第百四十三話 神の落とし子
レンは口を押さえながら、納屋の中に隠れていた。
ずるり、ずるり。重い体を引きずる音がする。
それは、レンのすぐ近くから聞こえてきた。
ホラー耐性はある方だと思っていたレンだが、こいつは訳が違った。
なにせ何も見えないのだ。
重いものを引きずる音がするはずのその場所には、闇があるばかり。
ただ、醜悪な匂いだけが、その接近を知らせてくれる。
道でかち合ったレンの判断は早かった。
すぐに逃げ、隠れられるところを見つけてやり過ごす。
謎の状況だ。体力を無駄にはできない。
だが、重いものを引きずる音も、ひどい臭いの発生源も、隠れた場所のすぐ近くをうろついてばかりだ。
もともと徘徊するタイプなのか、レンの位置を大まかにでも理解しているのか。
前者だったら隠れたのは判断ミスだし、後者だったら危険すぎる。
一か八か逃げるしかない。
レンは覚悟を固めた。
轟音がした。近くの森が、発火したようだった。
怪物の意識がそちらに向くのを感じる。
レンはその隙を見計らって、全力で駆け出した。
何かがあるとしたら、森だ。
そちらに行けば安心できると思う。
レンは自分の直感を大事にするタイプだ。
技能「鑑識眼」にも、危険はほとんどないと写っていた。
それに従う。
走りながら、後ろをちらりと見た。
怪物は、炎に照らされて、その姿を晒していた。
やけに大きな胴は転がした樽のようで、ぶよぶよとしていて、手の部分は触手。
顔は普通の人間なのが、さらに嫌悪感を誘う。まだ胴体が蜘蛛の方が良かったかもしれない。
ホラーにしても勘弁してほしい。
自分の正気度の減少を感じながら、それでも向こうに行けば大丈夫だろうと、レンは明るい森へと駆けていった。
普通に炎の森を抜けられなかったのはご愛嬌である。
火勢が鎮まるのを待つしかなかった。
森の発火は、基本的に大災害の一つだ。
炎魔法だけでは解決はできない。
レンは、やきもきしながら炎が消えるのを待った。
怪物は炎が苦手なのか、近づいてこなかったのは幸いだった。
●
炎が燃えているのを見て近づいていくと、レンさんと合流できた。
最初は、記憶が混濁している様子だったが、話しているうちにどんどん元のレンさんに戻っていった。
俺も最初はサトラのことがわからなかったし、このダンジョンの仕様と言ったものなのだろう。仲間と合流できれば戻るというところまで含めて、ギミックの一つと考えても良さそうだ。
レンさんの話によると、向こうの農村に、ひどい悪臭を放つ化け物がいるということだった。
ボスモンスターとは言わないまでも、中ボスである可能性は高い。
俺とサトラがいれば、間違いなく勝てるだろう。レンさんも合流したってことは、俺にはレベル2.5倍補正も乗るわけだしな。
ただ、悪臭を放つモンスター相手に積極的に向かっていきたいかというと答えは否だ。
他に手がかりがないというなら話は別だが、まだ探索していない場所は多い。
それに何より、ナルデとの合流がまだだ。
彼女なら、この場所に関する深い考察をしているだろう。
どちらかといえば脳筋気味なこのパーティにおいて、彼女は必要不可欠だ。
ナルデとの合流を優先したほうがいいだろう。
しかし、ここまで燃えた火災でも、ナルデが寄ってくる様子はない。
レンさんは寄ってきたんだから、間違いではなかったはずだが、ナルデと合流するためには、別の方策が必要なようだ。
今まで経たフィールドは、街、公園、森。そして、レンさんがいた農村。
あとは、公園で見えた海だろうか。
海の方を探索するのは悪くないかもしれない。
謎がありそうだったし、ナルデがそっちに行っているというのは、ありえないことではない。
方針は固まった。
二人に話そう。
そこで、空気の変化に気づいた。
『仁、気をつけて。』
サトラが言う。
「空気が違うな。」
焦げ臭い匂いを覆い隠すように、重苦しい気配がこの辺り一帯を覆っている。
『これは、あいつ、の。』
レンさんが、恐慌を隠した顔でそう言った。
あいつ。
レンさんが逃げてきたと言う、化け物のことか。
彼女のトラウマになっているようだ。
「大丈夫だ。今は俺とサトラがいる。逆に返り討ちにしてやる。」
『そう、だね。二人とも強い、もんね。』
蒼白ながらも、少しだけ人心地を取り戻したようにレンさんは微笑む。
うん。予定変更だ。とりあえずこの相手を倒そう。
後顧の憂いなく、探すことができるようにしよう。
鼻が曲がるような悪臭が、広がってきた。
これが、怪物の匂いか。
これを我慢しながら戦うのは骨だぞ。
とはいえやるしかない。
闇を裂いて、奇怪な音が鳴り響く。
発生源らしい方向に目を向ける。
闇が濃くわだかまり、何も見えないが、確かに技能「鑑定」には映っている。
神の落とし子・ウェイトリー
Lv 447
技能「透明化」「悪臭」「悪食」「暴食」「触手」
称号「ダニッチの妖」「外なる神の子」
うーん。この前から邪神系に対する縁が深すぎてビビるぞ。やめてくれないかな。
どう考えてもこの前の夜に吠えるもの案件だよねこれ。
触手もあるもんね。
とりあえず、あのンガイの森ほどの絶望感はない。
透明化してはいるけど、鑑定のおかげで大体どこにいるのかはわかる。
あとは、技能「暴食」が七大罪系の技能でめちゃくちゃ強いとか言うことさえなければなんとかなると思う。
「とりあえず小手調べだ。魔法をあの辺りに向かって放ってくれ。火がいいな。」
『敵の位置がわかるの?』
「俺の技能だ。」
『わかった。』
『りょーかい。』
自然体のサトラと、震えながらのレンさんが、同時に炎を放つ。
レンさんの話だと、炎に対しては姿が映ったと言うことだったから、あぶり出すと言う意味で、有効だろう。
山火事に対して近づいてこなかったと言うのもプラス要素だ。
うまくすれば、これだけでいけるのではないだろうか。
やっぱり魔法だな。昔の人類には使えなかっただけはあるよ。
俺は使えないけど。
いやいやそう言うことは関係ない。俺は最後にとどめをすればいいだけだ。
弱ったところをグサリ、だ。
しかし、そうは問屋がおろさなかった。
サトラとレンさんの巨大な火炎は見事に、目標に着弾した。
着弾して、周りの燃え残った木に火をつけて、その怪物の醜悪な形をあらわにした。
だが、怪物の技能「暴食」だろうか。
肌を焦がすはずの炎は、その怪物に触れるとすぐに消えた。
魔法無効の技能はなかったから、そちらの効果のはずだ。
となると、魔法は無効化される。
その上、吸収した炎を放出される可能性もある。
となると、接近戦しかない。
「サトラ、水魔法の用意をして、接近戦を仕掛けるぞ。」
『任せて。』
『私は?』
「レンさんは退路を守っていてください。あと、バフを。」
『歯がゆいけど仕方ないか。技能「鼓舞」。頑張れ!』
レンさんの技能に背中を押されるように、俺とサトラは飛び出した。




