蛇足3 ある冬の日の出来事(2/3)
レヴィアは何度も首を振ってツインテールを揺らしながら必死に引きとめた。金のアゴヒゲが抜けそうになった。それで一応、黒ヤギ姿のペティアッパーの帰宅への動きは止まった。
相変らず難色を示し続けていたが。
「ねえレヴィア、そもそもさぁ、約束もしてないのに急に連れてくるなんてのが、魔族の流儀に反するよね」
そこでレヴィアは、思い通りにならないことに癇癪を起こした。
「どうして言う事をきいてくれないんですか! 幼馴染なのに!」
「はぁ? そんなのが無条件でお願いをきく理由になるもんか」
「こないだ命を助けてあげたでしょう!」
「それは……そうだけど」
そこでリボン姿のコイトマルが横から、
「ああ、いつぞや人間に捕まって闘技場で戦わされてた魔族の方ですね。思い出しました!」
フリースたちの旅の終盤に、大勇者試験というイベントがあった。その際に、捕らえられていた彼女は八雲丸という強者と戦わされた。殺されないために人形スキルを駆使して必死に戦ったが、全く及ばず、首を斬られる寸前にレヴィアが助けに入ったことがあった。
当時、コイトマルは、フリースのフードのなかで繭状態だったものの、フリースの瞳を介して、その時の様子は細かに把握していた。
突然コイトマルが会話に入ったことを不快に思ったのか、ペティはレヴィアに向けて、
「は? ねえ、なにこいつ、リボンの分際で喋ってんの? てかこいつ誰?」
「今回の依頼主です。人形に自分の魂をいれてほしいって」
レヴィアの返しに、コイトマルは呆れたような口調で、
「コイトマルは依頼なんかしてないんですよね。でも自由に動ける身体があると嬉しいのは確かですけれども」
そんな時、歩道から息をのむ声がきこえてきた。レヴィアが振り返ってみてみると、眼鏡をかけた男が一人、興味深そうにヤギを見つめていた。
「なんだこの生き物は。新種のヤギか羊かもしれない。これは写真をとって先生に連絡を……クソッこんなときにスマホが電池切れとは、ツイてない。とにかく捕まえる道具をとってこないと」
男は小走りで去って行った。
レヴィアの頬を冷や汗が伝った。
もしかしたら騒ぎになってしまうかもしれない。
「ペティちゃん。お願いがあります。人の姿になってください」
「は? 人間の姿に? あたしが?」
「そうです。偽装スキルなんて、簡単に使えますよね。ヤギ型のままだと、目立ちすぎちゃうんです」
しかし、ペティ・アッパーは、静かな怒りを込めて返す。
「嫌に決まってる。人間の姿なんて願い下げ。断固拒否らせてもらう」
レヴィアは、「何でですか!」と強い怒りを表明した。
喧嘩になった。
ペティはモコモコヤギの姿のまま襲いかかった。
それをレヴィアはひらりとかわした。
何度も突進し、そのたび、うまくよけた。
巻角が太い樹木を貫き、なぎ倒す。
「どうしてやり返してこないの! バホバホメトロ族の誇りを忘れたの!」
どれだけ言われても、レヴィアは人の姿のままだ。
「勝てたら何でも言うこときいてあげてもいいけどね! 弱いやつのためになんか、何もしてやらないから!」
何を言われても、レヴィアはもう返信もできないし戦闘力もない。すべてのスキルを失うのと引き換えに、人間になったのだ。
望んだ反応が全く得られないことへの怒りは、ペティのほうも同じだった。
怒りが怒りを呼び、頂点を迎えた。ついにペティは魔族の姿になった。
深い紫色をした筋骨隆々の肉体。背中からは翼が生えていた。ヤギか牛のように見える頭には、鋭利で巨大なねじれた角があり、爪先立ちで、手足には長く伸びた爪を持つ。目を真っ赤に光らせた人型の化け物。
いかにも悪魔的なシルエットがおそろしい。
魔族はレヴィアを見下げながらいう
「人間の姿になれだって? 力を失った弱き者の願いなど、きいてたまるか」
魔族は親友に殺意をもって殴りかかった。
そのままマトモに当たれば、命はない。人間のちいさな身体など、ばらばらに千切れてしまうだろう。
思わずレヴィアは目を閉じた。
甲高い音が響いた。
目を開いたとき、宙に浮く刀が見えた。
よく見ると、それは形こそ刀だが、すべて青白い氷でできていた。
「何が……どうなったんですか?」
少し離れた場所に、魔族型のペティが見える。二筋の溝で地面がえぐれているのは、後ずさりした跡だろうか。
刀のまわりに冷気が集まっていく。
いつの間にか枝を離れていたリボンが、ぐるぐる螺旋状に巻かれることで柄の部分を形成していた。
やがて刀はいっそう巨大化した。それだけではなく、その刀をもつ腕がはえてきて、結晶化していった。
さらには、かつて異世界でひらひらと飛んでいた頃の、羽化した後のコイトマルの姿があらわれた。
魔族に負けないサイズの、人型の氷細工が、宙に浮いていた。
和風の装い。袴からはみ出す細い脚。上半身に羽織っているのは真っ白な長袖の胴着で、袖の部分が膨らんでゆったりしている。背中から美しく透明な羽根が広がった。
目はパッチリとしていてかわいらしいが、中性的な顔立ちをしている。青白い髪は真ん中で分けられている。
頭からは、二本の触覚のようなものが生えており、やや内向きに湾曲した水牛の角のようだ。髪をとかすクシのように無数の隙間があった。
美しい氷の芸術は、ぱりぱりと剥がれたり、くっついたり、ひび割れたりする音を立てながら、滑らかに空中を動いていた。
魔族が攻撃した。コイトマルの刀が魔族の爪を防ぎ、じりじりと押し返す。
離れ、つばぜり合いをし、何度も打ち合って、そのたび火花が散った。
一進一退の攻防が続いた。
コイトマルは、強く頼もしい声を出す。
「周辺の冷気が今、この刀に集まっておりますよ」
「それって大丈夫なんですか?」とレヴィア。
「言ってる場合じゃないでしょう。このままだと、レヴィア様が助かりませんから!」
そうして、コイトマルの氷の刀が、強く縦に振るわれた。
刃の部分だけが分離した。勢いよく飛んでいく。
鋭い氷の刃は魔族を襲う。
魔族が持ち上げた腕に深い傷をつけ、それだけでは収まらず、角に突き刺さって止まった。角は一部が砕け、なんとか刃が引っかかっている状態だったが、もう折れて落ちそうな状態だ。
魔族は、「えっ、あっ……」と低く、くぐもった声をもらした後、しばらく呆然とした。やがて自慢の角が傷つけられたと気付いた。
無言のままの魔族が震えた手で、傷ついた片方の角に触れたとき、突如として街中が暗くなった。
青かった空は暗雲に包まれ、一気に天候が崩れ、大粒の雪が降って来た。
レヴィアは慌てて「ペティちゃん、落ち着いて!」と声を張ったけれど、一族の誇り、その象徴である角を傷つけられた彼女はもう親友の声も耳に入らなかった。
大きな氷の剣士コイトマルは、勇ましく言い放つ。
「離れてください、レヴィア様」
「お願いします。ペティちゃんを……止めてください」
目の前の魔族を止めて欲しい。その願いを、コイトマルはすぐさま引き受けた。
「ご主人の親友であるレヴィア様を守るのは当然のつとめ! まあ……そう簡単なことではないですけどね。それこそ、このまちの冷気を一箇所に集めて、やっと互角ぐらいでしょうか」
氷の剣士コイトマルは、言いながら地に手を触れ、これまでよりもいっそう白く、大きくなった。そして力強く声を出すのだ。
「――でしたらもう、冬が今日で終わったとしても!」
コイトマルが刃先を向けた。魔族を取り巻く大気の気温が一気に下がった。
魔族が思わず思い切り後ずさりした時、樹木の枝に傷ついた角をぶつけて、ついに折れてしまった。
異世界で最強格だった魔族は、ちいさくしぼんで、ヤギ型になった。
かと思ったら、すぐに片方だけ角の生えた人型になって涙目でレヴィアに駆け寄り、すがりついた。
ペティのそばかすの上を、涙がひとすじ流れて落ちた。
「コイトマルの勝ちですね」




