたつしかない。

 ひとつはこのまま相打ちに持っていくこと、

 もうひとつはハンナを救うこと。

 見ればハンナは目覚めていた。俺とヴォルクの戦いを遠巻きに見つめている。

 俺とヴォルクの剣戟の凄まじさに当てられて動けないようだ。

 俺は彼女に、「逃げろ!」と言うと、その隙を作るため、一撃を放つ。

 神剣にありったけの力を込め、剣閃を放ったのだ。

 その一撃には蒼いオーラが籠もっていたが、最大限の一撃を持ってしても、やつをよろめかせることしかできなかった。 

 いや、それどころか俺はやつの攻撃を食らう。

 見ればやつのグラムは俺の腹を貫いていた。

「……ぐふ」

 そう漏らすと、大量の血と共に倒れる。

 やつはその姿を勝ち誇ったかのように見つめる。

 ただ、唯一の救いは今の行動でハンナが逃げてくれたことだ。

 これで最低限の目的は達したことになる。

 アリアを危険にさらさないこと。

 ハンナを救うこと。

 それが俺の当初の目的だ。任務達成(ミッション・コンプリート)というべきだろう。

 そのように満足していると、ヴォルクは言う。

「あんな小娘など、どうでもいいわ。おれはおまえに復讐を果たし、アリアローゼを捕まえられればいいのだ」

「俺に復讐は果たせるが、姫様は捕まえられない。あの方はとても賢い女性だ。もう、おまえたちが付けいる隙はないさ」

 そう断言するが、その言葉を否定するかのように幻聴が聞こえる。

「リヒト様!!」

 その声は麗しの王女の声のように聞こえた。

 この場では絶対に聞こえないはずの声に聞こえた。

 有り得ない、と聞き流すことはできない。それくらいに現実感を伴っていたのだ。

 まさか、と振り向くと、そこには先ほど逃がしたはずの王女がいた。

 その姿を見たヴォルクはにやりと顔を歪めた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 誤字めちゃくちゃ多い [一言] 書籍発売するから更新して 売れなきゃエタルやつですか? これも
2021/02/13 17:49 退会済み
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