第百二十四話 夜に吠えるもの
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闇の奥から笛の音が聞こえた。
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「今の、聞こえたか?」
俺は四人に確かめる。
不思議なほどに澄み渡った笛の音だった。
この鬱蒼とした森で、アメリカ軍が外を固めている場所で、そんなものが鳴っている。音は綺麗だったが、不気味さは隠しきれない。
四人ともに頷く。
幻聴かと思ったが、そうでもないようだ。
「ナルデ、誰が奏でたかわかるか?」
『やってみよう。』
ナルデは頷いて目を瞑った。
技能「借視」を用いて索敵をしているのだ。
全ての生物の目を借りることができると彼女は豪語する。
笛の音は断続的に聞こえている。
生き物の目を辿りながら近づくことは十分に可能だろう。
あとは無防備なナルデを俺たちが守ればいい。
だが、先ほどまで行われていたはずの散発的なモンスターの襲撃はなかった。
奇妙な違和感を得る。
まるでモンスターたちがあの笛の音を恐れて、逃げ出したかのような。
そんなバカなことがあるはずがない。
あれはただの笛の音だ。ダンジョンの魔物に影響を及ぼすなどあり得ない。
『⋯⋯視認しました。』
ナルデの口調が少し変わる。
この真面目な感じ、アテナ様か?
何故。
『あれはまずいです。尋常のものでは見ただけで正気が失われます。ナルデの精神をブロックしないと彼女も発狂するところでした。』
恐ろしいものを見たと、アテナ様は震えながら言う。
神である彼女が震える。
この森に潜むものがどれほどのものなのか。
嫌な予感がする。
『⋯⋯!気づかれました。』
アテナ様が一気に緊張する。
笛の音がいつの間にか耳を聾する轟音に変わっていた。
先ほどまでの清澄な音から吐き気を催さんばかりの邪悪な音に変化している。
『見てはいけません。見ずに倒してください。⋯⋯サトラ、それから直方はもしかしたら大丈夫かもしれません。私だけで守りきれない時は頼みます。』
ずるずると重い物が引きずられているような音がする。
目を瞑らなければ。
その思いと裏腹に、俺の目は開かれたままだった。
大丈夫。俺には技能「精神力」がある。おぞましいものでもきっと耐えられる。
それに、鑑定をしなくては。
対策も立てられない。
姿が、現れる。
夜の笛従者
Lv500
技能「音乱」「触手」
称号「無貌の神の使徒」
身の毛もよだつような音を響かせて笛を吹く怪物。それも二体いる。
それらは、間違いなく醜悪な生き物で、触手がうねうねと蠢いていた。
およそ生物の構造をしていない。
腹から突き出た腕に握られたフルートが、鈍く光っている。
とんでもない不気味さ。
だけど、それはまちがいなくただの前座に過ぎない。
その奥。小山のようにそびえるもの。
それは、端的に言って絶望だった。
夜に吠えるもの
Lv999
技能「触手」「狂乱」「侵食」「変身」「不可侵」
称号「無貌の神」「土の四大霊」「外なる神」
「おおおおおおおおおああああええあえああううううううう」
長い長い音が星空の下で響き渡る。
なんの意味も込められてはいない。
それでもそれだけで怖気を振るうに足る音。
それを発したのは、当然のように触手を備え、そこかしこに手を突き出した異形。体長は5mほどはあろうか。見上げんばかりの異様な威容。
円錐形の頭部は瞳もないのに、こちらを確かに認識していた。
いつか見たサトラの夢に出てきた怪物と勝るとも劣らない怪物だった。
Lvも999。これが上限と見るべきか。
レベルの枠外にはみ出している可能性もある。
ともかく、クロノスよりも上、明確に格上の相手だ。
それに加えて見ているだけでどんどん正気が失われていくような感覚。
さらに音もこちらを乱心させる奇怪さだ。
ただでさえ強い。
だが、それ以上に異質で、恐ろしい。
そんな相手だ。
ダンジョンの魔物とはまた性質が違うように思える。
だが、それを考察するのは後回しだ。
「アテナ様。いけますか?」
『私ならって言いたいところだけど、ここに私の本体がいてもあれとは同格でしょう。』
神で同格。
まじでやばい。
サトラは⋯⋯。
しっかりと目を開けていた。
怪物を見つめる眼差しに、微かな憎悪が灯っている。
あれを敵だと、認識できた目だ。
彼女は大丈夫。そう確信できた。
「レンさんとリンさんは絶対に目を開けないでください。」
間違いなく正気を失う。
「アテナ様。勝ち筋はありますか?」
『ありうるとしたらナルデの探求だけです。時間を稼いでもらえれば、打開の策を見つけます。』
「十分です。」
俺は覚悟を固める。
サトラとうなずきあう。
「デカブツの攻撃に警戒しつつ笛たちをやっつける。」
『わかった。』
笛従者の方もLv500。一筋縄ではいかない相手だ。
ひとまずこちらを片付ける。
「右から行くぞ。」
『了解。』
返事は簡潔。
それでもお互いに解り合っている。
奇妙な確信が俺を包む。
俺とサトラは一斉に飛び出した。
怪物たちは戸惑っているようだ。
こちらが向かってくるとは考えていなかったらしい。
右手に紅葉刃、左手に千鳥。
二つの武器で、お前らに勝つ。
望みはある。ならベストを尽くすだけ。
なに、死線なら、ゴブリン相手に何度も潜っている。
それと同じだ。
強者になろうと変わらない。
俺は今日も、死を越える。




