第137話 皇帝みこし(1/4)
このマリーノーツ世界には、皇帝がいる。しかも女帝であるらしい。
名前はオトキヨといい、以前、闘技場でみたときには、身体は小さく、声が幼かった。フードを深く深くかぶっていたから、俺の『曇りなき眼』をもってしても顔は見えなかった。
ところが今、オトキヨ様は俺の目の前で、どうにも魅力的なオトナ女性の姿を見せていた。もちろん、アンジュさんのような薄着じゃなくて、ちゃんと黒い服を着ているけれども。
服も黒ければ髪も黒い。腰まで伸びた長い髪が印象的だった。
幼いオトキヨ様と、大人のオトキヨ様。
どちらが本物のオトキヨ様なのだろうか。
ハタアリさんが男女二種類いたことで、少し複雑に考えてしまう。
しかし、妖艶な色香を撒き散らしながら、オトキヨ様は言うのだ。
「なるほど、以前のわしが幼かったとな。じゃがな、ラックとやら。そいつはどっちも本当のわしじゃよ」
★
少し前のことだ。
坂をのぼったり下ったり。俺たちの氷力車は三人を載せて軽快に走っていたが、ちょっとその走り方が乱暴になってきた。
運転を担当するフリースが坂の多さに苛立っていたのだ。
「こんな風に作ったやつ誰よ」
以前、フリースの昔語りをきいた時に、このあたりを氷パワーで開拓したのは自分だって言ってた気がするから、「それはフリースだろ」と返してやる。
「そうなんだけどもさ」
「しょうがないさ。罰当番っていうかさ、望まない仕事だったんだろ。プロの土建屋じゃないんだし、むしろフリースの力が人を住めるようにしたわけだから、誇っていいと思うぞ」
「そ、そうかな」
フリースが少し嬉しそうに笑ってくれたのを見て、俺も嬉しくなった。
だが、反対側からは燃え盛る嫉妬の視線を感じて、振り返るのがこわい。
それでも、そのままにしておくわけにはいかず、もう一人の女の子に話しかける。
「あぁっと、レヴィア、おなかすいてない?」
「すいてないです」
なんだか態度がトゲトゲしい。
するとフリースが、青い服のポケットからなにかを取り出した。右手の筒状のものから、反対側の手のひらに緑色の物体が落とされる。
「忘れてた。コイトマルにごはんあげなきゃ」
声に反応したのか、匂いに反応したのかわからないが、フリースの首筋からイトムシの小糸丸くんがあらわれた。青みがかった白のボディをうねらせてフリースの手まで健気に前進してくる。
フリースは手の上にのせたコイトマルに、緑色のコイン状のエサをもっていき、それでもうまいこと運転し、坂の多いアップダウンの激しい道をしっかりと進んでいく。むしろ、エサをやりながらのほうが丁寧に思えるくらいだ。
こういうのを見ると、さすが元大勇者、ものすごい細やかな魔力調節の力を持っているんだなと、あらためて思う。この精密さに至るまでには、どれだけレベルを上げればいいんだろう、なんて遠い目をして考えてしまう。
さて、俺たちはアンジュさんの支配するザイデンシュトラーゼンを出て、カナノ地区を経由し、ネオジュークへ入った。いつぞやレヴィアに告白したフレイムアルマ広場も通り過ぎ、ついにネオジュークから東の地域へと足を踏み入れた。
ここはフォースバレー地区というらしい。力の谷、みたいな意味だろうか? 由来については、よくわからないけれども。
そして、しばらく走って、両側を崖に囲まれた薄暗い道で出会ったんだ。長く続く行列に。
その行列は、白銀の甲冑の男ふたりが先導し、多くの黒い服の女性たちが後に続き、その後ろから、二人の甲冑兵士に担がれた黒い籠が出てきた。籠の後ろには、白馬に乗った銀の鎧美女の姿があった。
おや、あの白馬の上の顔を出している鎧美女には、見覚えがある。
あの高貴な輝きは、いつぞやの闘技場で、オトキヨ様と一緒にいたマイシーという女性ではないか。
直接に話したことは無いけれど、八雲丸さんの話では多くの技を持つ女の人で、一度みた技はほとんど真似ができてしまうらしい。
担ぐ人たちのワッセワッセいうおとなしめの掛け声とともに、リズミカルに進む籠。
両側を崖に囲まれた地形なので、すれ違うために俺たちは横に避けた。
その時である。ゴトトン、と不穏な音がした。なぜ不穏かというと、頭上からの音だったからだ。
見上げると、巨大な岩が籠に向って一直線。
「あ! 危ない!」
と、叫んだ。だが、叫んだところで何がどう変わるだろう。
ここから籠まで遠い。五十メートルは距離がある。俺のごときザコは、あの場所に一瞬で移動できるスキルもなければ、あの岩をどうにかするスキルもない。
ああ、まずい。このままだと、籠で運ばれるような高貴な人が傷つくかもしれない。酷い場合、死――。
考えている間にもう、岩があと数メートルのところまで落ちてきていた。
担ぎ手たちの悲鳴。籠を投げ出して逃げ出した。
なんてこった。担ぎ手の訓練不足、覚悟不足なんじゃないのか。
ああ、ああ、もう、岩がぶつかってしまう――。
その時である。
透明な氷の板が視界に躍り出た。光を乱反射しながら岩を切り刻んだ。
よかった。助かった。勢いを失った小さな石たちが籠の屋根の腕に、ドドドドと小石たちが落ちるだけに終わった。
俺はホッと胸をなでおろした。
「フリース、ナイスだ」
「…………」
しかし、フリースは、まだだとばかりに俺を無視すると、こんどは透明な階段を作り出した。上空に向って高くカーブを描きながら伸びていく光の反射。その氷は、俺たちの足元と崖の上とを繋いだ。
「フリース?」
「…………」
フリースは答えない。ただ自分で作った階段を使わずにジャンプで崖の上にのぼったところをみると俺に「ついてこい」と言っているようだった。
俺はその無言のメッセージを正しく受け取り、氷の階段を、二回か三回滑って転びそうになりながら駆け上がって崖の上に立った時、焦って走り去っていく四人くらいの人影が見えた。黄色っぽい服を着ていたけれど、何者なのだろう。
怒涛の急展開のなかで、俺はフリースに語りかける。
「フリース。あれは?」
「わからない。でも、あんなに逃げてるってことは、岩を落としたのは、たぶん……」
「とりあえず、さらなる危険ってのはなさそうだな。下に戻るか」
と、俺が崖の間の谷に降りて行こうとした時である。
安心しきって気が緩んでいたのだろうか。
「アッ」
愚かな俺は階段で足を滑らせた!
「やばっ」
地面に向って真っ逆さま!
衝撃にそなえて目を閉じたのだが、次の瞬間、俺は柔らかいものに包まれていた。
あたたかくて、やわらかい、まるで母に抱かれる幼児みたいな気分になる。
「なんだ、助かった……のか?」
気付けば俺は、鎧を着た女性の腕の中にいた。
いわゆるお姫様だっこスタイルで、背中とヒザの裏を支えられ、宙に浮いている。
しかし、なんだこの驚きの柔らかさは。
まるで布団やクッションやマシュマロに包まれているようである。鎧を着た美女に抱えられてるはずなのに、だ。
普通、鎧やら甲冑ってのは、冷たくて硬いはずだろう。
不思議に思った俺は、目の前にあった見た目は硬そうな甲冑の肩のあたりに指をさしてみた。ずぶずぶと沈み込んだ。
「あの、どうかしましたか?」
鎧の美女は首を傾げた。
「いや、なんていうか、やわらかいなって」
言いながら、銀色の鎧を何度ふにふに押してみても、やっぱり柔らかい。目に映っている質感は金属そのもの。俺の『曇りなき眼』が反応しないことから考えると、特に偽装スキルが使われているというわけでもないようだ。
「あの……」と鎧美女の冷静な声。
甲冑の胸のあたりをトントンと拳でノックしてみる。ここもやっぱり柔らかい。胸のあたりは、狙われると命にかかわるので、普通は思いっきり硬くするはずなのに……。
「物質を柔らかくする技です。あなたが怪我をしないように、柔らかくしてたのですが……あの……あまり触られると……」
「えっ、あっ、すみません!」
俺はそう言って、彼女の腕から飛び降りた。
しまった、俺としたことが。鎧ごしとはいえ、いきなり初対面の人の胸に触るなど、まさに蛮行の中の蛮行である!
「本当にごめんなさい。恥ずかしかったですよね!」
「いえ、こちらは、その、見ての通り分厚い鎧ですので、べつに良いのですけど……」
鎧美女の視線が、俺の後ろ側を見つめていた。
「ハッ」
などと気付いた声をあげながら慌てて振り返ったら、背後から俺をにらみつける視線が二つ。
「ラックさん! おっぱい触ってた!」とレヴィア。
「エロエロクソ野郎ここに極まれり、ね」フリース。
「ち、ちがう! 俺はただ、鎧の硬さを確かめようとしてだな……」
「ああたしかに、いやらしい手つきだったような……」と鎧の人。
「おいぃ!」
このままでは、俺のエロエロクソ野郎裁判が開廷され、何度目かのギルティ祭りが開催されてしまう。よみがえりかけるトラウマたち。だが、そんな窮地を救ってくれたのは……。
地面に放置された籠がガタガタと揺れ、中から一人の女性が這い出てきた。
「なんじゃなんじゃ、騒々しいのぅ」
立ち上がった彼女は、なんともオトナの色気ある女性のように見えた。




