第九十六話 イスタンブール
とりあえず、最も有名らしいブルーモスクに来た。白地に青の大ドームを持つ世界遺産らしい。
テンションが上がっているレンさんの案内であまり迷うこともなく着いた。
『綺麗だね!』
レンさんの方が⋯⋯ と言おうとして口をつぐんだ。違うそうじゃない。
そう言うこととは無関係に、ブルーモスクの外観は美しいの一言に尽きた。
観光客も多い。
ところどころ、重装備の強者が混じっているけど、これはおそらくどこかにダンジョンの入り口があるんだろう。
世界遺産は殆どダンジョン化しているらしいからな。
レンさんがダンジョンの匂いを嗅ぎつけて興奮していた。
俺たちは行かないからなと言うと、とても残念そうに苦笑いしていた。
大きな中庭からは回廊と、そのさきにモスク本体のドームが見える。
修学旅行で行った東大寺に似ている気がする。
海外旅行は言葉が通じないから普通は不安だけど、俺には「言語伝達」があるので、どの言葉の意味も理解できる。日本国内旅行と同じくらいの感覚というのは言い過ぎだが、そんなにハードルは高いものではない。
異世界主人公、ヌルゲーだな⋯⋯ 。
ほんと職業能力が解放されて良かった。
中に入ると、窓が全てステンドグラスになっていて、陽光が青色の光として散乱している。
これが世界遺産か。すごいな。
サトラも、感心したように呆けている。
「サトラ、どうした?」
『なんだか昔を思い出す気がする。』
「え?」
俺は焦る。彼女の過去は生半可な覚悟で触れていいものではない。
彼女がうなされるのを俺は何度も見ている。
『大丈夫。ただ、綺麗だなって思っていただけだから。』
透明感のある微笑を浮かべて、サトラは先に進んだ。
先にはレンさんが手を振っていて、こちらに呼びかけている。
「今行く!」
彼女が、過去を乗り越えてくれているのなら、こんなに嬉しいことはない。
その希望は見えた気がする。
●
イスタンブールで最も美しいモスクことブルーモスク。
キリスト教の教会だったが、オスマン帝国時代に改装されてモスクとしての役割も担うようになったアヤソフィア。
その二つの観光名所の中間には、大きな公園がある。
スルタンアフォメット広場だ。
整備された芝生に刈りそろえられた木々。さらにはオレンジの花壇。
噴水が吹き上がり、人々はベンチで休んだり散策したりしている。
4本の尖塔に囲まれたブルーモスクと、6本の尖塔に囲まれたアヤソフィア。
その両者が望め、ロケーションは最高だ。
近くにアイスの屋台があったので、買うことにした。
サトラに毎日アイスを食べさせると言っておいて、なかなか実行していないからね。
今となってはあまり気にしていないようだけど、たまにあげると目を輝かせて食べるので、大好物なのは間違いないだろう。
今、屋台の人がアイスを作るのを見てるんだけど、これは何。
俺が知っているアイスとは別物なんだが。
まずめちゃくちゃどろっとしている。店の人がかき回しているのに、そのヘラにどろっと付いてきてお餅か何かを思わせる感じだ。
えっ、これアイスなの?
恐る恐る受け取る。
なんかカップコーンに入った白いものがどろっとしていてへたってるんだけど。粘り気がありそう。なんでアイスに粘り気があるんだよ。
首をひねりながらも二人が待つベンチに向かう。
美味しそうに食べてる人は何人もいるし、大丈夫だ。きっと。
『ありがとー直方ー!』
レンさんは笑顔で受け取ると、美味しそうに食べ始めた。
⋯⋯ いやいや。騙されてはいけない。レンさんは、うなぎパイを美味しいといいながら食べるような人だ。
味覚的に信用するのはいけない。
「ほら、サトラも。」
『ありがと。嬉しい。』
太陽の下で褐色白髪美少女ににこりとはにかまれると、こちらの心臓がもたないんですけど。
助けてくれ。サトラが可愛すぎる。
そのままアイスにかぶりついて、伸びる様子に目を白黒させている。可愛い。
だめだ可愛いの過剰摂取だ。
これ以上は身がもたない。
俺は自分もアイスを食べることにした。
とても暑いし、アイスを食べたい欲がすごい。
パクリ。ほうほうこれはなかなか。
粘り気のある食感とアイスが合うものなのか半信半疑だったが、なかなかどうして侮れない。
喉の方に絡まり付いて、それを飲み下すのが癖になるというか。
いやこれやべえ。喉に詰まった。
「み、水⋯⋯ 。」
餅を詰まらせるのと同じ原理なんだけど、高齢者の死亡原因の一つにあげられるやつじゃん。
いやだよ死にたくない。
俺の様子がおかしいのに気づいたサトラが、迷わず水を生成する。
こんなところで水魔法使ったら怪しまれるだろう。でも、純粋に俺のことを心配して、そうしてくれていることがわかるので嬉しい。
それを、なんとか、口に⋯⋯ 。
ダメだ。体がパニックになってる。
手がうまく動かない。
『⋯⋯ っ。我慢して!』
彼女は水球の中に首を突っ込むと、すぐに俺の正面に立つ。
水を含んだ頰を見れば、何をするかは明白だ。
いいのか?初めてだぞ。
そんな迷いの間も無く、彼女は唇を俺の唇に合わせて、水を流し込んだ。
粘ついたアイスの残滓が溶け出していく。
なんとか、喉が復活した。
目の前のサトラの目が近い。それにギリギリ怯まずに、頷いてみせた。
ちょっとだけ不安そうに彼女の瞳はきらめいて、そして唇が離れた。
「ありがとう、サトラ。本当に助かった。⋯⋯ よかったのか? あんな形で。」
『良かった。仁が無事なら、私は大丈夫。』
何か噛み合っていない気がする。
でも、唇にはさっきの感触が残っている。
一歩前進と思おう。
『もう、二人だけの空間を作らないで。逃げるよ。』
頰を空気で膨らませたレンさんに言われて気づいた。
こんな一般人だらけの場所で魔法を使ったら、確実に問題になる。
ダンジョンができて七年が経つとはいえ、世間はまだまだ、異能に厳しい。
魔法所得者が少ないのも原因かもしれない。
とりあえず、今大事なのは、警察と思しき人々がやって来ているということだ。
⋯⋯ 面倒なので逃げよう。
レンさんにつづいて俺たちもその場から離脱する。
そういえば、俺の身体能力ダンジョンじゃないから落ちてるじゃんあちょっと待ってレンさんサトラ置いていかないで⋯⋯ !
気合いで追いついた。
とても疲れた。




