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ファイナルエリクサーで乾杯を  作者: 黒十二色
第八章 水難のまち

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第185話 水の塊

「レヴィア!」


 勢いよく起き上がった。起き上がれた。不思議だ。俺は確かに身体を炎に貫かれたはずなのに。血も噴き出すような大けがだったはずなのに。


「傷が治ってる……」


 これは、どうしたことだ。目覚めたはずが、またしても別の夢に飛ばされてしまったというのだろうか。悪夢から悪夢へと飛ばされてきたのだろうか。


 横を見ると、なぜだか申し訳なさそうに俯いている青い服の少女が見えた。


「……ラック。よかった」


 そこにいたのはフリースだった。


「夢じゃない。ちゃんと現実。ラックは生きてる」


「そう……か……」


 俺が倒れたはずの場所からは少し移動していて、ラキア町の窪地を見下ろす高い崖の上だった。


 見下ろした先には遊郭の建物もあるし、釜の底のホーンフォレスト池もある。両方とも健在だった。おかしい、夢だと水に沈んでしまっていたはずだ。


 いや、もはや、そんなこともどうだっていいんだ。とにかくレヴィアの状態が気になる。無事だろうか。


 俺が質問する前に、フリースが答えてくれた。


「レヴィアなら大丈夫。絶対大丈夫だから」


「見せてくれ、姿をみないと安心できないだろう!」


「あれくらいで、あの子が死んだりはしないから」


「何言ってんだ! 思いっきり胸を貫かれて死にかけない人間がいるってのか? 心臓が何個もあるってのか?」


「ああもう、うるさいなぁ!」


「うるさいって何だよ!」


「そういえば、あたし、ラックと口きかないことにしてるんだった」


「えっ……」


 あぁそうだ。暗殺実行犯の長い夢を見て忘れかけていたが、フリースとは絶賛ケンカ中であり、俺は彼女に謝らなくてはいけないのだった。


 つい先日、フリースはスマートフォンを受け取ってすぐに破壊した。そのときに、うっかり彼女に向かって「この魔女が」と口走ってしまったのだ。これはもう本当に申し訳ないと思っている。


 魔女と呼ばれることは、かつて仲間外れにされた彼女のトラウマを刺激して、深く傷つけるのである。どれだけ怒りを抱いたとしても、仲間である俺が口にしてはいけなかった。


 真剣に謝罪しなくてはならない。


「あの、フリース」


「いい」


「うん?」


「えらいことになってるから、後にして」


「お、おう……」


 どういうことかと顔を上げると、たしかに、遠くの方で切羽詰まった事態が展開されていた。


 ラキア遊郭は無事だった。けれども、中に入って野球ができそうなくらいに巨大なドーム型の、透明な水の塊が、木々をなぎ倒しながら進んでいる。


 進行方向には、少し大きめの、壁に囲われた市街地に向かっていた。


「なんだ、あれ。まるで透明な山が動いてるみたいだ」


「オトキヨ。暴走してる」


「……まじか」


「五龍の一柱(ひとはしら)だからね。本体を傷つけられたら、あのくらい巨大化する」


 人間ではないとは言っていたが、あれだけの巨大な水の塊が制御不能に陥っているとしたら……あまり考えたくはないけれど……。


「もしかして、世界存亡の危機だったりする?」


「全然。傷は浅いみたいだから、今のところは世界とまではいかないかな。ただ、少なくともさっき遊郭は滅びかけてた。あたしの氷が間に合わなかったら沈んでたよ」


「フリースが助けてくれたのか。ありがとな」


「……でも、氷で押し出しただけだから、かわりに別のとこに被害が出そう」


 水の進行方向には、場違いに近代的な町があった。クレーンのような機械の影がいくつもあり、コンクリートの城壁に囲まれていて、そこそこに背の高い建物も多く、町のあちこちから、蒸気がもくもくとあふれ出しているように見える。


「おい、あれは、何ていう街だ?」


「アスクーク」


 初めて聞く町の名前だ。


「そこに、何があるんだ?」


「転生者が集まって鍛冶(かじ)やアイテム製造をしてる機械のまちがある。『工房都市アスクーク』の名で知られるところなんだけど……よりによって、中心によくない池がある」


「よくない池?」


「中央の池を中心に戦闘力のない転生者が多く住む計画都市だから、魔力とか枯渇してるうえ、汚染されてる。オトキヨにとってよくないものの吹き溜まりになってる」


「そこに向かってるとなると……もしかして、暴走オトちゃんには水を求める習性があるのか?」


「習性というより本能かな。朝起きて、グラス一杯の水を飲む、みたいな感覚だね。池に到達させたら、ちょっとマズい。アスクークの池は、水龍にとっては猛毒。それに触れたら、悪い方向での第二形態、いや第三形態までいくかもしれない」


「第三形態……」


「そうすると、別の名前の化け物になる」


「というと?」


「――ヒュドラ」


 ギリシア神話に登場する多頭(たとう)の大蛇である。怪物である。毒をもち、頭の一つは不死身であるという。


 日本神話でいう、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に近いイメージだ。こちらも頭がいくつもある蛇の化け物。八岐大蛇は洪水のことだとも、火山噴火で流れ出す溶岩のことだとも言われる。


 いずれにしても、伝説の怪物である。そんなのが、神聖皇帝と呼ばれる者の制御できなくなった姿だという。


「わかったぞフリース。その名前だけでもう理解した。規格外の化け物なんだな、オトちゃんは」


「今はまだ、生まれかわりたての赤ちゃんみたいなもの。混沌(こんとん)とした透明な泥。よくない魔力を吸って大きくなると第二形態。龍の形になって、硬い鱗に蔽われてしまう。そうなると、暴走状態の本体を取り出しにくくなる。そして、第三形態ともなると、さらに本能のままに水を求めるようになって、どんどん頭が増えていく」


「そして最後は、大洪水……か?」


 フリースは沈黙しながら頷いた。


「第四形態以降になったら、重みで、この世界を支える柱が折れるかも。そうなったらマリーノーツは終わりだね」


「終わりって……おいおい、それは……。何とかならないのか?」


「ラックの力が必要になると思う。一緒に来て」


「どこにだ?」


「新都アスクークの入口。先回りする」


 遠く、ぷるぷると這いずる濁った水の塊を見ると、さっきまではドーム型だったのが、だんだん細長く、蛇のようになっているのが見えた。谷にあわせて形を変えたのだろうか。


「急ぐぞ、フリース」


  ★


 フリースは竹筒でできた笛を吹いて郷愁を誘うような甲高い音を出し、いつぞや俺たちを宮殿まで運んだ巨大な鳥を呼びよせた。


 ナスカくんという名の巨大怪鳥である。どうやらマイシーさんから借りたらしい。


 二人でその背中に乗って空からアスクークの街を目指して行く。太陽は傾きかけていて。もう夕方であった。


 不思議なことに、この怪鳥の背中の上にのっている時には、上空でも普通に呼吸や会話が可能だった。しかも、何かに捕まらなくても、簡単に落ちたりしなかった。


 調教スキルのおかげなのか、それとも一種の魔法なのか、得体のしれない力で快適な空の旅が約束されている。


「うおー、すごい! これはすごいぞ! フリース!」


「驚きすぎじゃない? 別に普通でしょ」


「なあフリース。そのリアクションからすると、背中に乗ると快適だって知ってたわけだよなぁ。以前俺たちを縛って運ばせたのは何だったんだ?」


「……理由はちゃんとあるけど……そのことは後回し。今は、敵に辿り着く前に状況を整理させて」


 というわけで、状況説明。


 フリースが言うには、さっきオトちゃんが暴走して大質量の水の塊になった時、ラキア町が水に沈みかけた。そのとき、マイシーさんがフリースを連れて辿り着き、残っていた遊郭女子たちと協力しながら魔法障壁を張ったそうだ。


 おもに土属性の魔法を基盤にして堤防をつくり、それをフリースが氷で固め、徐々に巨大化させることで水の塊を押し出したという。


 押し出された水はプルンとひとかたまりになったまま地面を進み、草原を剥がして泥をのみ込み、森の木々をなぎ倒してまた少し汚れた。


「ここに人間の街の汚れまで加わったら、昔と同じになりかねない」


 フリースはそう言って、昔を思い出すように、空を見上げた。赤みがかった空に、濃い灰色の雲が幾筋(いくすじ)(ただよ)っている。


「前にも同じことがあったのか?」


「カナノ地区の北側にね、広範囲にまで湿地帯が広がった原因だからね。いわば、オトキヨの黒歴史の一つ」


「隠しときたい失敗の歴史ってやつか」


「そう。一番最近のだと、人間とエルフが炎の決戦兵器を作ったんだけど、それを魔族に盗まれて、それを何とかするために人間の偉い人が黒龍(オトキヨ)と契約しにいったら、しばらく会わないうちに、うっかり黒龍が暴走していて、最後には勇者まなかが討伐した……。そんな話、きいたことない?」


「初耳だな」


「じゃあ、邪悪な龍を殺して埋めたっていう話は?」


「それは、どこかで……」


 あれはたしか、ネオジュークピラミッド手前にあるカナノの交差点から少し入ったところにあった看板。石畳で蔽い隠して暗渠にした川があり、そのチカイノ川というところの偽装説明看板にあった気がする。あの時は、アオイさんに頼まれて『曇りなき眼』の力を使ったんだったか。


 話の内容は、たしか……フリースが言うように、その川に悪い龍の遺体を殺して埋めたという話だった。


「それ嘘だから」


「ええっ……」


「実際は、本体を取り出して呪われてるのを浄化して、戻した。暴れたのを反省したことがキッカケで、オトキヨは人間社会(マリーノーツ)に、さらに協力的になったんだよ」


「なんと……」


「だからね、暴れた邪悪な黒龍本人が、オトキヨ様として雨乞(あまご)いの巫女をやってるなんていうのが知られたら困るでしょう? それで隠したっていう、それだけの話」


 陰謀に満ちてんなぁ、世界(マリーノーツ)。素朴だった世界に転生者が持ち込んだ()しき文化だと考えると、申し訳ないとさえ思う。


「なあフリース、戻るのか、アレ」


 と、俺は、とぐろを巻き始めた透明な水に視線を送った。夕焼け空を背景に、怪しく光を反射していた。


「大丈夫。前に何回か暴走してるけど、そのたび、ちゃんと戻ったから」


 だからって、今回も絶対に大丈夫ってことにはならないんだろうなぁ。


 だって、俺は見てしまったんだ。フリースの手が、不安で震えていたのを。




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