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ファイナルエリクサーで乾杯を  作者: 黒十二色
第八章 水難のまち

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第186話 壊滅工房都市アスクーク

 アスクークという町は、マリーノーツの他の集落とは異質である。


 裏方スキルを持った転生者が力を出し切れるように築かれた町だった。想像するに、ここでしか手に入らないような武器・防具などのアイテムもあったはずだ。


 それはきっと、これまでも魔王討伐の大きな助けとなってきたことだろう。


 空を駆ける怪鳥の視点から見ると、アスクークは、いくつかの区画に分けられていることがわかる。


 コンクリートが目立つ場所、鉄と蒸気に満たされた場所、光を反射して輝く広場、人工的に作られた森林、食糧庫のように円筒状に掘られた竪穴が多く並んでいる場所もあった。


 それぞれ作られた時代が違っていた。何度もリフォームされた古い家のようである。別の言い方をすれば、熟練の料理職人たちが何代にもわたって継ぎ足してきた秘伝のタレみたいなものなのだろうか。


 ――第一防衛ライン、堤防決壊。


 森林エリアを除けば、他の集落と比べて樹木が非常に少なく、常に鍛冶仕事(どうぐづくり)で汚れた水が池に流れ込んでいる。このまちには、魔力など無いに等しかった。


 ゆえに、この場所では、およそ魔法と呼ばれるものの威力が低下してしまうという特徴があった。清浄な場所を好むエルフもこの場所に近づくほどに調子が悪くなり、立っているのも苦しくなるほどだという。


 ――第二防衛ライン、堤防決壊。


 このコンクリートだらけの城壁内に議会は存在せず、「知事」という者がトップに立ち、人々の命をあずかり、さまざまな決定を下すことになっている。なお、この知事の「知」の文字は、「治める」という意味であり、「知る」という意味は限りなく薄い。


 銀色の鎧を装備した麗しの女知事は、オトキヨの暴走が起きてから数分もしないうちに迅速な避難命令を発し、各地の冒険者ギルドに協力を要請。その後、第二防衛ラインの先頭に立ってなんとか水を町から遠ざけようと指示を飛ばしていたらしいが、決壊するに至って、俺たちと合流した。


 怪鳥ナスカの足を掴んで、そのままよじ登ってきたその女知事。その正体は、マイシーさんである。


 この鎧美女は、オトちゃんの側近もやりながら、転生者のまちの知事もやっていたというわけだ。働きすぎじゃなかろうか。


「普段は替え玉を置いてるんですよ。ラックさんならご存知でしょう? わたくしには、動く人形を作るスキルもありますから」


「なるほどな……」


「ですが……この事態、わたくしが人形をどれだけ操ったところで、さすがにどうにもなりません。人形スキルは避難誘導には便利でしたが、限界があります。もう……ダメですね。皆で長きにわたり築き上げてきた場所だったのですが」


 マイシーさんは感情を押し殺してそう言った。


 ――第三防衛ライン、城壁崩壊。


 マイシーさんの話では、この町では、さまざまな通貨が使用できたという。


 通貨はマリーノーツじゅうの全ての貨幣に加え、日本円、アメリカドル、ユーロ等、いくつかの現実の貨幣にも対応している。


 それと、この町でだけは電波も通るため、インターネットのようなものが使える。いや、使えるようになったばかりだったらしい。


 もちろん、現実のインターネットの情報にアクセスできるわけではなく、あくまでアスクークの城壁の中に限定したネットワークだったが、画期的な第一歩であった。


 機械の本来の能力を引き出すことはできなくとも、少しずつ転生者なりの進歩をしてきた。


 転生者が異世界にあらわれたときに所持してくる貴重な電子機器をつなぎ合わせたものなので、はじめは数も少なく、速度も遅く、不具合だらけだった。たゆまぬ努力の末に、ようやくメールの送受信や掲示板の運営ができるようになり、研究が実を結び始めていた頃だったのだ。


 失われるとしたら、もう完全な形での復旧は見込めないだろう。


 転生者はそこまで多いわけでもなく、ちゃんと動く電子機器を持ってこの世界にやってくる者も少ないし、この世界にあるもので現実と同じ水準(レベル)の科学をもたらせる発明家も、今のところ現れていないのだから。


 ――城下町、浸水。


 城壁が破られたことで、工房としての機能を持っていた地域に、ついに水が到達してしまった。鍛冶の道具などもすべて無くなった。水の塊に取り込まれ、異常な水圧で押し潰されて形を失い、二度と使えなくなった。


 ――繁華街、沈没。


 転生者同士が情報を交換し合う広場も、雑多に並ぶ多くの店も、泥水の底に沈んだ。


 ――中心街、壊滅。


 戸籍の管理などをしている建物。マイシーさんの執務室もあった、こだわりの二階建て木造建築が崩れ落ちた。


 水の浸食によって四階建てのビルが崩落した。上部に大きな時計がついていて、摩天楼と呼ばれていた場所だそうだ。


 なすすべがなかった。


 旋回する怪鳥の背に座りながら、マイシーさんが一度だけ、涙をぬぐう動きを見せた。


 一体いつからアスクークの町を切り盛りしていたのかわからないけれど、俺がこの世界に来るずっと前から、ここに転生者のまちが作られていて、少しずつ少しずつ拡張していたんだろう。


 避難は、マイシーさんが人形を操って指揮を執り、大勢のギルド員たちの力を借りて、一人残らず済ませた。彼女の采配が、人々を救ってみせたのだ。マイシーさんは、「みんなが無事で良かったです」なんて言っていた。強がっているのは明らかだったけれど、俺の口からは、「そうですね」くらいしか言えなかった。


 ――暴走する水の塊が、汚れた水たまりに到達した。


 朽ちた金属や化学の泥に染まった茶色い水を吸収して、それまで辛うじて透明感が残っていた大蛇に、黒い鱗が生まれはじめた。根元からだんだんと黒く、黒く、変色していく。


 まるで、これまで実体のなかった存在が、肉体を得たようだった。


「第二形態。よくない黒龍になった」とフリース。


 禍々しい姿。顔の形は唸り声をあげ続ける狼のようで、上あごには鋭く大きな二本の牙がある。血走った赤い目。夜中に見る樹木の枝みたいな不気味さに満ちた角が頭の両側に生え、蛇のような長い全身が、ほんのり赤黒い霧をまとっている。


 この第二形態のままでも十分にラスボス感があるけれど、さらにこの先にも変化形態があるという。


 これよりも変化させるわけにはいかない。


 人類は、どうにかして、この黒龍を無力化しなければならない。


 黒龍は、城壁に囲まれたアスクークに蓋をしてしまい、すぐに防御コーティングをまとったコンクリ城壁が、軒並みぺしゃんこになった。紙細工のように。


 地面が大きく揺れたらしく、草原を避難中の列の一部がドミノみたいに倒れるのが見えた。


「こんなの、どうすりゃいいんだよ……」


 俺が呟いている間にも、黒龍は、さらに汚水を吸い取り、黒さを増していた。


  ★


「あたし一人でやってくる」


 フリースがそう言って飛び降りようとした。


 マイシーさんが肩を掴んで止めた。


「お待ちくださいフリース様。他の実力者の到着を待つべきです」


 けれども、引き留めたところで止まるようなやつじゃない。


「コイトマル、出て」


 と、フリースが言うと、フリースのフードから以前よりもずいぶん巨大化したイトムシが顔を出し、トコトコと歩いて、マイシーの銀色の籠手に乗り上げた。


 痩せたフリースの太ももくらいのサイズがある蟲の登場に、「ひぃっ」と声を出しながら手を引っ込めた時、コイトマルは宙を舞った。


「危ない!」


 俺は咄嗟(とっさ)に手を伸ばし、コイトマルを掴み取った。


 ここは空の上だから、落ちたら危険だ。蟲は高いところから落としても死ににくいとはいうけれど、落ちていたら何らかのダメージは避けられなかっただろう。はぐれて二度と会えなくなっていたかもしれない。偶然に俺の手が届くところに飛んでくれて、偶然に俺の手に吸い寄せられるかのように収まってくれたからよかったものの、フリースも少し冷静さを欠いているのだろうか。


「危ないぞ、フリース。気をつけろ」


 俺はそう言ったけれど、彼女は返事をしなかった。


 フリースは俺たちに背を向けながら、これまで聞いたことがないような力強い声で言うのだ。


「大丈夫、カタキ、とってきてみせるから」


「誰も死なないように……お願いしますね」


 マイシーさんの言葉に、フリースは背を向けたまま、頷いた。


「あ、俺も――」


 俺も行きたい、と言おうとしたけれど、その言葉が届く前にフリースは飛び降りていた。


 白銀の髪をなびかせて、クォーターエルフの娘が両手を広げて落ちていく。


 一度こちらに反転し、なにごとか口を動かしてから、空中に氷の坂を作り出して、いつものように、裸足で滑り降りて行った。


 その透き通る坂道は、夕陽に照らされて赤く輝き、巨大な蛇に向かって細く伸びていく。遠ざかっていくほどに小さくなっていく背中の向こうには、漆黒の大蛇がこちらを見据えて鎌首をもたげていた。


「ラックさん、彼女は『コイトマルをよろしく』と言っていましたね」


「マイシーさん、さっきの、きこえたんですか?」


「いえ、唇の動きを読んだんですよ」


読唇(どくしん)スキルも使えるんですね」


「ええまあ、わたくしは、たくさんの……たくさんの技を、もって、いますので」


 そう言った時のマイシーさんは、やはりとても悲しそうだった。自分で自分を責めるような、誰よりも多くの技を持ちながら何をやってるんだと自分に激怒するような、そうして心で泣いているような、絶望渦巻く声だった。


 こういうとき、本当に俺には何もできないんだなって痛感する。


 とぐろを巻く黒龍を何とかして、いつものユルいオトちゃんに戻す力があったなら……。


 だけど、アレはもう、規格外すぎてどうしようもない。


 俺の出る幕なんか無いだろう。


 遠くでフリースが戦闘に入った。おびただしい量の氷が生み出され、黒龍に向かっていく。けれども、全て弾かれていた。


 効いていない。あのフリースが、どう見たって苦戦している。


 俺の腕の中では、コイトマルが落ち着きを失い、何本もある手足をばたつかせ始めた。


「お、どうした? ご主人様を助けに行きたいか?」


「…………」


 コイトマルは答えない。飼い主に似て、沈黙が好きらしい。


「でも、ダメだぞ。俺はな、フリースからお前を(たく)されてるんだからな」


 少し強めに抱きしめてみると、おとなしくなった。


 以前より大きく重くなったコイトマルは、氷みたいに冷たかった。




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