第276話 大勇者決定戦(6/6)
ガラスに割れ目が走った瞬間に、マイシーさんが、「下がって!」と言った。俺も「逃げろ、レヴィア」と呼びかけながら、さっきまでレヴィアのいた場所を見たが、姿が見えない。部屋の中を見回してもいなかった。どこに行ったのだろう。
「ちょっとそこのラックさん! 何してるんですか、さがって! 爪がきます!」
マイシーさんの重ねての指示だったが、それどころではなかった。
「レヴィアが、レヴィアがいないんだ。あとついでにフリースもアオイさんもいない」
「あぁもう!」
俺はマイシーさんに胸当てを掴まれて引き倒された。天井が見えたと思った時には、滅多に割れないはずのガラスが、あっさり粉々に砕け散り、俺に向かって降り注いだのが見えた。次の瞬間には、柔らかい鎧に包まれて、何も見えなくなった。
マイシーさんが俺に蔽いかぶさり、守ってくれたようだ。
彼女の腕の隙間から、八雲丸さんが魔族を引っ張り上げて投げ飛ばし戦闘フィールド内に戻したのが見えた。
部屋の内部の机には深い爪痕が残っていた。
ぞっとする。たまたま、かすりもしなかったから良かったものの、あやうく死んでたかもしれない。
俺の装備は、オトちゃんから受け取った最高レベルの防御力を誇るからって、あまり心配していなかった。けれども、マイシーさんは俺の頭を軽くはたいて言うのだ。
「本当にラック様はものを知りませんね。この世界で最高ランクのモンスターを相手にするなら、防御力なんて意味をなさなくなります。八雲丸様レベルの防御技ならば話は別ですけど、ただ突っ立ってるだけでは紙同然なんですよ?」
「す、すみません」と叱られた俺は萎縮するしかない。
そのくらいの迫力だった。さらに怒りの剣幕は、新米大勇者にも向いた。
「八雲丸様! 何やってるんですか! さっさと倒してください!」
「すまねえ! さすがに遊び過ぎたぜ」
軽やかに着地を決めながら納刀し、汚れた頬を拳で拭って、鞘を持ち上げ、柄に手をかけた。
「――八重垣流抜刀術、其の参、荻!」
荻という抜刀術は、何度か見せてもらったことがある。たしか、伝説の宝刀を召喚して自分の刀に憑依させる技だったはずだ。
今回呼び出した刀も、なんとも凄まじい輝きを放っていた。俺の『曇りなき眼』は、これまでで最大の輝きを見たかもしれない。
「本当は、こいつを使うなんて力不足だがよ、いつかこの刀の持ち主として相応しい大勇者になるって誓う意味でも、披露してやらねえとなぁ!」
上空にかざすと、雲から降り注ぐ雨を吸い取って――いや、違う。雨どころか、雲ごと吸い取っている。白、黒、灰色の雲たちが雷をばちばち言わせながら、勢いよく宝刀の中に吸い込まれている。
「ずっと呼び出したかった伝説の刀さ。つい最近まで召喚できなかった。だけどよ、暴走した龍の身体の中で作られた『黒龍玉』で刀を鍛えたら、できるようになったのさ。おかげですいぶん戦いの幅が広がって、大勇者として認めてもらえるレベルまで、やっとこさ到達したってわけよ」
長いことおしゃべりしている間に、すっかり雲が吸い取られ、空が晴れた。陽射しと天気雨が落ちて来た。上空には虹が架かっているのが見える。
いつも曇りか雨のフロッグレイクに光が射している。
「さあ、最終ラウンドといこうか、名も知らぬバホバホメトロ族さんよ」
そうして、斬りかかった八雲丸さんだったが、あれだけ格好つけたのに、あっさり弾き飛ばされていた。
「なにぃ、おい、噂と違うじゃねえか。こいつらは強い光とか苦手なんじゃなかった?」
八雲丸さんの慌てた声に、マイシーさんが本人にはきこえないように小声で答える。
「ものすごく誤った情報ですね。魔族がみんな陽の光を嫌うというのも偏見です。バホバホメトロ族は暗闇や狭いところや地下深い場所が好きで、そこに行くと落ち着くらしいのですが、それは陽の光が無いところがものすごく好きというだけであって、光が嫌いってわけじゃありません。どのような噂を耳にしたのかは知りませんが、このくらい、少し調べればわかることだと思うのですが」
事前に調べるとかいうのは、あまり得意じゃないほうだろう。たぶん、八雲丸さんは何でもとりあえずやってみる傾向にあって、事前に取扱説明書とかも見ないタイプなんじゃないだろうか。
そもそも、バホバホメトロ族との戦いなんていうこと自体が、八雲丸さんにとってはイレギュラーだったのだから準備不足も仕方なかったと思う。
「大勇者選抜戦が歴代、どのように行われているのかを知っていれば、魔族と戦わせられることはわかります。調査不足です」
ああ、受験の過去問を見るとかも、八雲丸さんは苦手そうだよな。「本当の実力者は、受験勉強なんかせずとも合格するはず」とかって言いながら、腕立て伏せとかしてそうだもん。
さて、八雲丸さんは召喚した宝刀を片手に、しばし逃げ惑い、やがて覚悟を決めたように隙の無い構えをして敵の喉元に切っ先を向けた。
怯えた魔族が恐怖を振り払うように分身を従えて、全身を揺らしながら突進してくる姿をしっかり見つめて、宝刀を振りかぶる。
「――天叢雲剣!」
振り下ろした。
雷を伴った灰色の暴風が、紫がかった肌の魔族を襲った。
グギアと苦し気な声をあげながら、大量の分身とともにバチバチと雷を帯びた嵐のような一撃に吹き飛ばされ、観客席の前の壁に背中を激突して、うつ伏せに倒れた。
そこに、巻き上げられた壁の塊がいくつも降ってきた。
分身たちも一瞬で全部消えた。
嵐が晴れたとき、鋭かった爪が切られ、立派だった角が両方とも折れてしまっているのが見えた。
なんだか、とっても痛々しい。
心の底のほうに、やめてくれ、見たくない、という感情が広がった。
八雲丸さんは、じゃりじゃりと音を立てながら近づくと、とどめの一撃を入れるため、刀を強く握った。
「すまねえな、うらむなよ」
そして首を刈り取る一撃が振り下ろされる。
……と、今にも刃が魔族に届くかといった瞬間に、八雲丸さんの手はピタリと止まった。今にも人を斬る寸前だった。
「もう、やめてください!」
何がどうなってそうなるのか。レヴィアが大きな怪物の頭に、いとおしそうに、しがみついていた。包み込んで、守るように。
「なっ、あんたは……っと、誰だ。あぶねえじゃねえか、飛び出してきて」
「やめて……ください!」
立ち上がり、八雲丸さんを見据えて、両手を広げていた。
震える魔族が、身体を起こして、その場に座る姿勢になった。どことなく女の子っぽい座り方である。
身構えた八雲丸さんだったが、様子がおかしいのを感じ取って刀を握る力をゆるめた。
バホバホメトロ族は涙を流しながら、レヴィアに向かって手の甲を差し出した。
レヴィアは大きな腕を抱きしめて頬擦りしながら、「大丈夫ですよ」と言って、魔族を落ち着かせた。
通じ合っている。
俺は呆然とその風景をながめているしかできなかった。何が起きてるっていうんだ。
八雲丸さんは刀を鞘におさめて言う。
「フリースお嬢、どういうつもりだ?」
「どうもこうもない。レヴィアが助けたいって言ったから協力しただけ」
フリースが物陰にいたのだろう。声だけ響いてきた。どうやら、フリースの協力があって、レヴィアがあの場所に辿り着くことができたらしい。
「……つーか、あれかよ、ここにフリースお嬢がいるってことは、またラックが絡んでんのか?」
その通りである。いや、俺は何ひとつ指示をしたわけでもないが。
八雲丸さんは、きょろきょろと周囲を見回すと、ぼろぼろの戦闘エリアを見下ろしている俺と目が合った。
こちらに気付いて、ひとっとび、特別観戦室の窓枠に軽やかに着地を決め、ガラスが散乱するのも気にせずに机の上に座った八雲丸さん。
「よう、ラックひとりか?」
ぐるりと見回すと、マイシーさんとアオイさんの姿がなかった。オトちゃんだけは崩壊する部屋の中で眠り続けていたけども。
俺は、椅子から立ち上がって話しかけた。
「八雲丸さん、お久しぶりです」
「おう、ラック、観てたみたいだな。どうだった、おれの戦いは。これでおれも、大勇者の仲間入りだぜ」
「ええ、おめでとうございます……。でも、そんなことよりもレヴィアです、あれ、何なんですか?」
「ん? さあな、むしろ、こっちが聞きてえよ。あの強いのとお友達なんじゃねえの?」
「そんなわけ……。いくらレヴィアが予想外の動きをするとは言っても、まさかあんなおそろしく強い最強の魔族と友達なんて」
「まあまあ、こまけえことは、いいじゃねえのよ。別に異種族間で友情が芽生えたってさ」
「それはそうですけど……」
「それより、ラックは何でここに? おれの雄姿を見に来たってわけでもなさそうだし、邪魔しに来たってわけでもないだろ」
賞品の横取りなんてのは、大いなる邪魔といえば邪魔である。かといって、真正面から「邪魔しにきました」なんて言う勇気は俺にはなく、丁寧に説明を尽くした。
とにかくファイナルエリクサーが必要で、それが無いと俺たちは罪の意識で自らの身を灼き続けることになる。新たに果実が成るまでの向こう五年間、ずっとそうやって苦しむし、最悪の場合、人々の魔物化が進んで、マリーノーツ全体が破滅的に壊滅するかもしれない。
そのような事を語ってみせた。
ひとしきり主張を終えた時、腕組をしながら聞いていた八雲丸さんは、座っていた机から飛び降りると、手を差し伸べて来た。握手を求める手の形をしている。
「いいぜ、ラック。ただし条件がある。噂に聞くファイナルエリクサーってぇのは、超うまいんだろ? 交換条件だ。おれにも飲ませろ」
「なるほど……」
俺としては、その特別なエリクサーは、本当に特別にしかたった。できれば大魔王を倒すぶんだけ池にそそいで、残りを特別なレヴィアと二人だけで飲みたいと考えていた。けれども、状況が状況だ。
俺たちは一刻も早く、ファイナルエリクサーを完成させてフロッグレイクの池に流し込まねばならない。
だから、俺は八雲丸さんの手を握った。
「八雲丸さん、ありがとうございます!」
交渉、成立である。
「まぁ、構わねえよ。次回の大会は、たぶん大勇者も参加可能になるし、おれが勝ち取るからよ。それまで真のチャンピオンの証はお預けってことにするぜ」
「ありがとうございます! 大勇者八雲丸さん!」
「よせよ、照れるじゃねえか」
八雲丸さんは、そう言って俺の肩を軽くノックするように殴った。さすが大勇者の一撃は重たい。けっこう痛かった。
「さーて、そいじゃあ、おれは、ちょっくら客席のほうで休憩するからよ、俺のぶんのファイナルエリクサーってやつができたら、呼んでくれ」
そして、俺と蛇だけが、残された。
火にかけられたままの、作りかけのファイナルエリクサーを残して。
「えっ、これって放置してて大丈夫なの?」
大丈夫、と返してくれる人はいなかった。かわりに、黒い蛇が目覚めて、片目をあけて俺をみていた。




