第258話 眷属の泉エコラクーン(7/7)
ミヤチズに戻った俺を待っていたのは、「品切れ中でして」という一言だった。他にどこで仕入れることができるのかを聞いたら、エジザの高級食品街になら確実にあると言われたので、馬車を使って行ってみたら、ミヤチズの二倍以上の値段だった。
それでも買っていかないという選択肢はない。
涙目である。
震える手で金貨を差し出し、スイートエリクサー四つを手に入れた。
帰り道の馬車の中で、とても心配になった。
なにせ、氷というデリケートなものでつくる大規模な建造物だから、たとえば二人の氷使いの連携がうまくいかず、崩落なんてのを起こしたら、モンスター化した住人たちは生き埋めの憂き目にあうわけだ。
無事だといいなと心に願った。
果たして、戻ってみると、巨大なドームが完成していた。エコラクーンという大きな建物も建つほどの大きめの集落が、完全に氷に包まれている。上に行くほど透明度が高く、フロッグレイクの大樹が透けて見えていた。美しく儚い建築が完成していたのである。
「うおお、すごいじゃないか!」
雷撃ウナギの呪い抜きをした時に出した球形の氷の釜も大きかったが、それとは圧倒的に規模が違う。見事だ。
はるか頭上、ドームの屋上部分から話し声がきこえてきた。四人は屋根の上にいるようだ。
俺のために用意されたような氷の階段を慎重にのぼり、俺は高さ五十メートル以上はありそうな屋根に到達した。
「みんな、スイートエリクサーを差し入れに――」
買って来てやったぞ、と言おうとして、言葉を失った。
レヴィアとフリースは無傷で談笑していた。それはいい。問題は、血だらけのアリアさんとボロボロのタマサだ。何がどうなってそうなるんだよ。
フリースとレヴィアの話を総合すると、こういうことだ。
「えっと……つまり、一度、ほぼ完成して、作り変えたってことだな?」
レヴィアとフリースは、頷き、二人の会話を再現してくれた。
「おい大勇者さんよ、上のほうがはやく溶けるようにしないと危ない。下が先に溶けたら崩れるだろうが。作り直すべきだろ」
タマサのモノマネ係はフリースである。けっこう似てる。
「はあ? あなたこそ、土の掘り方が浅いんじゃないですか? これだと氷を立てても不安定。掘り直すべきです」
アリアさんの真似をしているつもりなのだろうが、敬語なので全然それっぽくない。
「いちゃもんつけてんじゃねえよクソが」とフリース・タマサ。
「やるんですか?」とレヴィア・アリア。
と、寸劇はここまで。
この後、レヴィアを放置して戦闘に突入したということだ。
雷・土・鋼・火・水の基本の五属性に加え、風魔法や光魔法なども交えた多彩な魔法が飛びかうが、すべて分厚い氷の壁が防いでいた。
アリアさんは、「フフ! 効かないんだけど!」などと言いながら、吸い込んだ魔力を処理し切れず、包帯の隙間から血を流していたのだという。どうやら心身へのダメージが大きすぎて反撃する余裕は無かったらしい。
結果的に、タマサが魔力を使い果たして仰向けに倒れ、アリアさんもニヤリと勝ち誇って笑いながら、うつぶせに倒れ、地面に頭から突っ込んだのだという。
戦闘が落ち着いた後、フリースが仕上げとばかりに、直径十メートルほどの太い柱を発生させた。植物の茎が真っ直ぐ伸びるかのように氷の柱は高くなっていき、そこにいた四人を空へと持ち上げていったのだという。
五十メートルほどの高さまできたところで、なだらかに膨らむ天井をゆっくりと全方位に伸ばしていき、それを周縁の溝まで一気に差し込んだ。そうして透明なドームが完成したというわけだ。
あれ、それって、結局ほとんどフリースが一人で建造したってことなんじゃないの?
俺の計画ってば、最初っから意味なかったってことなのだろうか。
「フリース、なんか、ごめんな」
「べつに、ラックは悪くない。アリアには最初から期待してないから」
ひとこと多いって。また火種になるようなこと言うなよ。
「この、魔女先輩が……」
ほら、アリアさんが苦しみながらも立ち上がって、敵意を向けてきたじゃないか。だけども、アリアさんも、いい加減に思い知ったほうがいい。フリースに向かって魔女と言うのは、自殺行為であることを。
「ぐぇ」
大きな氷塊が頭上から落ちて、アリアさんは「アー!」と叫び、痛みにのたうちまわりながら、ごろごろ転がった。やがてドーム屋根の天井の傾斜によって加速して、五十メートルほどの高さから地面に落下。
常人であれば命を落とす高さだけど、そこはさすが大勇者。どうやら死ななかった。喉をつぶしそうな大きな悲鳴が響き渡った。
アリアさんは、本当にさわがしい人だな。
「とりあえず、みんな、スイートエリクサーでも飲んで落ち着いてくれ」
俺が言うと、レヴィアが真っ先に飛びついて琥珀色の液体が入ったビンを手に取った。
「ラックさんも、たまには約束守るんですね」
何回も約束破ってるみたいな言い方やめてくれないだろうか。事実と違うだろう。
★
大魔王の呪いによって眷属化した人々を救い出す。
それが、ボーラさんから俺に託された使命ってやつだ。
呪いであるならば、解呪することができるということである。暴れ出して互いを傷つけ合う可能性とか、解呪できなくなってしまう可能性もあるから、急いだほうがいいだろう。
「さあ、準備完了だ」
紫熟香という宝物の欠片……いや、もうこのサイズになってくると塊と言った方が良いのかもしれない。
この塊を黄金でできた尾の長い鳥型の香炉に入れた。はみ出しそうだったけど、なんとか入れることができた。みちみちと音を立てているので、途中で壊れたりしないか心配だ。
密室となったドームの中に、この香炉を置き、スイートエリクサーのうまさによって復活したタマサが炎魔法を発動して、火をつけた。
白色の煙が、とろりと流れ出す。
「タマサ、風を頼む」
「簡単に言ってくれるけどさあ……密室に遠隔で風を吹かすってのが、どのくらい負荷がかかると思ってんだよ」
いくらボヤいてもいいが、とにかくやってもらわないと困る。こちとらエジザまでスイートエリクサーを買いに行ったんだからな。あれを目を輝かせて飲み干した以上、仕事はしてもらいたい。
タマサはドームの屋上に立っていた。冷たいだろうに、そこに手をついて、呪文の詠唱を開始する。
「――舞い上がれ、舞い戻れ、舞い広がれ。我らは既に風を待たず、我らは既に風に成らず、汝と共に円を描き、風を起こして拓く者なり! 運り渡れ……ワルツダンスウインド」
フリースに匹敵するような、澄んだ美しい声だった。
普段の口の悪さがあるから、より美しく響いているように感じたのかもしれない。
フリースとユニットでも組んだら、最高かもしれない。そのくらい素晴らしい声だった。
円形のドームに合わせるように渦を巻き始めた白い煙は、まるで意志を持っているかのように優しくまとまっていき、ゆっくりと降りていくのが見えた。
この世界の時間でおよそ二十分間、煙が風魔法に支配され続け、やがて煙が晴れた時、タマサはドームの上にあおむけに倒れ込んだ。そして、声を裏返しながら、「ふぅ、しんどい」と呟いた。
さて、長い時間をかけて、ゆっくりじっくりと氷のドーム天井から順番に緩やかに安全に溶けていくのをビシクの丘から眺めていたわけだが、レヴィアの嫌いな匂いが我慢できるレベルまで薄まった頃、俺たちは下に降りて、より細かな情報を集めることにした。
エコラクーンの住人たちは無事に解呪されていた。モンスター化から復帰することができたようだ。さすが紫熟香である。たくさんの人々と伝言鳥、それから馬や羊などの家畜が、石畳の上に横たわっている。
レヴィアに言わせれば、土地の汚染もなくなったとのことである。
このまちには、尖ったエルフの耳をしている者たちが多かった。
エルフの集落だったのかと思ったのだが、フリースのような青い服や、フリースが欲しがりそうな青い靴を履いている人が多いところをみると、過半数以上を占めているのはハーフエルフかもしれない。
イトムシと関わりを持つ混血のエルフにとっては、青色というのは特別な意味をもつものらしいからな。
視察を続け、清浄な泉だったところまで来た時、呪い評論家のレヴィアが言う、
「あの泉からは、まだ少しずつ呪いが出ています。いまは出てきた瞬間に解呪されているので問題ありませんが、何とかしたほうがいいです」
その近くでは数人が目を覚ましていて、活気を失ったまちの姿に戸惑っていたのだが、俺たちを見つけるなり、こう言ってきた。
「何だお前らは、よそ者は出ていけ」
なんだそれはと思った。
「お前たちが何か仕掛けたのか?」
青い服を着たエルフ耳の男はそんなことを言ってきた。
やがて別の、人間の見た目をしたエコラクーンの住人は、フリースを見つけて言ってしまうのだ。
「おい、よく見れば、沼地の魔女フリースだぞ。皆が眠らされているのは、魔女の仕業か!」
こんなのってない、と俺は思った。
自分の魔力を絞り出して巨大なドームを作り、そのおかげで助かったのに。
助けてくれたフリースに対して魔女だなんて、フリースが一番言われたくないことを言うなんて許せない。
違う、と言おうとしたが、タマサが俺の肩を掴んで制止した。
わかっている。俺が騒いだところで何が解決されるわけでもなく、むしろ敵対や混乱を招くだけだということは。
でも、我慢ならなかった。
「違うだろう! フリースは何も――」
悪くない、と言いかけて、思い出す。元はといえば、フリースが水源の泉に大魔王を沈めて封印したことが原因の可能性があるのだ。
百パーセント悪くないとは言えない……。
それでも、俺はフリースを庇いたくて仕方がなくて、なんとかエコラクーンの住民数人の前で説明しようとした。
ところが、俺が次の声を発する前に、フリースの冷たい声がした。
「――凍てつけ」
一瞬、住民たちを凍らせてしまったのかと思ってドキっとした。でも違った。
まるで自分の力を見せつけるかのように、魔法を放っていた。沸騰するように湧いていた泉の水を、見事に凍らせたのだ。
振り返ってフリースを見ると、どうしてだろう、微笑んでいた。
そんな場面でもないと思うんだけども。
だって、住民たちは、今にも石とか生卵とかを投げてきそうなくらいの険しい沈黙を見せていたからである。
俺が庇おうとしたことが、嬉しかったのか、それとも、諦めの笑いを浮かべるしかないほどに傷ついていたからだろうか。
「まちなよ、皆」
不意に、アリアさんが前に出た。
「あたしは大勇者アリア。この場所の水は、一時的に毒で汚れている、だから飲むと危険だ。今しがた大勇者フリースが凍らせた泉が毒の発生源になっていた。しばらくは彼女の氷のおかげで無事に済むだろうが、三日くらいしたら彼女の氷の効果はなくなる。いつまでになるかは分からないけど……しばらくは、この場所には近づかないでほしい」
紫熟香で浄化されたものには継続して周囲の呪いを解く効果があるが、それは三日くらいであるという。アリアさんは、そのことを知識としては知っているようだった。
エコラクーン民の一人が前に出て、「アリア様、ありがとうございます」と頭を下げた。他の住民たちも、アリアさんに次々に感謝を述べた。
「アリア様」
「アリア様、本当に我々を助けてくださって本当に……」
「アリアさま」
「アリア様、そんな大怪我をしながら、僕たちを助けに来てくれたですね!」
「おおアリア様!」
なかには地に手をつき、頭までつけて感謝を表明している者までいる。
「いや、だから、あたしじゃなくて先輩が……」
おかしいだろう。全てを解決したのはフリースの力があったからなのに。
なんだよこれ、後味が悪すぎるじゃないか。
だけどフリースは、今にも飛び出しそうな俺に歩み寄り、文字を見せつけてくる。
――いいから。
――大丈夫だから。
とてもそうは思えなかった。レヴィアも隣で首をかしげていた。
「いつか、わからせてやろうな」
俺はフリースを引き寄せて、白銀の髪に手を置いたのだった。




