第三十四話 アイスを食べさせよう
ついに帰宅を達成した。
帰りつけてよかった。
普段はなんとも思わない部屋のシンプルな内装が、不思議と落ち着く。
サトラも安心しているみたいだ。外にいた時より雰囲気が柔らかくなっている。
流石に飯を作る元気はなかったので、途中でスーパーに寄って、弁当を買い込んできた。
サトラは少し残念そうだったけど、我慢してもらうしかない。
くっ。料理人スキルを伸ばす時間が取れないぞ。
どうにかして称号だけでも取れないだろうか。
もし選べる機会がくれば料理スキルを手に入れよう。
弁当はレンジで温めたら、悪くない味になった。
さすがは文明社会である。
流石に物足りないと思ったので、アイスを買ってきている。
サトラはおっかなびっくり舐めている。初めて食べるらしい。
その様子が面白くて少し笑ってしまった。
とはいえ恐る恐るだったのは最初だけだった。
雷に打たれたような表情をして、すごい勢いで食べ始めた。
気に入ったようだ。
でも、それ、多分頭が痛くなるぞ⋯⋯。
でも、サトラは、満足げに食べ終えてしまった。高レベルの恩恵がこんなところにも表れているらしい。俺はまだそんなレベルには達していないためちまちまと食べるしかない。
そんな俺のアイスを、彼女は羨ましげに見つめる。
⋯⋯食べたいんだろうな。そんなにアイスを気に入ったのか。
「やろうか?」
『もう直方の分しかないじゃん。悪いよ。』
「そんなこと言っても目は正直だぞ⋯⋯。」
俺の手のアイスに釘付けである。
左右に振ってみると、それに合わせて彼女の目が動く。面白すぎる。
流石にからかいすぎるのも悪い気がしてきた。
ダンジョンでずっと世話になったし、これくらいあげるか。
「ほら、あげるよ。口を開けて。」
『こう?』
彼女は口を開いた。
赤い口腔がそこはかとなく⋯⋯いや、はっきりと言ってエロい。
褐色の肌と対比しても鮮やかで美しい。
それを見るのがなんとなく気恥ずかしくて、俺は彼女の口にアイスを突っ込んだ。
『美味しい。』
彼女は恍惚とした表情でそれを舐める。
なんだかいけないことをしている気分になってきた。
及び腰になって、アイスを引き抜こうとする。
彼女の舌が絡み付いて離そうとしない。
四苦八苦して諦めた。
彼女がアイスを舐めるのに任せる。
ひょっとして、これ、俺が律儀に棒の部分を持っている必要はなかったのでは。
それに気づいた時は、すでに彼女はアイスを食べ終えていた。
幸せそうな表情をしていたから、目が離せなかった。
言い訳でもあるが、本心だ。
いまだに心臓がどくどくと脈打っている。
今回に関しては俺の自爆だった説もあるな⋯⋯。
あの人から言われたことが頭に残っていたから変なことをしてしまった。
⋯⋯でも彼女も嫌な顔はしていなかったし、大丈夫だったのでは?
アーンしてもいいんだな。いけるぞ、俺。
『お風呂、先にどうぞ。』
「俺の残り湯は嫌だろ。」
『そんなことない。それに、どう見ても直方の方が疲れてるんだし、先に入って。』
真剣な調子でそんなことを言われたら俺も頷くしかない。
俺のことを気遣ってくれる彼女が愛おしくて、それがどうして放たれた言葉なのか考える余裕はなかった。
二日ぶりのお風呂は、ダンジョンでの疲れを洗い流してくれるようで気持ち良い。
このままこれからの方針を立てたいところだが、流石に疲れていて頭が回らない。決めなくちゃいけないこととかやらなくちゃいけないことがたくさんあるはずなんだけど。
風呂場から出た。
サトラはこちらの姿を見て、少しだけ驚いたような顔をした。
でもすぐに、何事もなかったように言う。
『じゃあ、私も入るね。疲れただろうし、寝てて大丈夫だから。』
その言葉は気遣いから来たもので、俺は嬉しかった。
俺はとても疲れている。
このままベッドで眠れたら、どれほど幸せだろうか。
ちょっとだけ違和感が脳を掠めたが、圧倒的な疲労感が全てを押し流した。
風呂場のサトラの肌を想像して妄想をたくましくすることもなく、俺はベッドに入り、目をつぶった。
視界が全て暗黒へ堕ち、俺は夢すら見ない眠りにつく。
声が聞こえた気がした。
この世で一番好きな女の声。それは、俺に感謝を伝えていた。
背中がむず痒くなる。俺はただ、俺のやりたいようにしただけだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
だが、その声の主はそう思っていないようだった。
『君の献身に応えるどころか、迷惑をかけてしまっている。』
後悔をにじませたセリフだった。
そんなことはない。そう言おうとして、眠りに妨げられる。俺は、寝つきがいい方なんだ。寝言も言ったことがない。
『だから、私は行くよ。さよなら、直方。』
暖かな気配が俺から離れていくのを感じる。
くそ。呼び止めなければ。
意志の力を最大限に発揮して、回復しようと必死な体を無理やり叩き起こす。
これでお別れなんて、ダメだ。嫌だ。許さない。
頭の上からギリギリと万力で瞼を閉めようとしてくる力に抗いながら、俺は上体を起こした。
玄関で扉が閉まる音が聞こえる。
待て。待ってくれ。
まだ、そのドアを開けて出た程度。まだ間に合う。
絶対に間に合わせる。
俺は、跳ね起きて、外へ向かう。
目は完全に冴えていた。




