満天の星々の祝福
こうして後に十傑事変と呼ばれる騒動は終幕を迎える。
歪められて育った名家の子息の暴走、それが事件の核心であったが、本質ではないのかもしれない。
この世界の腐った土壌が、アレフトの暴走を招いたのだ。
この王立学院は下等生、一般生、特待生―と明確に階級が別れている。視点を広げればそれは貧民、平民、貴族と商人と言い換えることもできるだろう。下等生であり、平民でもある俺は下からその奇妙な風習を眺めていただけであるが、昨今、考えが変わりつつあった。
(……姫様はこの腐った階級社会を無くし、誰もが笑顔で暮らせる社会を作ろうとしているのかもしれない)
先日、彼女の部屋で異世界の書物を見つめた。それは異世界の「共和制」と「民主主義」について書かれた本だ。その世界では共和制の歴史は古く、すべての文明は「ギリシャ」に行く着くと称されるほどの栄華と影響力を持っていたらしい。
その共和制は一旦、廃れたが、その後、さらなる強力な政体「民主主義」に繋がる。
民主主義とは民衆ひとりひとりが政治に参加する制度、持たざるものや不幸なものを最小化しようと社会保障制度を整えた理想的な政治だった。
彼女がまず目指すのは女王、あるいは摂政なのだろうが、最終的な目標は民主主義国家の樹立にあるのは間違いないだろう。
そのような同僚のマリーの話すと、「メイドさんにそんな難しい話をしないで」とけんもほろろに追い出された。それよりも「アリアローゼ様が用事があるんだって、あとで一緒にこの場所に行きなさい」と地図を渡された。
地図に示された場所に思い当たりはあったが、その場所は王都からそれなりに離れている。祝日を消費しなければいけないだろうが、それでも俺は命令に従った。
馬車を用意すると、彼女の護衛をしながらそこへ向かう。
俺たちが向かったのはアイスヒルクの街。俺と姫様が主従の誓いを交わした街だった。
最初、またあの街で石鱗病が逸っているのかと思った。優しいお姫様が特効薬を届けるためにそこに向かっているのかと思ったが違った。
馬車には医薬品の類いは積まれていなかったし、救援物資の影もない。
あるのは壮麗な衣装と儀礼用の宝剣だった。
もしかしたら親しい貴族の祝賀の席に招かれているのかもしれない。そんな結論に達したので、警戒感を持たずに姫様と馬車の旅を楽しんだ。
最近、戦闘に続く戦闘で疲れ気味だ。まったく休む暇がなかったので眠気がやってくる。
姫様は、
「わたくしの膝を枕にしてくださいまし」
と向日葵の微笑みで誘ってくれた。護衛ごときが不遜ではあるが、彼女の太ももの寝心地の魅力には敵わない。
遠慮せずに借りると、想像通り、最高の寝心地ですぐに睡魔がやってくる。
あっという間に涅槃に旅立つと、アイスヒルクの街に達するまで眠りこけた。このような夢心地で寝るのは数年ぶりのことであった。
アイスヒルクの街に到着すると、馭者は貴族の館や大商人の館はスルーし、貧民街へ向かった。これは奇異な、という瞳をアリアに向けると、彼女は悪戯好きな幼女のような瞳で言った。
「貴族か商人の式典に行くと思ったのですね」
「ああ、貧民街に行くのならば物資を持っていくと思ってた」
「貧民街には行きますが、あとで顔を出すだけ。今日の目的は違います」
「どんな目的があるんだ?」
「それは着いてからのお楽しみ」
ふふふ、と笑みを漏らすと、馬車が止る。そこから一〇分ほど歩いたところに向かうのだという。その前に馬車の中でお着替えタイム、まず俺が騎士の礼装を施され、ついで馬車から追い出されてアリアが着替える。
「お姫様のお色直し~」
マリーは嬉々としながらお姫様の礼服を装着させる。
「胸でけー」
などという声が聞こえるが、無視をしていると三〇分後には世にも美しい姫君が誕生した。
「このまま女王に登極しても違和感がないな」
「最高の褒め言葉をありがとうございます」
うふふ、と彼女の手を取り、目的地に向かうが、道中の光景に見覚えあった。
「ここはアリアと臣下の礼を交わした教会に続く道だな」
「はい」
「アイスヒルクの姓を貰った場所だ」
「アイスヒルクの使い心地はどうですか?」
「最高だ。今ではエスタークよりもしっくりくると」
「それはなによりですが、わたくしには不満があります」
「不満?」
そう尋ね返すと、仮初めの騎士叙勲式を行った場所に到着する。
アリアは一歩前に出るとさも当然のように言い放つ。
「リヒト・アイスヒルク。なんだかしっくりきません」
「そうかな。アイスヒルクの姓は詩的で美しい」
「だからです。リヒトも凜々しく、力強い名前。ですからそのふたつは微妙にアンバランスなんです」
「しかし、今さら改名したくない」
「当たり前です。その姓は終生、あなたのもの。永遠にわたくしたちのもの。だからわたくしはリヒトとアイスヒルクの間に〝フォン〟の呼称を付けます」
「なんだって?」
滅多なことでは動じない俺であるが、さすがに驚愕する。
フォンとは貴族だけに許される尊称なのだ。平民が名乗っていい呼称ではない。
「俺はエスタークの城に居たときもフォンを名乗れなかったんだぞ。俺は落とし子だ」
「それは過去のこと。今では一国の王女の騎士です。主の危機を何度も救った忠臣です」
「当たり前のことをしたまでだ」
「自分の信念を曲げてまで十傑になってくださったこと、嬉しく思っています。その功績に報いさせてください」
「しかし俺は――」
俺の言葉を遮ったのは後ろからこそこそ着いてきたマリーだった。
「リヒト、あんた遠慮しすぎ。あんたを正式な貴族にするのにアリアローゼ様がどれだけ苦労したか分かってるの? 政治工作しまくりなのよ」
さらに隠れて着いてきた妹のエレンも連携してくる。
「兄上様、アリアローゼ様の厚意を無駄にしてはいけません。兄上様は肩書きなど虚無だとおっしゃっていましたが、世間では違うのです。フォンの称号はアリアローゼ様を守るときにも力を発揮するでしょう」
「その通りです。最後にバルムンク候に後押しして貰わなければ失敗していました」
「バルムンク候が……」
「和解の印ではないでしょう。彼は〝良いものを見せてもらった礼〟とだけ言っていました。気まぐれかもしれませんが、こんな機会は一生に一度です」
「そーよ、そーよ。落とし子が準男爵とはいえ、正式な爵位を貰えるなんて滅多にないんだから」
「準男爵か……」
準男爵とは一代限りの世襲できない男爵。しかし正式な貴族であることは間違いない。
貴族になどなりたいと思ったことは一度もないが、ここで辞退をすれば朴念仁と無粋を煮詰めたような男として姫様に恥をかかしてしまうだろう。
それにこれから俺は姫様とともにこの国を改革しなければいけない。
いや、この国を救わなければいけないのだ。
肩書きなど不要と切り捨てるわけにはいかなかった。
(……俺は貴族となる。そして最強不敗の神剣使いとして姫様を守る)
決意を新たにすると、騎士の忠誠を誓ったあのうらぶれた教会で、メイドと妹に見守られながら、剣を突きつけられる。
「我の名はアリアローゼ・フォン・ラトクルス。神に造られた人々の子孫、および、リレクシア人の王の娘にしてドルア人の可汗の娘」
アリアローゼは粛々と自分の称号を読み上げると続ける。
「テシウス・エスターク伯爵の落とし子、リヒト・エスタークよ。汝、我に忠誠を捧げるか?」
あのときと同じ声が響き渡る。
「はい」
「いついかなるときも、陰日向なく、主を守り、主のために死ぬか?」
「はい」
「どのような困難にも立ち向かい、国民のために命を捧げるか?」
「はい」
アリアローゼは厳粛な表情でうなずくと、最後にこう締めくくった。
「汝こそ、騎士の中の騎士。アイスヒルクの姓を持つものよ。貴殿にフォンの称号を与えよう。男爵として我が道に光明を照らせ」
「はい」
最後に短く返事をすると、彼女の宝剣にキスをする。
こうしておれば永遠の忠誠を誓い、この国の正式な貴族となった。
周囲を見渡すと親しい人たちの笑顔で包まれている。
彼女たちはもちろん、満天の星々も祝福してくれているような気がした。
それを証拠にアイスヒルクの街の空には雲ひとつ掛かっていなかった。




