第243話 幕間夢記録「イトムシの繭」(3/3)
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「おまえらに売る本は無い。帰れ」
シノモリさんが、エルフ専用の古書街であれば、関連図書が置いてある可能性が高いと紹介していた。
ところがどうだ、来てみたら門前払いであった。
どんだけ生きてるんだって問いたくなるような店主の老エルフは、もともとしわくちゃの顔を、さらにしわしわにしていた。レヴィアの存在に不快感を抱いたようだ。
人間の客には、樹木がくりぬかれた中に並べられていた本の背表紙たちを見せるのも嫌なようで、魔力を用いて全ての本棚樹木の扉を閉じてしまった。
「人間を連れておる裏切者に売る本は無いと言ったのだ。さっさと帰るがよい」
頭に来たフリースは、冷気を発生させた。
「…………」
大勇者フリース流の、無言を伴う野蛮な脅しである。
さっさと本を見せないと。この一帯を凍らせてやる、ということである。
「ほう……氷の力に青き衣……なるほど久しいな……穢れたハーフエルフらの生き残りか」
「あなたもでしょ? 先賢のリーフル」
「声を取り戻したか……。だが、おまえならば、人間の狡猾さを身に染みて知っておるだろう、なあ、沼地の亡霊フリースよ。おまえが何故、人間とともに行動しているのか理解に苦しむぞ」
「人間の狡猾は大嫌いだけど、エルフの尊大も嫌いなの。でもね、人間である父のことも、ハーフエルフである母のことも、あたしは愛していた。そのことに気付かせてくれた人がいるから、あたしは、ヒトもエルフも愛することにした」
「うむ……かつて美しい音色で同じようなことを歌った者を思い出した。あれはおまえの母フィーレであったか……まったく、母娘揃って穢れたものよ」
嬉しそうに口の端を上げて、ハーフエルフの老人は笑いかけた。
どういう意味の笑いなのかわからず、フリースは冷気を強めた。
「まつがよい。おまえの力を使えば、この場所など一瞬にして凍りつき、森の書物街に暮らす多くの同胞が巻き込まれることになる。それは、お前の望むことでもなかろう。冷静になれ、氷のフリースよ」
「…………」
「くだらぬ戒律でな、ハーフエルフより薄き混血を、森の書物に触れさせるわけにはいかぬのだ」
「…………」
「だが、今のおまえが識りたがっておることには、このリーフルが答えよう」
「…………」
フリースは黙ったままでいたのだが、このリーフルというハーフエルフの老人には、フリースの抱えている疑問や不安が手に取るようにわかるらしい。
心を読むスキルでも所持しているのか、あるいは、長く生きた経験によるものなのだろうか。
「安心せよ。おまえは今、束の間の眠りについた者をどう扱えば良いのか迷っておるのだろうが、結論を言えば、何をしても良いのだ」
「……?」
フリースは戸惑いの色を帯びた沈黙を返した。
「エルフの血を引くヒトと契約を交わしたイトムシは、繭を形成した段階で覚醒の準備は終わっている。繭になる前までに契約主が使った魔術の質と量にしたがい、能力が決まる。契約主の魔力の影響を受けやすいため、特性は色々であるが、防御に秀でていることが多い。守り神のようなものだな」
「何もしなくていいの?」
「供物を与える必要もなければ、守ってやる必要さえない。黙っておれば、そのうち出てくる」
「もし、この繭が傷ついたら……」
「古代種の繭は非常に密度が高く、時が来るまで決して破れぬものだ。熱にも氷にも強く、水にぬれることもない。特に、おまえのような最高の術士と契約したイトムシの繭は、最高の防御力を持つからな。契約主以外が何をしても無意味ということだ」
「コイトマル……」
「全ては、主しだいなのだ。高い知力や強い魔力をもつ主のもとであれば、言語を用いた意思の疎通も可能であり、優秀な戦士となる」
なるほど、もしそうなれば、フリースの苦手な索敵と反射的な防御ができるようになって、向かうところ敵なしになるんじゃないだろうか。
「戦士? 戦ったら危ない。コイトマルに死んで欲しくない」
「安心せよ。契約されたイトムシの場合、エルフの魔力を吸っている限りは死ぬことはない。どんなに傷ついても再生する。時に盾となり、時に剣となり、丈夫な糸を生み出し続け、主のために生き続けるのだ。しかし、契約されたイトムシは、かわりに制約をもつ」
「制約……?」
「契約主の近くを離れることができぬということ。そして、主であるエルフの血を引く者が命を落とした場合、一緒に死ぬことになる」
「一生、一緒にいられるってことなんだね」
フリースは、首を回して、フードの中の繭に意識を向けた。いとおしそうに。
「沼地の亡霊フリースよ。おまえは、はじめから望んでイトムシと契約したわけではなかろう。どのような姿で羽化するかわからぬし、もしも契約を解除したいのなら、方法がないわけでは――」
「いらない」
冷たく突き放すように、フリースは言った。
「あたしは、コイトマルと一緒にいたい」
「ならば問おう、フリースよ。おまえが思いを寄せる人間と、契約のイトムシ、どちらか一匹しか選べぬとしたら、おまえはどちらを選ぶのだ?」
大切なもの二つ、どちらか一つしか選べないとしたら――。
いきなり究極の選択を突きつけてくる老ハーフエルフに、フリースは即答した。
「両方」
「ほう?」
「あたしは、ラックと一緒にいたいし、コイトマルとも離れたくない。この旅を、永遠に、若返りの薬を飲んででも、ずっと続けていたい。いつか旅の終着点に着いたら、今度は来た道を戻ってホクキオまで行って、終点のホクキオに着いたら、また次の終着点を目指して……。そんな中で、みんなで幸せに暮らし続けていくのが、あたしの夢なの」
そういうことか、と夢を眺める俺は思った。
フリースには、長いこと「日常」と呼べるものが無かったんだ。
幼い頃に父をなくし、母とともに逃げ惑い、逃げた先でエルフたちに拒絶され、村を作ったら災害に遭い、盗賊に全てを奪われた。
やっと一緒に戦う仲間ができて、大勇者にもなったけど、それも他の大勇者とトラブルになって、やめさせられて、エルフからは魔女の烙印をおされてしまった挙句、声を出したらウナギが出てくるとかいう、フザケた呪いを掛けられてしまった。
そこからは人を遠ざけて、『沼地の亡霊』などとハーフエルフの老人が呼んでいるように、人間扱いもエルフ扱いもされなくなった。人間でもエルフでもないままで、嫌なことを何も考えないようにしながら、ずっと一人で暮らしてきた。
今になって、やっと呪いもなくなって、『人間でもあり、エルフでもある自分を誇って生きられる場所』を見つけられたんだ。
「ふむ……純血のエルフであれば誇り高き孤高を選び、狡猾な人間であれば、迷いながらもどちらかを選ぶか、どちらも選ばず先延ばすか、といったところであろうに……なんとも欲深いことよ。エルフの血を引く者らしからぬ、まるで今は亡き獣人のような強欲さだな」
反論したい。夢の中だから声が出せないけど、それは違うと言ってやりたい。
エルフ? 人間? 獣人?
そんなの関係ないんだ。
フリースは、心の奥底から、失われた日常を求めてきたんだ。俺たちの旅は、フリースに負担ばっかり与えていて、フリースにとっては色々大変なことや、思い通りにいかないことも多いはずだ。
だけどそれでも、レヴィアや俺やコイトマルと一緒に旅をしている時間が、彼女にとって、やっと安らげる日常になっていたんだ。みんなと一緒にいたいだけなんだ。
欲深いだと?
これまでの彼女の道のりを思えば、フリースがフリースとしてフリースらしく、俺とかコイトマルと一緒に生きていきたい、それだけでいいなんて、ささやかな願いじゃないか。
これ以上、フリースに何を我慢しろって言うんだ。
こんな質問をして、このエルフ耳の老人は何がしたいんだよ。
ふと、横で聞いていたレヴィアが、口を挟んだ。
「私も、おとうさんとラックさんで、どちらかしか選べないとしたら、『どっちも派』ですね」
レヴィアとフリースの答えが、だいたい一致した。
「おまえの仲間の夢見る男も、同じように言うのだろうか」
老いたハーフエルフと目が合った気がした。
俺なんかは、並の人間だから、きっと考え込んだ末にレヴィアを選ぶか、答えを先延ばしにし続けてしまうか、といったところだろう。
「ラックが選ぶのはレヴィアだと思う」とフリース。
「どうですかね、情けないラックさんは死ぬまで『先延ばし派』かなと思います」とレヴィア。
二人とも、俺のことをよくわかってらっしゃる。
でもレヴィアちゃん、「情けない」はちょっと言い過ぎなんじゃないの?
老いたハーフエルフは言う。
「先ほどの問いに正解も不正解も無い。どちらも選ぶというのなら、それもよかろう。だが、ゆめゆめ忘れぬことだ。主人が果てなき欲望にのまれれば、イトムシもまた、それに応え、呪いに堕ちるということを」
「そうなったら、またラックに助けてもらう。別の世界に行ってでも、何度でも呪いを解いてもらう」
「愚問であったか……。よかろう、好きにするがよい。苦しみを乗り越えたおまえは、もはや魔女でも亡霊でもない。ひとりの自由な娘なのだから」
ハーフエルフのリーフルが、紐で綴じられた薄い本を取り出した。フリースは首を傾げながらも、それを受け取った。
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「その本、なんなんです?」
「さあ」
フリースにも読めないようだった。多くの言語を扱えるフリースにも読めないとなると、またこれも暗号か何かなのだろうか。
「レヴィアはどう思う?」
「フリースに読めないのに、私が読めるわけないですよ」
「五本の線が途切れたり、太くなったりしながら入り乱れて、アクロバティックに曲がりくねっているから、蛇の絵のようにも見えるけど……謎だね。不規則な模様は、何か意味深だけども」
「ハーフエルフのおじいちゃんから貰ったんですから、エルフのひとにでも聞いたらいいんじゃないですかね」
「…………」
クォーターエルフのフリースは暗い色の沈黙を返した。
心なしか、いつもはピンと張っている耳が、元気なくしおれているように見えた。
そんな落ち込んだ雰囲気の中で、夢の世界は終わっていった。




