第292話 レヴィアの旅 エアステシオンで羽化昇仙を(1/4)
大勇者の氷使いフリースは、茶屋などでの仕事を通して、いつぞやのウサギ娘たちと仲良くなっていた。そこで、サガヤ地区の広場にあるウサギ娘たちの巣、『傘屋エアステシオン』に招かれた際、厨房を借りて、スイートエリクサーづくりをさせてもらっていた。
最近のフリースは、スイートエリクサーにご執心のようである。
けれども、失敗に次ぐ失敗。なかなか皆が「おいしい」と喜ぶ味を再現できない。
そりゃそうだ。レシピ通りに作ってなくて、材料も味の似ているものを代用しているだけなんだからな。
「ラックやアオイは、すごいな。簡単にエリクサーって名前がつくもの作ってた」
休憩に入ったフリースが、調理台の前に置かれた粗末な丸椅子に座って溜息を吐いて呟いた時、首筋あたりで何かがうごめくのを感じた。
「コイトマル?」
フードをわしわしと触ってみたところ、何も手ごたえがないようだ。下を見ても、繭が転がっているわけでもない。
「え、え?」
いつの間にか、どこかで落として置き去りにしてしまったのか。
冷静なフリースが珍しく焦った顔を見せて、急いで服を脱いで、一糸まとわぬ姿になった。足は普段から裸足だが、今はもう、上も下も一切何も身につけていない。
折れそうなくらいに細い身体。繊細できめ細かな肌が露わになった。とても美しい背中である。
脱いだ服のフードをのぞき込んでみたものの、コイトマルの入っていた繭はなく、コイトマル本体の姿もない。
「どうしよう……ラックだけじゃなくコイトマルまでいなくなったら、あたし……」
と、そこへ、厨房に入ってくる者が一人。
「フリースちぁん、お料理、上手にできましたぁ?」
看板ウサギ娘の一人、エアーさんだった。妖艶な雰囲気のあるバニーらしいバニー娘である。すごくまったりとした喋り方をするギャル系バニーだ。祭りの日に、俺が初めて話したバニーが、この人だった。
エアーさんは厨房に入るなり、ギョっとした。なぜならフリースがコイトマルを探すため、全裸で厨房に這いつくばっていたからだ。
「フリースちゃん、な、なんで裸にぃ?」
「コイトマル、見なかった?」
「コイトマルさんってぇ?」
「あたしの相棒」
「どういう感じのひとですかぁ?」
「イトムシ」
「あっ、だとしたら危険かもですぅ。うちもステラもシオンも他の皆も、蟲が大嫌いだから、一瞬で叩き潰されて捨てられちゃうかもぉ」
「え、そんな……」
「でも、そのまえに服を着てくれませんかぁ? 誰に見せても恥ずかしくないお姿ですけどぉ、お客さんに見られたらマズいのでぇ」
「…………」
フリースは裸を見られたことを気にすることもなく、言われた通りに青き衣を羽織った。
「んん? フリースちゃん、そんな髪飾りしてたっけぇ?」
「…………?」
「おっきい蝶々みたいな髪飾りだねぇ。透き通るように白くって、かわいぃ」
ゴミでもついたのか、あるいはイトムシの繭の残骸でもついたのかと思ったのだろう。軽く自分の白銀の髪に触れる。
「ちがーう、そっちじゃなくてぇ、左ぃ」
「こっち?」
わさわさと自分の髪の中を探ったとき、なにか冷たいものをフリースの小さな手が掴んだ。
「え」
手を開いてみたところ、白くて小さな人型のいきものがいた。
「もしかして、コイトマル?」
返事はない。羽のはえた小人は、目を閉じている。動かない。
「えっ、えっ……あたし、強く握り過ぎて……」
もしかして、羽化したての小糸丸の小さな命を奪ってしまったのか、そう思ったのだろう。視線をぐらぐらさせて、慌てていた。
しばらく、自分が手に掛けてしまったと思い込み、呆然としていたが、やがて白一色だった羽根の縁が青みがかってきて、人型の妖精のようなコイトマルは呼吸を始めた。
寝返りを打って仰向けになった。そして、カッと目を開いて翼を震わせると、フリースに向かって言うのだ。
「おまたせです、ご主人さま! コイトマル、ここに復活しました!」
「わっ、しゃべった」
フリースの安心に満ちた声がした。
★
木の枝のようなものすごく細い足が、水色の袴から出ている。上に羽織るのは真っ白な長袖の胴着で、袖の部分が膨らんでゆったりしている。背中から広がる羽根も純白で美しさを感じさせるが、青く輝く粉でたっぷり縁取られていて、さらに美しい。
目はパッチリとしていてかわいらしいが、全体的な顔立ちはフリースよりもやや男性的なようにも感じられる。中性的なすっきり美形タイプである。
鮮やかに光を反射する青い髪は真ん中で分けられている。そして頭からは、やや内向きに湾曲した水牛の角のような二本の角のようなもの生えており、クシのように無数の隙間があった。そよかぜでも揺れる柔らかいものだったので、触角といったほうがいいだろうか。
それにしても、オスメスどっちだろう。幼虫の時もわからなかったが、こうして羽化したあとでもわからない。
「男の子? ううん、女の子かなぁ?」
エアーさんの言葉に、コイトマル本人が答える。
「コイトマルはですね、女のような、男のような、どっちでもないような、どっちでもあるような、そんなかんじです!」
自分でもわからない、ということだろうか。
「コイトマルは、蟲っぽくないなぁ。かわいい。おいでぇ」
エアーさんがウットリした目で手を差し伸べたが、コイトマルは言うのだ。
「コイトマルは、硬派なイトムシなのです。ご主人様ひとすじです。あなたはとても魅力的なウサギさんですが、そのお誘いに乗ることはできません」
コイトマルは、そう言いながら、エアーさんのニノウデあたりにしがみついた。
ひとすじとは一体。
そして、きっと誰もが思っただろう。「こいつ、オスだ」とね。
「あら、見た目は可愛いけど、ちょっとつめたいんだね、コイトマルちゃん。よしよし」
触角をふわふわ撫でられている手のひらサイズのコイトマルをみて、フリースの表情がすこし険しくなった。
「なんか、ラックに似てる」
「あー、マスターは、浮気者ですもんねー」
どこがだ。何度も言ってるだろう。俺はいつもレヴィアひとすじなんだ。
「何度言ったらわかるんですか! コイトマルは、浮気者ではありません! ご主人のフリース様ひとすじです!」
「ほらね」
いや確かにね。今の言葉とかは、ちょっと似ていると言えなくもない気が、しないでもないような……。いや、だめだ、認めたくない。
「こんな美しい姿になったコイトマルを、ラックに見せたかったな……」
寂しそうにフリースは呟いた。
俺だって見たかった。羽化のその瞬間を分かち合いたかったよ。
そんなふうに声をかけてやりたかったけれど、夢の中だと、そんなささやかな願いすら叶わない。
はやく、マリーノーツという現実に帰りたい。
俺は強く強く願ったのに、夢の世界は続いていく。
★
嬉しかったのは、コイトマル本人が、俺のつけた「小糸丸」という名前を気に入ってくれていることだった。コイトマルが自分のことを言う時に、「コイトマル」と自分の名前を名乗り続けてくれるのが、なんというか、とてもくすぐったいのだ。
フリースは、本当にうれしそうに、コイトマルを手のひらにのせながら滑って、厨房を出て行った。
ちょうど暇な時間になったばかりで、お客さんがいなくなった店内では、数人のウサギさんたちが休憩をとっていた。
そのうちの一人に、フリースは話しかける。俺とは話したことのない金髪看板ウサギ、ステラである。
「みて。コイトマル」
「へぇ、妖精的なやつ? 繭から出て来たんだ」
「…………」
フリースは、静かに、でも嬉しそうに小さく笑っていた。
この子も、出会った頃は表情に乏しかったのに、よく笑うようになったなって思う。その変化がこの上なく嬉しい。
金髪ツインテールのステラは、人差し指をのばすと、コイトマルの脇腹をつついた。
「ひゃん、気安く触れられては困ります! コイトマルは、ご主人様じゃない人には、なびきません!」
そう言うわりには、ステラの胸元に視線釘付けになっているあたり、やっぱりコイトマルは男の子なんだなと思う。
「お、しゃべるんだ。なかなか可愛いね」
「そう。しゃべる。かわいい」
「……コイトマルは、何ができるの?」
ステラの目の奥に、商売人の炎が灯った気がした。
たぶん、コイトマルを使って何か金儲けができないか、とか考えている感じがする。
見世物にするくらいならまだしも、売り飛ばそうとか考えてないと良いが。
「何ができるか……ですか……。コイトマルは、わりと何でもできますよ? しゃべれますし、とべますし、読み書きも余裕です。ご主人様の力の一部を受け継いでいるので、氷の力もちょっとだけ使えます」
「やけに手足が細いけど、どうなってんの? 脱がして良い?」
ステラは、ぴらり、と水色の袴の裾をめくろうとした。
コイトマルは、急いでそれを阻止する。
「ちょっ、ちょっと、あなたの頭がどうなっちゃってんですか! その頭の両脇から飛び出した金色の髪は、何かヤバイ波動を受け止める受信装置だったりするんですか!」
ツッコミキャラのようだ。
「でもコイトマルの頭も負けてませんよ! このクシみたいな触角のほうがあなたのちっちゃな頭よりカッコイイし、カワイイです!」
いや待てよ、そんなツッコミキャラでもないのかな。わからないけど、とりあえず、ご主人様よりも沈黙が苦手な感じだ。
「ご主人様、コイトマルは感じます。この金髪はヤバイ人です。逃げましょう」
「そう? コイトマルが言うなら、そうするけど」
ぱたぱたと青く輝く鱗粉を撒き散らしながら飛んでいくコイトマルの後を、フリースが楽しそうな足運びで、スケートみたいに滑っていった。




