悪魔に魂を売った男
交渉の余地はない。
その意思表明であったが、その瞬間、白亜の宮殿から紫色の霧が上がる。毒の霧だ。辺りを覆いつくすような霧はやがてアレフトを包み込み、おぼろげな形を作る。
巨大な人の形になったそれは、
「やはり君は僕の脅威、いや、この星の脅威だ。バルムンク候ごと殺さなければ」
と叫んだ。
姿形はアレフトと似ても似つかなかったが、その声はまさしくアレフトであった。
「やはりもはや人間であることをやめたか」
「ああ、そうだ。僕はもうじき新たな冬の王となる。神剣使いの〝血肉〟を捧げてな」
「俺をおびき寄せたのはそのためか」
「ああ、冬の王になるためには三人の神剣使いの血肉がいる」
「俺はひとりだが」
「だが、三つの神剣を操るだろう」
「ひとりで三人分に換算してくれるのか」
光栄なことだ。そのようにうそぶくと、霧のアレフトに十字斬を放つ。
だが、手応えはない。まさしく霞を斬ったかのような感触であった。
バルムンクは冷静に言い放つ。
「無駄だ。霧状態のときは物理攻撃は効くまい」
「でしょうね。だからといって無為無策に立ち尽くすことはできない」
そう言って斬撃を放ち続けるが、アレフトには効果がなかった。
「愚かものめ、そうやって体力を使い果たすがいい」
高らかに笑いながら俺の行動を嘲笑するが、それでも俺は攻撃を止めなかった。
ただ、弁明をさせて貰えれば単純に攻撃をしているわけではなかった。攻撃を加えながら
剣に魔力を込め、炎攻撃の斬撃、氷属性の突き、雷属性の打撃、あらゆる攻撃を試す。
まったくダメージを与えるそぶりはないが。
魔法を帯びた攻撃でも有効打とはならないようだ。
しかしそれでも攻撃を続ける。アレフトの嘲笑をBGMに攻撃を加えるが、それでも攻撃を止めなかった。攻撃をしながら毒の霧の身体を切り裂く方法を考えていたのだ。
(……霧の状態ではダメージを与えられないが、向こうの攻撃も大したことはない)
時折、霧を集結させ、実体を表し、攻撃を加えてくるだけであった。メイスによる攻撃だが、避けることは容易にできた。ただ、こちらの体力は有限だからいつまでもかわすことはできないだろう。実体になったときに打撃を受けるのだから、そのときには当たり判定があるはず。つまりそのときにダメージを与えればアレフトを倒せるはず。
その結論は間違っていなかったが、やつは瞬時に霧になれるので都合良く攻撃を当てることはできなかった。
途中、三刀流を試し、三方向からタイミングを計って同時攻撃したが、やつはそれを跳ね返す。
「無駄だ。君の攻撃パターンは把握している。三方向からの攻撃程度じゃね」
嫌みたらしく笑うアレフトだが、その声に呼応するように影が忍び寄る。今まで静観していた人物が動いたのだ。
巌のように微動だにしなかったバルムンクが、隼のように動き、腰のものを抜き放った。
「ならば四方向ならばどうかな?」
残像を残しながら抜刀術を加えると、実体を表した瞬間のアレフトに抜刀術を打ち込む。
「!?」
台詞を言えなかったことを察するに想定外の一撃だったのだろう。霧状化するのが一瞬おくれたアレフトに初めてダメージが入る。
毒の霧の一部が赤くなる。
アレフトは、
「おのれえ!」
と怒りに満ちた台詞を放つ。
「バルムンク、貴様、アリアローゼの敵ではないのか!!」
「考えを異にするだけだ。共闘しなければいけないのならばする。それだけ」
「そこまで十傑が憎いか! かつて愛した〝女〟を殺した十傑の公王リッチモンドがそこまで憎いか!?」
「…………」
バルムンクはなにも答えない。バルムンクが冬の軍団と戦う理由、十傑と敵対する理由はそこにあるのかもしれない。バルムンクと父テシウス、それと冬の王となったリッチモンドとアレフトが言う〝女〟、この四者になにかあったことは明白であるが、彼がそのことについて語ることはないだろうし、尋ねる必要もない。今、必要なのは続けざまにダメージを与えることであった。そう思った俺は詠唱をしながら印を切る。
『振動無き世界の渇望の女王よ、
絶対零度の闇を照らせ。
氷雪の高原に祝福の接吻をし、すべての男の魂を凍てつかせよ』
古代魔法言語で禁呪魔法の放つ準備を始める。
俺が最強の氷系禁呪魔法を放とうとしていることを察したアレフトは続けざまに舌打ちする。
「糞ッ、気がつきやがったか」
「どういうこと?」
先ほどから戦況を見守るマリーが叫ぶ。俺は彼女に解説する。
「マリー、液体には、三つの状態があるのを知っているか?」
「ええと、気体と液体と固体?」
「正解。ちなみに霧はどの状態だと思う」
「気体に決まってるっしょ」
「違う。湯気も同じだが、可視化できる状態の液体はすべて液体だ」
「まじで!」
「ああ、初歩的な錬金術の教本にも書いてあるよ」
「じゃあ、液体ならば固まるってこと?」
「そういうこと」
「固まればダメージ通る!」
単純な発想であるが、発想は単純なほど効果がある。それはアレフトの焦りが証明していた。アレフトは固体化することを恐れたアレフトは拡散することで逃れようとするが、それを許さなかったのはバルムンクだった。彼は螺旋状にステップを踏みながら斬撃を放つ。すると竜巻が発生し、霧の拡散を防いだ。一糸乱れぬ連携であるが、事前の打ち合わせはない。あうんの呼吸での連携だった。
「リヒト、いまだ。凍てつかせよ!」
「分かっている!」
ふたりの声が重なると同時に俺は氷雪の女王を召喚する。氷系の禁呪魔法の究極系であるが、蒼い肌を持った絶対零度の女王はあっという間に霧を凍らせると、いくつもの氷の岩を作り出した。二七の氷の岩となったアレフト。こうなればやつは無敵の存在ではなくなる。
俺とバルムンクは二七の岩を無言で破壊していく。
ティルフィングによって七つ、グラムによって六つ、エッケザックスによって三つ砕くと、残りの一一個をバルムンクが砕いた。
砕くたびにアレフトは絶叫を上げ、氷が赤く染まる。ダメージどころか致命傷を与えた証拠である。事実、最後のひとつを破壊したとき、やつはこの世のものとは思えない断末魔の叫び声を発する。
「ぐぎゃあああぁぁ」
およそ無敵の存在であったはずの自分が痛覚の存在を思い出した、そんな叫び声であるが、同情の気持ちは一切湧かなかった。
哀れな毒使いの最期を見届けると、俺は飛び散ったやつの破片を集める。そこからレモンを搾るかのように血液を絞り出すと魔法陣を組む。即席で血清を作るのだが、野外で作るのは初めてだった。上手く行くだろうか、などと悩んでいる暇はない。アリアの胸の痣はもはや心臓の真横まで達していた。あと数分で蒼い蜘蛛の毒針がアリアの心臓に突き立てられるのは明白だった。
「間に合えーッ!」
魂魄の気迫で時を止める。
時間との勝負であったが、蒼い蜘蛛が姫様の心臓の真上に到達し、その針を心臓に突き立てようとした直前、俺は錬成に成功した血清を彼女の心臓に注入することに成功する。
アレフトの血から作り出した血清は瞬く間に効果を発揮する。入れ墨のように姫様の肌に癒着した蒼い蜘蛛がもだえ苦しみ始め、姫様の肌の上で暴れたあと、仰向けになり死を迎える。やがて姫様の肌の蒼い入れ墨は徐々に薄れ、それと同時に姫様の顔色と呼吸が常人に近づいていく。
その光景を見て飛び跳ねんばかりに喜ぶマリー、俺とて喜びは禁じ得ないが、マリーのように表情を崩すことはできなかった。
悪魔に魂を売った男がこの程度でくたばるとは思っていなかったからだ。




