3:祖国を出て行きます
アリアンも自分が癒しの力を使っている時、時折オレンジ色に包まれる事には気が付いていた。その時は効果が向上するから、自身の力が最大限に発揮されるからだと思っていたのだ。
「ルルディは少し君に力を添えただけだ。やりすぎると普段の君の治癒力と乖離して、疑われてしまうだろうからね」
「それは本当なの!?」
アリアンに睨まれて、とうとうルルディも白状した。
「はい……。大司教様に頼まれて助力しておりました」
もう隠す必要はない。
テオドルスが側にいる限り、大司教に詰られても無視していいし、アリアンの護衛騎士の制裁にも怯えなくていいのだ。
「大司教!! それは真か!?」
絶句したアリアンに代わりルストラレが追及する。アリアンが平民を癒す時に加療室が暖かいオレンジ色に包まれるのは、広範囲を癒す場合の現象だと思っていたからだ。ルルディの高神聖力の柔らかいオレンジ光と同質なのだと信じていた。
「神聖力は白く輝くのを教皇や司教たちは知っている。この国は魔導にほぼ無関心だから王族ですら知らないのだな。ルルディの力は大地の女神クレニーヴァ由来の魔導力だ。豊穣の癒しが土地だけでなく生物にも有効なのは、ルルディの魔導力の高さ故だ。太陽神アドールに与えられたものではない」
大司教は青褪める。加療室に魔導士の彼を入れなかった。
テオドルスにルルディの魔導力を感知させるわけにはいかなかったのだ。ちゃんと加療室には、治癒力が外部に拡散しないように結界が張ってあったのに。
テオドルスの『聖女が大勢を癒している様子を見聞したい』との申し出を、『皇族と下級平民を同部屋に出来ない』と頑なに拒絶した理由を知られてしまった……。
そんな大司教の思惑を察したテオドルスは、唇の端を歪めて嘲笑った。
「愚かだね。魔導力は神聖結界なんかすり抜ける。異質の力だからな。利口に考えれば正確な判断がつくだろうに」
「……本当に私は聖女ではないのですね?」
置いてけぼりだったルルディがようやく口を開く。
「ああ、君の身柄は魔導協会預かりとなる。大丈夫、魔導国は身分制度がない。平民だからと蔑まれたりしない」
明らかにアドール教会への嫌味である。しかしその言葉に反論できる者はこの場にいない。
「ありがとうございます! やっと苦行から解放されます! 教義だからと無理矢理神殿に拘束され、小間使いと聖女をやらされて嫌気が差していたんです!」
ぱあっと、ルルディの表情が変わった。彼女の満面の笑みなど初めて目にした面々は驚く。レモン色の髪と茶色い瞳が明るさを増したようで、とても目を引く美しさだ。
「魔導力を垂れ流しているね。……喜び故の無意識の輝きか。これから魔導協会で魔導士として修行してもらうよ。外出も基本的に制限はないと保証する」
ルルディは貴族のマナーを教わってもいない。王太子妃有力候補だとしても、卑しい平民の血が王家に混ざる事を王家のみならず、貴族社会全体が良しとしなかった。だからなんとかアリアンを王太子妃にするために、教会も王家も画策していたのである。
「アドール教の指導者ともあろう者が下手を打ったな。魔導力持ちの平民を聖女として囲い、聖女アリアンの神聖力に上乗せさせておいて、聖女アリアンの能力は聖女ルルディより上だと偽装を試みるとはな。これは由々しき事態だ。魔導力保持者を隠匿して利用するなんて。魔導協会はマルジャラン王国とアドール教会に正式に抗議するからそのつもりで」
テオドルスの口調は冷たい。
「わ、わたくしは何も知りませんわ!」
雲行きが怪しくなったのでアリアンが保身に走る。
「そうだろうね。私は君を含めて神官や聖者を傲慢だと、個人的に責める気はないよ。ただ、アドール総本山の行いを『魔導力持ちをむりやり聖女に仕立て上げてこき使っていた』と報告するだけさ」
大司教の顔が青を通り越して白くなる。魔導協会を欺いたとして失脚は免れない。事態を黙認していたと思われる、この場に不在の教皇さえも立場が危うい。
「ルストラレ殿下、侯爵令嬢の聖女アリアンを娶りたいなら、マナーも教養も不足ない彼女を迎えたいと主張すれば良かったんだ。相手が筆頭聖女である必要はないと、ただの慣例だと突っぱねる甲斐性もなかったのかい?」
「だ、だが、ルルディがあれだけ能力を発揮して、私の婚約者に収まろうと努力していたのだ! ルルディが望めば撤回は難しいだろう!」
「私は王太子殿下妃など望んでいません!」
被せるようにルルディは否定した。自分がその座を狙っていたような口振りは我慢できなかった。
「限界まで働かされた結果、筆頭聖女として持ち上げられただけです! 筆頭聖女が王太子妃になると知っていれば手を抜きましたよ!」
手抜き発言はいただけないが、そもそもルルディは望んで聖女になったのではないので紛れもない本心だ。
「私の妃になる気はなかっただと……?」
ルストラレはびっくりして目を丸くする。ルルディが自分に惚れていると彼は本気で思っていたのだ。
「想像すれば分かるでしょう? 誰が好き好んで自分を嫌悪している方と結婚したいと思うものですか!」
ルルディは今までの鬱憤を吐き出す。
「正式に婚約話があったわけでもないのですから、辞退する事も出来やしないではありませんか!」
「平民がなんて口をきくのですか! ふ、不敬ですわ!」
ルルディに好意がないと言い切られたルストラレが、少なからずショックを受けている事にアリアンは動揺しつつ、ルルディを非難した。
「私が保護を決めた時点で、この娘はマルジャラン国民ではない。ルルディ、ここを出ていく支度をしてきなさい」
テオドルスに促され、ルルディは彼に頭を下げると自分の部屋に向かう。もう淑やかで大人しいふりなどしなくていいのだ。
「国王と相談を!」
「関係ないね」
大司教の叫びをテオドルスが一刀両断している。
背中越しにそのやりとりが聞こえ、誰かに引き留められるのが怖くてルルディは走った。
勝手な引き抜きはマルラジャン国側と揉めるのではないかとルルディは危惧したけれど、魔導協会とアドール教会の問題だとして、テオドルスは全く問題にしなかった。
国王在位記念式典に出席したテオドルスは、中央神聖教会に立ち寄って〈聖者〉の“団体治療”を見学してから出国する手筈にしていた。なかなかマルジャランを訪れる機会はないからだ。
思いついて訪れて良かった。力のある魔導士をアドール教会が使い潰すところだった。
教会前に待機させていた馬車にルルディを乗せると、すぐさま王都を抜ける。大司教や王太子たちが戸惑っている間に、さっさと彼女を保護した形だ。
「テオドルス様、早々に連れ出してくださってありがとうございます」
「ルルディ、隣の公国に行くには三日ほどかかる。そこからは転移門で魔導協会に直接移動できる」
「転移門!? あの幻の!」
頭を下げたままだったルルディが、弾かれたようにテオドルスを見上げる。その瞳は輝き、神聖教会にいた時の気力の無さが嘘みたいだ。
元々のルルディの性格は、のびやかで好奇心旺盛なのだろう。馬鹿にされ続けて萎縮していたのだ。人の心をも救うのが教会の役目なのに、なんとも罪深い。
(……これは思った以上に虐げられていたのでは?)
テオドルスは教会への反感を募らせ、この少女に無理はさせないと密かに決意した。
「まあ魔導士がいなければただの門だ。この国には無いから、君は見た事はないだろうね」
「はい! 治療に来た商人さんから聞いた事があるだけです」
「この国はアドール教の聖地である本山を王都に抱えていて、神聖力だけが尊ばれている。だから異端の魔導転移門の設置は断られたんだ。そのために隣の公国まで行かなきゃならない」
「どうして受け入れないんでしょうか?」
便利じゃないですか、とルルディは首を傾げる。
「魔導士たちが入国するのが嫌なんだよ。入国許可は取るから好き勝手に利用はしないんだけどね。魔導士に協力を請う事もない。この大陸で魔導を拒絶している国はここくらいだよ。太陽神アドールに護られた富国だとして、その理に反するものは排除するんだ」
テオドルスが初めて訪れたマルジャラン王国は、聞きしに勝る厳格なアドール教国家だった。王家とアドール教会は密な関係で、『全ては神の思し召し』で政治が動くのには不安を感じた。
ラフィタル帝国の皇子としての目線で見ると、支配層があまりにも脆弱である。想定外の事が国に起こっても対処できるのだろうか。
(兄上もそれは肌で感じていたようだから、それなりの付き合いをするだろう)
どのみち自分は一介の魔導士である。国政は管轄外だ。
(さて、この娘の稀有な能力、どう育つか楽しみだ)
馬車の外の景色に興味津々のルルディを眺めながら、テオドルスは思うのだった。




