第111話 ザイデンシュトラーゼン城(5/11)
カラスの鳴き声に起こされた時、太陽の光が窓から差し込んできていて、だいぶ眩しかった。
細目になりながら起き上がり、パンツ一枚になっている自分に気付いた。
「何故?」
俺はアンジュさんと飲んでいたはずだよな。
……アンジュさん、目覚め、パンツ一枚。
嫌な予感がよぎったが、ここは室内。冷たさのない暖かい部屋だ。
眠る前と同じ、洞窟の一室だ。
酒くさいやわらかベッドに俺は寝ていた。
そして横には、一糸まとわぬアンジュさんの褐色の引き締まった背中があって、とても美しかった。
「ん? あれ、え? 一糸まとわぬ背中?」
それって、どういう……。
ぼやけた頭に手を当てて考える。クリアになってきた思考で、再び状況の把握を試みてみる。
「は、ハダカぁ!?」
褐色の魅惑ボディ女が隣で寝てるじゃないの! しかも素っ裸のように見える!
幸いに周囲には誰もいないが、こんな場面、誰かに見られたら絶対に誤解される。
だけど、待てよ。これって誤解なのか?
くっ、なんも憶えてない。
アンジュさんに樽の中に放り込まれて五右衛門酒風呂づけにされたところから記憶が途切れているんだが、俺はあの後何をやらかしただろう。
やらかしてなければ問題ないけど、記憶がないから証明できない。やらかしていたとしたら、それはそれで憶えていないのは勿体ない。
いやいや何考えてんだ俺は。
ともかく、服を着なくては。
俺はアンジュさんに灰色の布をそっと掛けてやり、服を着ようと装備画面を開いた。
ところがその時、透明感のあるステータス画面の向こう、キャンバスの前でベッドに向けて両手の人差し指と親指で四角をつくり、構図の確認なんぞをしている暗黒絵描き女の姿が見えてしまった。
「ちょ、ちょちょちょ、ボーラさん? 何を?」
「何って、ベッドの上の男女を絵に収めてたのさ。モデルが動いちゃダメだから戻ってくれないかい?」
「いやいやいやッ、え? いつから?」
「一晩中さ。あの壁にかかってる見事な絵に触発されてね。そしたらちょうどいいところに男女のヌードモデルがいたからさ」
見ると、大量の描かれた後のキャンバスが窓際に積み上げられていた。
「ヌード? えっと、アンジュさんは上も下も生まれたままですけど、俺はちゃんとパンツ穿いてましたよね? 大丈夫ですよね?」
「ベッドで絡み合ってたけど、パンツはぎりぎり脱げかけで何とかなってたね」
「か、絡み合って……?」
「見るかい、ほら、こんな風に」
ボーラさんは、足元から拾い上げたデッサンを見せつけてきた。そこには、アンジュさんのハダカの胸に顔をうずめている俺の姿が描かれてきた。
くそ、おぼえてない。酔っぱらった俺うらやましい。――じゃなくて。
「あの、これ、本当ですか? 本当の本当に俺やらかしちゃいました? レヴィアが寝てる横で」
そしたら黒ずくめのボーラさんは残念そうにフゥと溜息を吐いて、
「一晩中描かせてもらってたけどね、みっともないやつだよ、あんだけされて手を出さないなんて。ま、二人とも酒でグッタリだったからね」
手は出さなかった。よかった。
「ホッ、俺は悪くないってことですね」
「さぁねぇ」
ボーラさんはシャシャっと木炭を走らせ、新たなデッサンを完成させて、俺に見せつけてきた。
「うっ、これはっ」
そこには、だらしなくパンツ一枚で寝る俺と、俺を後ろから抱きしめる巨乳褐色女と、そんな二人を小さな女の子二人が見下ろしている場面の絵だった。ひどく冷たい目だった。
「あの……ボーラさん、レヴィアとフリースは……」
「先に宝物庫に行くって言ってたね。無言で冷たい文字を残してね」
フリースが氷文字で書いて、レヴィアの手を引いて出て行った、といったところだろうか。
「まずい気がする。誤解だから、何とかしないと」
「同じベッドで裸で抱き合って寝てたんじゃ、誤解も何もないんじゃない?」
「クッ」
ともかく、追いかけて宝物庫に行かないと。
★
「ちょ、なんです? 何なんですかこれは!」
俺は空中で足をじたばたさせた。
服を着てから宝物庫へと走り出した俺は、一瞬で腕をからめとられた。
すれ違いざまに、エプロン姿の若い女性二人に両側から腕を掴まれた。身体を浮かされ、足をじたばたさせることしかできなくなった。
部屋に戻されてしまった俺は、再びベッドに座らされ、戸惑いの中で二人の女がアンジュさんを起こすところを眺めているしかできなかった。
「アンジュ姐さま、起きてください」
ぴちぴちと頬をやさしく叩く優し気な女の子と、
「起きろってんだ! アバズレ!」
ぐいぐいと足で背中を踏みつける乱暴な女の子。
ゲシと、蹴り飛ばしたところで、アンジュさんが起きた。
俺は見るのをやめた。裸体を見てはいけないと目を背ける。
「ん、あれ……朝?」
と背中のほうからアンジュさんの声がする。
かと思ったら、二人の女性がアンジュさんを罵ったり、優しく世話したり叱ったりする声が次々に響いた。
「おら服着ろよクズが」
「アンジュねぇさん、お水をどうぞ」
「散らかした分、ちゃんと掃除しろよな」
「ねぇさん。お酒って、高いんですよ?」
「あーあ、食い物もこんなに散らかして。今度やったらぶっ飛ばすぞ。もったいねえだろ」
「ほら、はやく服を着てください。お客さんが困ってます」
「ていうかクズアンジュ、宝物庫にガキが二人きやがったけど、通していいのか?」
「とりあえず入口のとこで待たせています……結界張っておいたから入れないはずだけど」
「あッ、これ、わっちが貯蔵してた高いハムじゃん。マジぶっ飛ばすぞ弁償しろアンジュ」
「お酒の飲み方! いいトシなんだから、ちょっとは考えてください!」
そこでアンジュさんが、「はぁい、すみませぇん」と言って片付けに参加しはじめた。
俺もなんとなく机を動かしたり椅子を片付けたり、ちょっとだけ手伝って、四人で掃除を完了させた。
ボーラさんは、その様子を手を動かしながら見つめていた。
「まったくもう、ナディアねぇさんが戻ってきたら言いつけてやるんだから」
と優し気な女の子が言い、もう一人の乱暴な子が頷いて、
「わっちも。ハクスイ様が帰ってきたら生き埋めにしてもーらおっと」
二人で大量の食器を抱えて部屋の外へ出て行った。
「えっと……乱暴なほうの女の子、めっちゃ軽いノリで恐ろしい言葉を吐いて去っていったな……」
「ああ、あの狂暴なほうは、遊郭出身でね、本当は賢くて優しい子なんだが、ハクスイの教育のせいであんな風になっちゃった可哀想な子よ」
「なるほど、もう一人は?」
「あっちはナディアの義妹。おとなしくって、チョー可愛いでしょ? あたしにとっても妹みたいなもんよ」
「なるほど……絵の中の後列に描かれてた女の子たちですね。だとすると、服の下はアンジュさんほどではないにしても、けっこう良い身体してるんでしょうね」
「…………」
そこで会話が途切れ、長い長い沈黙が訪れた。
「…………」
「…………」
永遠とも思えるような重苦しい沈黙が続き、先に口を開いたのはアンジュさんの方だった。
「あー、ごめんね、ラック。あんまり記憶ないんだけど、迷惑かけた気がする」
「いえそんな。娘さんの受験でストレスが溜まってらしゃるんですよね。仕方ないっていうか」
「えっ、あたしそんな話した?」
「ええまぁ」
五回か六回くらいは聞いた気がする。
「いやぁ……忘れてほしいなぁ……あたしの豪快で痛快なイメージが」
「もう忘れましたよアンジュの姐御。俺は頭悪いんで」
「あぁそう……」
アンジュさんは、安心したような、恥ずかしがるような、複雑な表情を浮かべた。
「ところでラック、さっきも、うちの子たちが言ってたけど……」
「レヴィアとフリースのことですか?」
「そう。二人の女の子が宝物庫に入ろうとしてたって話だけど、宝物庫に用があるの?」
「ええ、そうですけど」
「理由を教えてもらえるかい?」
その質問をした時のアンジュさんは、少しだけ険しい空気を出した。
「実は、呪いを解くためのアイテムを探してるんです」
「ふぅん、どんな呪いを掛けられてるの? あたしは宝物庫のことなら、今やマリーノーツの誰よりも詳しいはずよ」
「フリースが、声を出してはいけない呪いを掛けられていて」
「フリースって、どっちだっけ、白い方?」
「そっちはレヴィア。青い方です」
「そっちか。具体的に欲しいアイテムはどんなの? 形は? 手触りは? 材質は?」
「いや、わからないんですよ。ただ、呪いを解くためのアイテムがあるって手掛かりだけを辿ってここまで来ただけですし」
「なるほどね、噂で流れているのを耳にしてやって来たわけか……残念だけど、あんなのただの噂だからね。『あらゆる呪いを解くアイテム』なんて囁かれているけど、そんなのがあるなんて、あたしは知らないし」
「え、そうなんですか?」
「目録があるんだけど、見てみる?」
「ええ、ぜひ」
そうしてアンジュさんから受け取った巻物を広げてみると……。
「読めませんね。これ」
「そうなのよ、得体のしれない字でしょ? ぐねぐねしてて、カクカクしてて、ところどころ繋がってて、上から読めばいんだか下から読めばいいんだか、縦書きか横書きなのかもわからない。ただ展示してたケースに『ザイデンシュトラーゼン宝物庫の所蔵品目録』だって書いてあったから、ケース叩き割って持ってきたんだけど」
「待ってください。盗品ですか、これ」
「はっ、今はあたしの城なんだから、あたしのもんよ」
「さてはアンジュさん、あんまり更生してませんね?」
そしたらアンジュさんはムッとした。
「でもねラック。たとえば、あんたが呪いを解くアイテムを宝物庫で見つけたとするでしょ? その場合、それを勝手に使っていいのかな? それとも使わないのかな? 使っていいのだろうか、みたいなこと言って迷ってたら、一生その、フリースって子の呪いは解けないじゃん?」
「そりゃそうですけど」
「あたしが通りがかったとき、この城は、おっきな落とし物だった。誰のものでもなかった。だからあたしが宝物を守ってあげている。そしたらさ、これくらいは給料みたいなもんだ」
「他に、何か自分のものにしたものは?」
「……ない」
「絶対ウソだ」
「あーもう、うるさいヤツだね。あんまごちゃごちゃ言ってると、昨日のメシ代と酒代を払ってもらうよ?」
「くっ、それは……それはズルいです! 先に料金を提示してもらえなきゃフェアじゃないし、そもそも歓迎の宴にそんなこと言い出すのは何とも器の小さい」
「ハッ! 器とかケツの穴とか小さくて結構! ほら、出しなよ。ちょっとくらい持ってるんだろ? そして宝物庫から何か持っていこうってんなら追加料金を払いな!」
はっきり言って、ない袖は振れない状態であるが、すでに借金生活だと叫ぶのもプライドが許さない。ここは毅然とした対応をしてみよう。
「どうしようかな、まなかさん呼んじゃおうかな」
「そんなハッタリ、通用するもんか」
たしかにハッタリである。だが、強気の無言で攻めてみる価値はある。
「………………」
「え、まじ?」
かかった。俺は黙ってニヤリと笑ってみせた。
「や、ごめんラック。それやめて。ごめん、あやまるから」
「どうしよっかなぁ」
「ごめんって。お金とかいらないから。あと、宝物庫のものは勝手に使っていいから」
「わかりました、そういうことなら黙ってましょう」
「ホッ……よかった……正直に言うと、宝物はちょっとだけ売っちゃって、タバコ代に化けちゃったりもしたのよね」
舌を出してテヘヘと言った姿を見ていると、このひとやっぱ反省してないなと思う。だが今回は自分たちも宝物を勝手に使おうとしているわけで、もはや共犯だから問題ないと無理矢理にでも思おう。
「あれ、そういえばアンジュさん、今回はタバコ吸ってませんでしたね。その……宝を売って買ったタバコってやつはどうしたんです?」
「とっくに全部吸っちゃったよ。もうこの世界に現代のタバコは無いんじゃないかな」
「アンジュさんは、本当に困った人ですね」
「へへっ、タバコの情報があったらヨロシクね。約束よ」
アンジュさんは笑いながら、俺の手を握ったのだった。
「ときにラック、あんたは十年間なにしてたんだい? あんま変わってないようにみえるけど」
「クッ」
鋭いところをついてくる。年上の女はこれだから。
「お、俺は鑑定スキルを今にも極めようとしています」
すると、アンジュさんは人差し指を立てて言うのだ。
「あぁ、ピンときた。呪いを解くついでに宝物庫で腕試ししようって魂胆ね」
全然違うけれども。
アンジュさんは、年上の女のわりにカンがよすぎないようだった。
そんなところも、俺の好きだった人にちょっと似ていて、やっぱちょっとだけ好きだなと思った。




