28:厄介な天才魔導士
ルルディは王座の前に立つ。
(うっわ、間近で見たら本当に気持ち悪いわね……)
気の毒に思うけれど、生理的嫌悪感が酷い。鳥肌が立つが、幸い長袖で隠れている。だめだ。本能的に気持ち悪い造形だ。
ルストラレ王子のカエルはまだ可愛げがあった。ルルディはカエルが苦手ではないからだろう。カエル王子のあのすっとぼけた顔は面白かったと思う。
イボネズミの実物は知らないが、国王の姿を見れば嫌われるのも仕方がない。とにかく黄色く膿んでいるイボが気持ち悪い。触れたら感染りそうだ。
選りに選ってこんな生物を選ぶなんて。ルルディはノエルの底意地の悪さに呆れる。どうせなら世話する方もあまり苦痛じゃない、犬やうさぎにでもしておけばいいのに。
眼窩の奥に追いやられた瞳は元の金色に見えず、澱んだ浅葱色っぽい。
あまりにルルディが凝視するものだから、全身イボだらけの王は無意識にマントで我が身を包んだ。
対象を観察してしまうのは〈魔導士〉の悪い癖だ。ルルディは自分の不躾に気が付いて、居住いを正すと一礼する。
じっと王の内面を見てルルディは眉をひそめた。
「師匠。カダン様に尋ねてください。私はあまり難しい言葉は分からないので」
「ああ、何をだ」
相変わらずルルディの護衛のように背後にいるテオドルスは頷く。
「魔人族の魔法の発現はどこからか。魔力の中心は頭か胸か腹か。そして、今まで豊穣の女神魔法を受けた者はいるかどうか、です」
しばらくカダンと話していたテオドルスが答える。
「腹の下から魔力が溢れるそうだ。それが血液と同様に身体全体に巡る。循環する魔力が多く、万遍なく行き渡っている者ほど強く、フェダーラ神に愛されている。
神聖力や魔導力の多い者が“神に愛されし者”と呼ばれるのと同様だな。
呪文を唱えると手のひらに呪文が浮かび発動するそうだ。それと魔人で人族の魔法を受けた者は知らない」
「……そうですか……」
ルルディは顎に手を添えて困ったような顔をしている。
「どうした? 何か不具合でも」
嫌な予感がしたテオドルスは、ルルディに問いかけた。
「……王様の魔力が高すぎて、ノエルの術式を、飲み込んでしまっています」
辿々しく魔人語で説明すると、カダンが顔色を変えて「陛下、失礼します!」と国王のイボに覆われた右手を厭わず握った。そして目を閉じて何かを探っている。
「ま、まことに! 王の全身を巡る魔力の中に異質の魔力が混ざっています! これではいずれ一体化してしまう!」
カダンの叫びの意味を王は正確に受け止めた。
「つ、つまり、女神の魔力がやがて余の魔力の一部となって、余の呪いは固定されてしまって、元に戻れないという事か」
王の顔が絶望に染まる。イボネズミの顔は表情が豊かだ。
「申し訳ありませぬ! 外側の魔法効果のみに注視して、まさか内面から侵食されるなんて考え及びませんでした! 不甲斐ない私めに罰を!」
魔術団長は少し落ち着いてほしい。ここでカダンが退場しても混乱するだけだ。
「最悪の事態を想定せねばな」
王は少しだけ考える素振りを見せたあと、やれる事がなくて木偶の坊状態の王弟に視線を移す。
「余のこの状態が戻らねば、おまえがしっかり跡を継ぐのだぞ」
「何をおっしゃる、陛下! 私は武人として貴方にお仕えするのが使命です!」
「ヒトの形を取らぬ醜いこの身で治世はできぬ。我が子も幼い故、早急におまえの立太子の儀を行う」
「陛下、すみませぬ! 私があんな女に誑かされたばかりに!」
「何を言う。あの女の歌は素晴らしかった。ただ、余のあしらいが下手すぎたのだ」
「兄上!!」
王弟は兄と呼んだ事にも気が付いていないらしく、人目も憚らず泣き始める。
様子を見守るしかない貴族たちも、釣られてか、あちこちで啜り泣きが聞こえてくる。高位貴族たちが一部始終を見ていたのが却って良かった。王族のあり方をしっかりと目撃された。
実際、王は立派だ。どこぞのカエル王太子とは雲泥の差だ。あのすっとこどっこいは廃太子など考えた事すらないだろう。ルルディの私情まみれの感想である。
ちらりとテオドルスを見れば難しい顔をしている。もしかしたら自分も兄に何かあれば皇太子になるのを思い出したのかもしれない。
「あのぅ……」
なんだか感動的な歴史の一ページに立ち会ったかのような感動的な場面で、ルルディはおずおずと口を開く。
「私が必ず解呪します」
「し、しかし、これは魔力を侵食する呪い……。本当にあの魔導士は呪いを解く気がないのだな」
「違います」
テオドルスがカダンの言葉を否定する。
「ノエル・ヒーグスは確かに優秀な魔導士ですが、“呪術”は呪いと解呪がセットという常識さえ知らない。自分がやっている事が“呪い”だとの概念さえあるかどうか。ただ今回は陛下の魔力が並外れているせいで、陛下自身の魔力が不完全な術式を排除しようとして、逆に取り込んでしまったようです。そうだろう、ルルディ」
テオドルスの魔人語は半分くらいしか分からないのに、最後ルルディに同意を求めてきた。焦るがルルディは思い切り「はい」と頷く。
(師匠は今、魔人国の人に状況を説明しているんだわ。私に同意を促すのは、ここで〈解呪士〉として狼狽えるなって伝えているのよ!)
まさに師匠の信頼ありきだ。
「魅了も呪いも自己流なのだな。だから魔法陣が歪んで汚らしい」
カダンは魔法陣にも詳しいようだ。
魔法として確立している魔法陣はどれも幾何学的で統一性があって美しい。魔人の呪文も記号のようなものの羅列で綺麗だ。完成された魔法は発動における媒体が整っているものなのである。
「ルルディ、私が補助する。何かあれば言いなさい」
「はい、では失礼して。陛下、お触れさせていただきます」
(本当は魔力の発生場所に触れるのがいいんだけど……おへその下あたりって、触ったらどう見ても痴女じゃん)
実際は元の美形王ならともかくイボネズミ王相手では、ルルディの方が苦行であるのは周囲も察するだろうから心配はない。が、実行するのは失敬すぎる。
「……手を……」
ルルディは無難に国王の手を取った。イボのついた手の甲は不快感を催す。顔を顰めない努力はした。手のひらがヒトの感触なのが幸いだった。
「……触れぬとできぬのか? その……すまぬな」
(王様、下々の者に気遣いもするとか最高か!)
美しすぎて高慢に見えていただけのようだ。
「大丈夫です」
にっこりとルルディは微笑む。慈悲深く見えるように心がけた。
……まずは様子窺い。異形の者に変えられた変化魔法の解呪魔法。優しいオレンジ色の魔法陣が、王の手を取った手から放たれた。
「これが……本当の女神魔法……。文献で読んだ通りオレンジ色だ……」
ぼそりとカダンが呟く。彼の独り言にテオドルスは「豊穣魔法は土地を豊かにするのが基本なので、派生した魔法も本来柔らかい色なのです」と答えた。
「それが長年の研究で“呪殺魔法”まで作られてしまった。それらは女神の理を曲げてしまったので純粋ではなく、暗い魔法陣なのです」
「ですが……あの女の魔法陣は紫だと……」
「それがノエル・ヒーグスの厄介なところです」
テオドルスの声音は硬い。
「どこをどうしてか、元々は人の能力を上げる補助魔法陣を独自に弄り回した結果、女神魔法を超越したものを生み出してしまったのです」
「厄介な女が作った厄介な魔法、ですか」
「そうです。厄介な天才です」
「師匠!!」
ルルディの切羽詰まった声がテオドルスを呼ぶ。
「ダメです。王様の魔力に混ざっているので反発されます」
王に不安を抱かせないよう、声の調子を落とした南大陸語で現状を語る。
だが全てが弾かれているわけでもない。時折紫色の魔導力が反応している。
「私が収れん魔法で集めてみよう。一箇所に溜まると叩きやすいはずだ」
落ち着いたテオドルスの声にルルディは安心する。
(師匠が手伝ってくれるなら大丈夫!)




