第265話 サタロサイロフバレー(6/6)
フリースには、ちょっとその場で待っていてくれと言って、屋敷に侵入した。
ベッドを目印に捜索をしてみると、レヴィアの言った通り、狭い隙間の暗がりで膝を抱えて転がっている人がいた。
引っ張り出した男には、見覚えがあった。このひとは、確かに議会で俺と話したこともある緑の服のエルフ、エラーブル氏だ。
この状況から見るに、自分の子供たちが畑仕事をするのを窓から見ていて、急に倒れ出したので、何かの祟りや呪いの類が村を襲っていると考え、ベッドの下にもぐりこんで震えていた……といったところだろう。
俺は『スパイラルホーン・極』を持っていたので、フリースがそうしたように、彼の口に黒い粒をねじこんだ。
「まずっ! うぁうああまずぅ! これが、ひいじいちゃんが言ってた祟りか!」
魔力が回復したことにより、エラーブル氏は目覚めた。祟りではない。スパイラルホーンだ。むしろ毒や祟りや呪いを解除してくれる優れものなのだ。超まずいけど。
俺は、エラーブル氏の前にあぐらをかいて座り、説明を始めた。
エラーブル氏はベッドに座って俺を見下ろす形になって、耳を傾け、やがて、
「先代の首長様が手植えした『グリンメープル』の樹が悪さをしているだと? そそそ、そんなわけがあるものか!」
と急に焦ったように怒り出し、立ち上がって走り出したかと思ったら、外に出た瞬間に、
「うわあああ! 空に樹がない! なくなってる! 悪さをするどころか消滅している!さっき急に黄色く染まったからベッドの下に隠れたのに! ひいじいちゃんが言っていた結界ってやつが解けたとしたら! だめだ呪いの雨が降ってくるぅうぅぅう!」
呪いの雨はさっき降って、そしてもう解呪された。この場は全く心配ないのだが、年寄りから結界についての話を少しだけ聞かされていたようで、自分の子供たちの前にもかかわらず格好つける余裕もなければ、気づかう余裕もなく、自分勝手にパニック状態に陥っていた。
「おい、そこの青い服のやつ。お前だお前! お前がやったのか? お前がやったんだな。何の恨みがあってこんなことをするんだ」
偉ぶるエルフのエラーブル氏は、フリースを指差した。
「ラック、こいつ凍らしていい?」
「ちょっとだけだぞ?」
「うん、まかせて。何も感じないうちに素早く凍らせるから、だいじょぶ」
「いやいや、まてまて冗談だ。何も大丈夫じゃない」
とはいえ、俺たちは今、先を急ぎたい状況にある。自分たちが残した最悪クラスの負の遺産を解決するために、水源のフロッグレイクに急いでいるのだ。
多少強引な手段に出ても良い場面かもしれない。
単純に、助けてもらったのに傲慢で横柄な態度に出るエラーブル父に頭にきたというのもある。
いやいやまてまて、やっぱりここは我慢しよう。この世界では、尊大なのはエルフの特性でもあるのだ。人間が狡猾で裏表あり、今は亡き獣人が欲望のしもべであることは、本能のようなものなのだ。
心を落ち着けながら、優しく語り掛ける。
「エラーブルさん。状況はわかってますよね? 契約解除、してください。そうすれば、エルフの皆が助かります」
と、俺は言ったが、今の言い方だとまるで脅迫しているみたいだと自分で思う。「契約解除しないと、同胞たちが死ぬことになるぞ」と受け取られていないといいんだけども。
「なにっ! 村人すべてを人質に取るだと? 貴様……たしか議会で証言をしていた……冒険者ラックとか言ったか? 我々が何をしたというんだ! 貴様の血は何色だ」
たぶん普通に赤い。なぜなら俺は人質をとっていないからだ。すれちがった。
「父さん」
「パパ」
「親父……」
息子や娘たちは、勇敢に立ち向かう父親の姿に憧れの目を向けていたが、だいぶ目が曇っているんじゃないかと思う。
しかし、あまり強く言ってやれない事情もある。フリースがフロッグレイクの水源の池に大魔王を氷で固めて沈めなければ、こんなことにはなっていないはずなんだから。たとえば今回の事態を解決したとしても、「おいこら悠久の年月をかけた手の込んだマッチポンプじゃねえか」とか言われたら、返す言葉もないわけだ。そのつもりはなくてもね。
だから、謙虚にいこう。
さて、エラーブル氏は警戒していた。
「お前ら何だ。何なんだ? ここが純血エルフの土地と知っての狼藉か? この高台にのぼるには許可がいるんだぞ」
「娘さんが倒れてたのを助けて、届けに来たんですよ」と俺。
「なに?」
「ここで人が倒れた原因は、あそこに見える猫との契約によるものです」
「あれが、ひいじいちゃんが言っていた、守護神……マジで猫だったのか」
一応、エラーブル家の者には、その存在が伝えられていたらしい。これで少しパニックが収まってくれたし、猫の見た目がけっこう愛嬌があったことも手伝い、一気に緊張がほぐれてくれた。子孫に語り継いでくれたエラーブルの先祖には感謝である。
「守護神との契約を解除しないと、我々エルフが損をする。言いたいのはそういうことだな?」
「まず、守護神という認識がおかしかったんですよ。この猫、樹木に擬態して村に結界を張るかわりに、楽して魔力を貪れる環境を手に入れてグッスリ眠り続けていただけです。正体は、ただのぐうたら魔族ですよ」
「魔族とは! たしかに魔族の出す波長を感じる」
エラーブル氏は長い耳をぴくぴく動かしながら、魔力を感じ取っているようだった。
「つまり、なにか? これまで、我々純血エルフは、樹木に偽装した魔族に騙されていたと、そういうことか?」
「まあ、見ようによっては、そうなりますね」
実際は偽装ではなく誤認スキルだったが、普通のエルフにとったら似たようなものだろう。
「曖昧な言い方をやめろ人間。この魔族は純血エルフにとって害なのか、そうでないのか!」
「現状だと害ですね。契約を解いたらほぼ無害です」
「ならば契約は破棄だ」
「え、そんな簡単に俺のことを信じていいんですか?」
「娘を、助けてくれたのだろう? 人間でありながらあの気難しいハーフエルフを連れておるし、水龍暴走の件でも、偽ハタアリの件でも活躍したと聞く。信じて損はないと判断した」
今の発言には一つだけ間違ったところがある。フリースはハーフではなくクォーターなのだ。
「娘を救ってくれた礼に、どうだ、この畑に生えているラストエリクサーという伝説の霊薬を、好きなだけ持っていくといい」
「あ、それはいらないです。腐るほど持ってるんで」
今は価値のないゴミと化したラストエリクサー。戦闘中しか使えないうえ、戦乱の時代の象徴として忌み嫌われることになった悲しきエリクサーである。
今、始まりのまちホクキオにある俺の家だったところは、甲冑のシラベールさんのホクキオ自警団が管理してくれている。その倉庫におびただしい在庫を抱えたままなのだ。だから、いらないと言ったのだが……。
しかし、「そうはいかない!」と言ったエルフ首長の一人息子エラーブル氏は、子供たちの前で良いところを見せたかったのだろうか。感謝を示すために、ラスエリという名の雑草を引き抜き、強引に手渡してきた。
「エルフを代表して礼を言う。貴様のおかげで助かった」
そんなこんなで、『ラストエリクサー・極』を手に入れた。
★
契約は破棄され、シンボルであった緑の巨樹は戻らないことになったものの、猫は緑映える高台にとどまることになった。
再契約をしたわけではないが、ときどき目覚めてエルフたちから魔力を分け与えてもらい、そのかわりに結界を張るという口約束をした。
何か縛りがあるわけではない。
共存のために信用し合う形で、真の守護魔族として就任することになったのだ。
これまでエラーブル家の者だけの秘密だった存在。巨樹という名の大規模な嘘が明るみに出たわけだが、誰も驚かなかった。この村のエルフの間では、願いを叶えてくれる大樹なんていうものを信じているのは子供くらいだったようだ。
「ハーフエルフ的にも、クォーターエルフ的にも、契約がなくなるのは良いことなんじゃないか?」
そんな俺の言葉に、フリースは無言で頷いていた。
フリースの目から見れば、これまでは強奪の象徴だった大樹が、友愛の象徴である猫に変わったわけで、この切り替わりを目の前で確認できたのは、悪い気分じゃなかったと思う。
意外と話のわかるエルフだったエラーブル氏たちに手を振って、俺たちはまた慌ただしく出発した。
「また一つ、やりとげたな、フリース。でもまだ終わりじゃないぞ。とんでもなく呪われているであろう水源のフロッグレイクを解決するまで、俺たちに落ち着く暇はないからな」
「うん……」
少し考え事をしながらの、ちゃんとしてない返事だった。
俺とレヴィアとフリースと。
何度か振り返りながら、俺たちは高台の急坂をくだっていく。
もう大樹が消えて日向になった村を出て、比べ物にならないくらい巨大な次の大樹を目指して行く。
常に霧に包まれた、虹のかかる水源のまち、フロッグレイクへ。
と、坂を下り切って少し歩いた時だった。
「待って!」
背後からの呼び声に振り返ってみると、緑の服を着たエルフ女性が近づいてくるのが見えた。エラーブル氏の娘ではなかった。三十は越えているくらいの見た目だっただろうか。
その人に続いて、三人ほどの女性が続けざまに駆け寄ってくる。
「なんだなんだ?」
お礼でも言われるのかなと思った俺が、ちょっと期待した声を漏らしている間に、フリースのフードが、ガッと掴まれた。
「やっぱり! さっき、輝くきれいな白い髪の隙間から、ちらりと澄み切ったブルーが見えたから、もしかしたらと思ったのよ!」
おばさんたちが、他人のフードを引っ張り出しながらキャイキャイはしゃいでいる。
「ほんとだわ! すごい! 今では珍しい古代イトムシの繭!」
「ねえあなた、この繭、譲ってくれないかしら。久しぶりに『燃えない衣』を織りたいわ」
「なら、わっちが糸とりの役を務めるでありんす。ひさしぶりざんすねぇ」
おばさまパワーで勝手に話が進められているようだが、当然、フリースの大切なコイトマルを差し出すわけにはいかない。
フリースがレヴィアの裏に隠れるようにして距離をとった。
嫌がっている。当たり前だ。コイトマルは蟲である前にフリースの大事なパートナーなんだ。
それに、俺の命の恩人でもある。暴走猛毒ヒュドラ状態のオトちゃんの攻撃から、糸をはいて俺を守ってくれた恩をいつ返すというのか?
当然もちろん今だよそれは。
そこで俺は、フリースを守るためにガードマンっぽく前に出た。
「えっと、エルフの皆さん、このイトムシは、大勇者フリースの大事な仲間で、コイトマルっていうんですが」
「コイトマルっていう品種なのね? 新種?」
「いや、違くて……とにかく、コイトマルは渡せません」
「は? 人間の分際でなに?」
「邪魔なんだけど」
「どいてくれない?」
「わっちらは、ハーフエルフのお嬢ちゃんと話してるでありんす」
頭にきた。この方々のことは、カゲで三十路エルフという名前で呼ぶことに決めた。実際のところは、もっとずっと長生きなのかもしれないけれど、まずお願い自体がフリースの気持ちを考えないものだし、頼み方も強引だ。
エルフってやつは、みんなこうなのだろうか。
フリースは不快そうに冷気を放出して、「逃げるよ、ラック」と言ってから俺の手を掴んで滑り出した。俺は必死に足を動かす。
話の通じない相手を前にしては、逃げるのも仕方ない。
三十路エルフ四人衆は、樹上を器用に飛び回り、枝から枝へ、俺たちを追い回した。
追いつかれてしまうかと思ったが、森から出たら彼女たちの機動力が急に低下し、なんとか置き去りにすることができた。
「二人とも~、置いてかないでくださいよ~!」
しばらく後、遠くから、レヴィアが走って来て、やっとのことで追いついてきた。
「おうレヴィア、走るの遅くなったか? それに、体力も以前より落ちてない?」
「そうかもしれないですね……。でもそれは、ラックさんのせいですけど」
「いやいやレヴィア、何でも俺のせいにすればいいってもんじゃないんだぞ?」
何はともあれ、こういうユルくも慌ただしい感じで、サタロサイロフバレーでの仕事を終えたのだった。
水源の池フロッグレイクへと、俺たちは急いでいく。




