第253話 眷属の泉エコラクーン(2/7)
「とにかく、ラックさん。あの氷は最低ですね。はやくやめさせてください」
「ちょっとまってくれレヴィア。何でそうなるんだ。何がどうなってそうなるのか、まったく展開についていけないから説明してくれ」
するとレヴィアは、まったくしょうがないですね、とでも言いたげに一つ息を吐いて、言うのだ。
「あの暴れてる人が誰なのかわかりませんが、あの氷はフリースと違います。どうも周囲の魔力を吸い取って、氷にのせて倍返しするというものみたいですが、うっかり呪いも倍にしちゃっていて、瘴気をおそろしいくらい濃くしています。このままだと、魔物化のスピードが速くなるし、他の魔物も強力かつ凶暴になって、取り返しがつかなくなります」
「ってことは、この大惨事を招いたのは、あの戦ってる人ってことか?」
「そうとも言い切れないですけど、たった今、拍車をかけまくっているのは、あの女の人です」
今の段階では自我を失って呆然としている者たち……、かつて人だった者たちが、一気に凶暴化して共食いをはじめる光景が思い浮かんだ。そんなの、どう考えたって地獄絵図だ。
「よくわからんが、あの氷をこれ以上撃たすのはまずいってことだな、よし」
俺はアイテムボックスから袋にぎっしり詰まった石ころたちを取り出した。
以前、飢餓に苦しむティーアさんたちの食糧問題を解決しようとして注文した食べ物が、石ころが偽装されたものだったことがある。なんとも使い道がないこのアイテムを、今こそ役立ててみせる!
「そりゃ!」
投石した。
全くもって褒められた行為じゃない。
だけど、緊急事態だし、こちらに注目させるためのアイテムを他に持っていなかった。
一投目は全然届かなくて、気付いてもらえなかった。二投目は近くに落ちたが、意識がモンスターに向いていたため無視された。三投目の正直で、やっとこちらを向いてくれた。
ものすごいキツい目つきでにらみつけているのが、遠くからでもわかった。右目がぎろりと光ってる。
しかし、俺たちのことを何の脅威ともみなさず、話を聞く気もなかったようで、すぐにモンスターたちに向き直り、氷の魔法を使い始めたのだった。
「ラックさん、降りましょう」
「え、近づくの」
「なにビビってんですか。行かないと、取り返しがつかなくなりますよ」
「わ、わかったよ」
案内人のレヴィアが言うなら仕方ない。今日のレヴィアが地獄への案内人ではないことを祈るばかりだ。
ところで、俺は、あの目つきの悪い氷使いに心当たりがある。かなり確信をもって噂に聞くあの人だと思うのだが、レヴィアは気付いているのだろうか。
もうちょっとビビったほうが良いんじゃないかなと心配である、
★
エコラクーンには、マリーノーツで最も広い劇場があった。
だから劇的な事件が起きるのは仕方ないのかもしれない――なんて、そんな冗談を言っている場合でもない。
変わり果てたまち。魔力の暴走で熱湯が噴き出し、くぼんだ地形を利用した劇場だったであろう場所には湯が溜まり、廃墟となり、悪魔型モンスターが跋扈。人が住める場所じゃなくなっている。
もともとは清涼な湧き水あふれる場所だったはずが、モンスターと濁った湯気に満ち溢れた魔境になってしまった。
もしも近い未来に、世界全体にこんな風景が広がったら……。
あまり考えたくないけれど、その可能性はあるんだ。
いつだって、世界の仕組みは唐突に変わってしまうものだから。
さて、ビシクの丘を降りて、エコラクーンのゲートをくぐっていくと、腕組をした女が待ち構えていた。明らかに怒っていた。
青みがかったセミロングの髪、長身で、細い肢体。
左目が緑がかった包帯で巻かれている。そして右目の目力がすごい。視線だけで人を倒せそうだ。
包帯は、顔のほかにも、左腕、両足よく見ると胸のあたりにもあった。とにかく光沢のある緑がかった包帯が印象的で、個性的なオシャレアイテムなのだろうか。
この到底年上には見えない若い女の人は、肩を出したゆったりめの薄紅色の服を羽織っていて、下半身は同じ色の安定感のあるかぼちゃみたいなハーフパンツだった。そして膝から下は、またほんのり緑色に輝く包帯だ。なんだかラフな格好だった。シルエット的には、ジャパニーズ女忍者っぽくもある。
腰には金属製の網籠をつけていて、その中から白い煙が発せられている。紫熟香の優しく甘い匂いがするけれど、なるほど、ただの網籠の中で焚いても意味がないのだ。『尾の長い鳥型の黄金香炉』を使わなくては効果が出ないのだった。
なにはともあれ、肌の見えているところには、ほとんど包帯が巻かれていて、まるで病院から脱走してきたみたいだなと思った。
「おい、何の用だよ、石なんか投げてきやがって。凍らされたいの?」
凍らされたくない。呪いにまみれた氷で攻撃されたくはない。しんでしまう。
とはいっても、まだモンスター化した住民たちが本格的に攻撃されているわけではないようだ。
彼女が生み出した氷の壁が俺たちの世界とモンスターの世界を仕切っていた。向こう側にいるモンスターたちは、がりがりと長い爪で分厚い氷を削ったり、「あー」とか「うー」とか言いながら、よじ登ろうとして、滑り落ちたりしていた。
レヴィアの言う通り、モンスターたちは、呪いに染まらない転生者の肉を求めているようだ。
ついでに言っておくと、人型モンスターが大半を占めていたものの、その他にも、さまざまな動物型モンスターがいた。豚とか鳥とか巨大ネズミとか、全てが瘴気をまとっている。それと、見覚えのある生物といえば、雷撃ウナギの姿もあり、その呪いのにょろにょろ生物が蠢いているところでは、時折、閃光とともに小規模爆発が起きたりしていた。
ああ、はやく、なんとかしなくては。
俺は、おそるおそるたずねる。
「あの……大勇者アリアさん、ですか?」




