牡鹿のようにしなやかに
古代魔法王国の遺跡には特徴がある。
それはダンジョンなのに、フィールドがあることだ。
どういうことかと言えば、ここは地下のはずなのに、空があるのである。
青空もあれば、雨雲もあり、雪が降ることもある。
また平地や森林、砂漠などが広がる階層もある。
つまり地上とほぼ変わらないのだ。
なぜ、そのようになっているか。高名な魔術師たちが常に議論し、調査をしていたが、いまだ結論はでない。
古代魔法文明の偉大さに嘆息するしかない、というのが今の魔術界の現状だった。
俺としてはもしも時間があれば、その謎を解き明かしたいと思っていたので、今回の調査授業は最高の機会であった。時折、現れる魔法文明の遺物などを真剣に調査する。
その姿を見てアリアは、まるで探求者のようですね、と俺を評す。
ある意味間違っていなかったので、返答できずにいると、雨が降ってきたことに気が付く。
「雨か、雨宿りするか」
「そうですね。そこの洞窟に避難しましょうか」
俺とアリアはすぐに洞窟に入り込んだが、思ったよりも濡れてしまった。アリアの制服のシャツが濡れて透けている。
目のやりどころに困った俺は、彼女に背を向けながら、魔法で焚き火を作る。
焚き火によって洞窟は照らされ、温度が上昇するが、俺はなにも口にすることができなかった。姫様の艶めかしい姿を見てしまったから、ということもあるが、先ほどから姫様の様子のおかしさに気が付いていたからだ。
その理由を背中越しに尋ねる。
「――気が付かれていましたか」
それがアリアの第一声だった。続けて彼女はその理由を正直に話す。
「先ほどの戦闘で己の無力さを改めて痛感しました。わたくしはなんと非力なのでしょうか」
「そのことか、ホーン・ラビットの件は気にするな」
「気にします。わたくしの不覚悟の象徴のような気がします」
「もしも次遭ったときに倒せばいい」
「はい。次遭ったときは倒し、食料にいたします……。しかし、わたくしが情けないのはそのことだけではありません。たかがゼラチン・スライム討伐に一〇分も掛かってしまいました」
「普通じゃないか?」
「道中、クリードさんのペアを見ましたが、五分も掛かっていないようでした」
「倍なら許容範囲だ」
「そうでしょうか……」
「落ち込むな。姫様のいいところは武力ではない。その心根だ」
「……心根?」
「そうだ。誰よりも優しいその心。それに民を思う気持だ。これを持っている王族や貴族は滅多にいない」
「…………」
「俺はその心根に惹かれて君の護衛になった。君がその優しさを持っている限り、俺は君の剣であり、盾となる」
「リヒト様……」
彼女が愁いに満ちた目でこちらを見ていることは容易に想像できたので、あえて振り向かない。今、振り向けば必要以上の感情を彼女に抱いてしまうと思ったからだ。
その後、俺たちは洞窟で休憩すると、そのままフィールドワークを再開させた。
その後、第三階層まで調査を進める。
第三階層はフィールドタイプのダンジョンではなく、正統派のダンジョンだった。迷宮のような道を進む。
授業ではこの階までとなっているので、ここの調査が終わったら帰還魔法の宝玉を使う予定だった。
俺たちは隅々まで調査すると、帰還魔法のオーブを使おうとするが、異変に気が付く。
オーブに魔力を感じないのだ。
「……おかしいな。ダンジョンに入る前にちゃんとチェックしたんだが」
魔法の宝玉はたまに不良品があり、効果を発揮しないことがあるため、事前チェックは欠かせない、というのが俺の持論であり、指南書にも書かれていることだった。そのため、念入りにチェックしたのだが、宝玉はうんともすんとも言わない。魔力自体通っていないように見える。
「……時限式で魔力が断たれるように細工をされたか」
「まさか、そんなことが可能なのですか?」
「大がかりな宝玉工房が手を貸せばな」
「……バルムンク卿は王都一の宝玉工房の最大株主です」
「そして姫様を暗殺したがっている。動機と実行力は十分だな」
「しかし、それだけでは糾弾できません」
「なあに、それだけじゃないさ。きっとこの先、君を暗殺させようと刺客を用意してあるはず。そいつを捕まえて吐かせばすぐに証拠は揃う」
そう不敵に言い放つが、それは大言壮語が過ぎた。いや、己の力を過信し過ぎた。敵は俺の想像以上の仕掛けを用意していたのだ。
その宝玉は《解析》の魔法を掛けられると同時に発動するように仕掛けがしてあったのだ。無論、本来の場所、学院の転移魔法陣に転送されるのではなく、それを身に付けていたものが、意図した場所に飛ばされるような仕掛けが施されていた。
つまり、それを身に付けていたお姫様と、俺を分断するように仕掛けられていたのだ。
「しまった!」
俺はそう叫ぶと、《解呪》の魔法を高速に詠唱するが、それが最後まで詠唱されることはなかった。アリアの姿があっという間に半透明になると彼女が、
「リヒ――」
と口にした瞬間、消えてしまったからだ。
俺は慌てて《追跡》の魔法を使い、宝玉とアリアの魔力の波動を追跡するが、どうしても時間を消費してしまう。
五分ほどで追跡が完了し、神速の勢いでそこに向かうが、第三回層の隠し部屋に設置された魔法陣にたどり付く。
五分遅れであったが、王女誘拐犯も王女もまだそこにいた。
王女が剣を抜き、抵抗していたからである。
先ほどは己の弱さを嘆いたアリアであったが、彼女の勇気は一線級だった。暗殺者どもに一歩も引くことなく、戦闘を続けている。
「さすがは我が主だ」
戦乙女のような気高さに賞賛の言葉を掛けると、彼女の窮地を救う。
劣勢の姫様を援護するように暗殺者を挟撃すると、ひとりを神剣で斬り伏せ、ひとりを投げナイフで仕留める。我ながら鮮やかな動作であるが、珍しく姫様は俺を賞賛しない。そのような余裕がなかったのだ。
彼女は必死に叫ぶ。
「リヒト様、こいつらは暗殺者の一部に過ぎません」
「本体がきても君に指一本触れさせない」
「違います。こいつらは間違えて他の女生徒を連れ去ったのです」
「なんだって!?」
驚愕する。
「先ほどわたくしに似ている女生徒がいると言いましたよね。間違ってその方を連れ去っていきました」
「……くそ、なんてことだ」
王女暗殺という大罪を犯しながら、人違いまでするなんて、なんて無能なんだ。
しかし、そのおかげで王女が無事だったと思うと、ある意味、やつらの無能に感謝しなければいけないのかもしれない。思わず安堵してしまったが、その冷酷な考えを王女は否定する。
「リヒト様、わたくしごときもののために同じ学び舎の友人が死ぬなど耐えられません。このまま暗殺者を追わせてください」
「……それはできない」
「どうしてですか!?」
「それは君の命が何よりも大切だからだ」
「守るべき民の命を犠牲にして生きながらえてなにになりましょうか」
「もしもその女生徒が亡くなっても将来、より多くの人を救えば帳尻が合う」
「…………」
アリアは俺の言葉に絶句する。
あるいは彼女はこの期に及んでやっと俺の本質に気が付いたのかもしれない。冷酷で残酷で非情な俺の本性に。俺は大切なものを守るためならばこの世界を〝売る〟覚悟を持っていた。
たかだか、一女生徒のことなど、気にも掛けない非情さを持っていたのだ。
俺の本質に気が付いたアリアは、目に涙を溜め、唇を噛みしめる。
「……この上はひとりで救いに行きます。護衛は結構です」
そう言い放ち、俺に背を向けた瞬間、俺は彼女の首筋に手刀を入れる。
「――なぜ」
彼女はそう言い残すとそのまま気を失い、力なくうなだれる。
彼女の小さな身体を受け止めると、そのまま担ぐ。
「……俺は姫様に恨まれるだろうな」
姫様が目覚めたとき、すべてが終わりを告げており、もうどうにもならなくなっているかもしれない。彼女は救えたかもしれない命が失われたと知り、嘆き悲しむかもしれない。
しかし、それでよかった。これ以上、彼女の身を危険にさらすくらいならば、今後、一生、彼女に恨まれるほうがましであった。
そう覚悟し、決意した俺は、彼女を抱きかかえたまま走る。地上に向かって走り続ける。
山羊のように俊敏に、牡鹿のようにしなやかに走り抜けた。
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