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ファイナルエリクサーで乾杯を  作者: 黒十二色
第十二章 隔てられた世界

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303/334

第303話 織原久遠の世界 蕾ばかりの桜の下で

 マリーノーツに導かれた日、俺は川沿いを散歩していて転落した。


 あの日と同じような場面を再現できたら、もう一度マリーノーツに行けるかもしれない。


 そんなことを思いながら散歩に出かけた。春休みだから、時間があるのだ。


 むかし好きだった人は、もともと引っ越しが決まっていたらしくて、遠くの街に行ってしまった。それに加えて現在好きなレヴィアにも会えない。だから、これは女性に振られて失意の散歩をしているという前回の状況と非常に近いと言えるのではないか。


 修理された柵に手をついたり、ちょっと揺らしたりしながら、川の流れを眺めていたけれど、何も起こらなかった。


 柵を乗り越えて三メートルくらいの高さから飛び込んでみたけれど、何も起こらなかった。


 危なかった。大ケガをしてもおかしくなかった。


 あまり綺麗とは言えない水に足と手をついて、ちょっと不快になった。


  ★


 どうにかして、異世界に行けないものか。


 レヴィアとの約束を果たさないまま年齢を重ねていくというのは、たとえ神聖皇帝が許しても、俺自身が許せない。絶対にだ。


 俺は一度、ひとりぐらしの家に帰り、川に飛び込んで汚れてしまった手足を洗い流してから再び出かけた。


 勇気のジャンプを繰り出しても異世界転移できなかったわけだけれども、なんとなく水のある場所は異世界に繋がっている気がする。


 俺は川沿いの道を歩き、水源を目指してみることにした。


 この川は、善福寺池という湧き水のある場所に繋がっており、たいてい閑静な住宅街を流れている。そして、やがて神田川という、いかにも神っぽいものが関わってそうな名前の川に合流する。


 川沿いは広域にわたって緑地公園として整備されていて、桜の名所が点在していたりする。


 まさに今朝のニュースで桜が咲き始めたと言っていた。もう少しすれば最高の散歩道になる。


 咲き始めの枝だらけの桜を見上げながら進んでいく。


「まだ、もうしばらく先だな」


 満開になれば美しい桜の道なのだが。


「――っと」


 地面の凸凹(でこぼこ)に足を取られ、転びそうになった。


 なんとなく恥ずかしくて、誰にも見られていないよな、と周囲を見回したけれども、ウォーキングをしている人影は遠く、こちらを気にしているわけでもなくて安心した。


 足下を確認して顔を上げた時、一瞬だけ、視界が満開の桜に満たされたような映像が浮かび上がった。


 質素なコンクリートの小さな橋に白い桜吹雪が舞っていたが、すぐに枝だらけの桜並木に戻った。


 一瞬、時が止まって、別の世界が紛れ込んできたみたいだった。


「なんだか、似ているな……」


 フリースと星の祭りの日にデートしたときに、サウスサガヤ近くの質素な石橋に立った。ここは、その場所に雰囲気が似ている。


 現実世界に架かるこの橋の名は『相生橋(あいおいばし)』というらしかった。


 俺は、片側ばかりを歩いているのも飽きたなと思い、なんとなくその橋を渡って向こう岸に行くことにした。


 橋を渡っている途中で、俺の目は、一人の女の子の姿をとらえた。


 向こう岸の女の子。フライングで控えめに咲く一輪の桜の花の下、青みがかった紺色の制服に身を包んだ銀髪の少女だった。妙に目立っていた。胸元の蝶々みたいなリボンが光を反射してよく光っていた。


 ギターケースを横に置いて、岩の上に座り込み、ヘッドホンをかけて、ひとり静かに花見をしながらミックスナッツを食べている。なんだかロックな雰囲気の少女だった。


 みとれた。目が合った。


 ペンキが塗られた金属製の欄干てすりに手をつきながら小さな橋に立ちつくす俺を見て、彼女はニヤリと笑いかけてきたが、不審者扱いされてはたまらない。声は掛けずにそのまま再び歩き出し、立ち去ることにした。


「…………」


 その言葉のない時間が、どういうわけか気になって、一度振り返ったら、少女はそのままそこにいた。


「…………」


 青い沈黙のなかで俺を見ていた。


 なんだか心に引っかかりを感じるし、いずれどこかでまた会いそうな気がしたけれど、とにかく俺は、池に向かって川沿いの桜並木を歩いて行く。


  ★


「ここだ。エルスター学園……」


 俺は大学構内のベンチに座り、スマートフォンの画面を見ながら呟いた。


 マリーノーツでは一瞬で取り上げられたり、一瞬で壊されたりして縁がなかったけれど、現実世界での入手難易度はそんなに高くない。そんなことを考えて、ああ帰ってきてしまったんだなと思う。


 と、そんなとき、頭の上から女性の声がした。


「織原先輩、どうしたんです? 携帯の画面みて女子校の名前を呟くなんて、事件でも起こす気ですか? 川に落ちて変になったんですか?」


 話しかけてきたのは、後輩の鷺宮(さぎのみや)さんだ。


 彼女は俺の携帯画面をのぞき込むように身を乗り出そうとして、俺が隠すと、簡単に諦めて横に座った。


「安心してくれ、俺の頭はもともと変なんだ」


 先ほどの銀髪の女の子の制服を探してみて、あちこちの高校のサイトにアクセスして同じ制服を探していた。二十分くらいかけてやっと見つけたのだ。


 冷静になって考えれば、あまり褒められた行為ではないな。


 偉大な先輩として、俺を尊敬しているという後輩女子に背中を見せてやらねばならないはずなのに。


「鷺宮さんは、今日は何しに来たの?」


「その言い方、ちょっとひどくないですか? まるで来ちゃだめみたいに」


「そんなことはないけども」


「わたし、学内でアルバイトしてるんで、普通に仕事ですよ。ちょうど今帰るとこです。先輩こそ何しに来たんですか?」


「研究のための資料を予約したからな。俺は、それを取りに図書館に来たんだよ」


「えーっ、じつはわたしに会いに来たんじゃないですかー?」


 冗談っぽく鷺宮さんは言った。


「そんなわけない」


 無表情で否定してやる。


「まあ、そうですよねぇ。先輩、好きな人いますもんね」


 ここで言っている好きな人というのは、レヴィアのことではない。俺がマリーノーツを旅する前に好きだった人のことだ。今や引っ越してしまい、まともに連絡もとれていないのだから、たとえ俺がまだあの人を好きだったとしても、もうどうしようもない。


 いずれにせよ、鷺宮さんが持っている情報は、ちょっと古いように思う。俺は異世界を旅して大きく変わったのだ。


「いや、それは、その……」


「えっ、まさか進展あったんですか? えっ、えっ? もしかしてふられたパターン? それで女子校のことを調べて……あっ、だめですよ、犯罪は!」


 ものすごい煽ってくる。


 喫茶エアステシオンの看板娘の一人に似てる。シオンとかいったっけ。


 鷺宮さんは、まったく別の名前だし、狂信的なつぶあん派ってわけじゃないし、ウサミミも似合わなそうだから別人だと思うけども。


「えっとだな、俺は今、そんな話をしたくないんだ。女子校を調べていたのも、特に意味はないんだぞ」


「へぇ、失恋のショックが冷めやらぬなか、偶然見かけた女の子が気になっちゃって、その子が制服を着ていたから学校名を血眼(ちまなこ)で調べていたとかじゃないんですか」


 勘の鋭いやつ。女ってやつはこれだから。


 鷺宮さんの予想は完全に正解なのだが、素直に認めるわけにもいかない。


 俺は黙秘権を行使することにした。


 そしたら何を思ったか、鷺宮さんはいきなり女子校について語り始めた。


「エルスター学園って新しい学校ですよ。三年か四年くらい前にできたとこです。けっこう知り合いがいますから、先輩の気になってる人を探してあげましょうか?」


「いや別にいい。というか、違う。そこまで気になってるわけでもないからな」


 俺はそう言いながら別の話題を探すが、後輩の鷺宮さんはエルスター学園の話をやめてくれない。俺が話題を見つけるより先に、彼女は言うのだ。


「エルスター学園っていえば、あの学校に、すっごい歌の上手い人がいるの知ってます?」


「へぇ、高校生にしてもうプロなのか?」


「調べても出てこなかったので、違いますね。無名なんですけど、えーと『なんとかで乾杯』みたいなタイトルの歌がネットで流れてきて、感動したんですよ」


「宴会好きの浮わついた男女の歌みたいな曲名だな。そういうのが好きなのか?」


 ひねくれた俺が言い放ったら、鷺宮さんは明らかにイラっとした雰囲気を出したけれど、彼女は大人である。平静を装って話を続ける。


「そういうんじゃないですよ。一度きいてみればわかりますって。ほんと透明感のある美しい声なんですから。見た目も女神さまみたいにキレイで、しかも、輝く銀髪なんです」


 銀髪。歌を歌う。エルスター学園。


 そんな条件が重なる子は、そうそういないと思うので、俺の見た、めっちゃ気になる女の子と鷺宮さんの言っている子は同一人物なのだと思う。


 鷺宮さんは自分のスマートフォンで、動画サイトをいくつか検索し、その『なんとかで乾杯』みたいな歌を探したが、「あれぇ、消されてる。制服姿で歌ってるやつがあったのに」と呟いた。見つからないようだ。


「学園側が消したのかもしれんな。動画出演とか芸能活動が禁止のところなのかもしれん」


「そうかも。でも、だとしたら勿体(もったい)ないなあ」


「まあ、仕方ないだろ」


「あ、でも、よく公園で弾き語りしてるみたいなんで、一緒にいってみましょうよ」


 鷺宮さんの言う歌の上手な銀髪少女に興味がないではない。たしかに、川沿いの公園で見かけたあの娘はギターケースを持っていたし、見るからにロックな感じが伝わってきた。並々ならぬ興味がある。


 でも今日の俺は、あまり、そんな気分になれなかった。


「あいにく研究で忙しいんだ」


「はぁ、そうですか……」鷺宮さんは少し残念そうだ。


「それに……」


「それに? なんです? 続きは……?」


「いや、何でもない。気にしないでくれ」


 もやもやしたようで、鷺宮さんは不満そうにしていたが、やがて「じゃあ、わたし一人で行きますね。動画撮れたら撮ってきます」と言うと、手を振り元気に帰っていった。


 俺が言いかけた「それに」の続きは、普通の後輩である鷺宮さんには聞かせるわけにはいかない。


 ――それに、女の子と一緒に歩いているところをレヴィアにでも見られたら何て言われるだろう。「またですか」とか「ほんと見境いないですね」とか「ギルティです」とか言われてしまうだろう。それは嫌なんだ……なんて言葉はね。


 でも待てよ。呆れた言葉とか、責める言葉とかは、もう一度レヴィアから浴びせられたいよな。




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