26:呪われた魔人王
広くて煌びやかな舞踏会会場の温度が急に下がった気がした。
「今、なんとおっしゃいましたか、陛下」
高音で紡ぐ美しい歌声とも、魔人国王に媚びる甘ったるい声音でもなく、無機質で冷たい低い声がノエルの口から吐き出される。
紛れもなく、この美女魔導士がフロアの空気を一変させた。参加者たちは一体何が起こったのかと動揺している。
「なんと、とは?」
目の前の人間の豹変に国王も対応しきれず、剣幕に気圧されて戸惑っている。
「年増と罵りましたね! この私を!!」
ノエルの紫の髪が逆立つ。
……陛下はそんな事おっしゃられたか?
……いや、年齢不詳だと。
……若作りじゃなかったか?
……身籠れないのではないかとも。
……総合すれば“年増”の一言になるのか?
こそこそと貴族たちの会話が交わされている。
(それは今どうでもいいんじゃないかな!?)
ルルディはノエルの逆立つ髪を見て焦る。
「まずい、ノエルの魔導力が溢れそうだ」
テオドルスも危機感を持つ。しかしここでノエルを止めるべく動くのは、悪手ではないか。魔導士二人が使用人に扮している弁明が必要だ。ノエルの仲間ではないかと疑われ、間違いなく拘束される。逃げても魔導士ジュンに辿り着かれる。
「い、いや、余はおまえを年増だなどと、言っていない」
王は正しい。確かに言っていない。しかしノエルには正解など関係ない。思い込んだものが事実になる。
「あなたの子を産めですってぇ!?」
「そんな事、絶対言っておらぬ!」
王が絶叫した。余裕は完全に失われている。
ノエルの目は据わっており、態度も口調も崩れ、怒り爆発寸前だ。もう言いがかりでしかない彼女に、会話が噛み合わない恐怖を国王は感じたらしい。まるで狂人のような相手は下等種の人族と言えど不気味に違いない。
「この私を愚弄した罰は重いわよ!!」
ノエルの前面に魔法陣が展開される。
「あっ!!」
反射的にルルディは彼女に駆け寄ろうとした。対策も頭に無いのに。
「やめろ、ルルディ!」
テオドルスはルルディの手を離さない。もうあの魔法陣は消せない。
呆然と成り行きを見ていた近衛兵の一人が我に返り、王の代わりにノエルの攻撃を受けようと動いたようだ。が、もう間に合わない。呪文も術式も無視した魔法は発動が早い。王も逃げられなかった。
「イボネズミになってしまえ!!」
「うわあああああああ!!」
「陛下!!」
魔法陣から放たれた光が国王を襲い、近衛兵や家臣たちが慌てて彼に近寄った。
「ヒィッ!!」
王の姿を見て、王妃の喉から悲鳴が漏れる。
人形のように美しかった国王は、豪奢な衣装を纏った、顔中イボだらけで目は開閉も分からぬくらい窪み、鼻もひしゃげた醜い生き物と変貌していた。
ノエルの呪いの実態を目の当たりにしたルルディは絶句する。一瞬だ。一瞬にして国王が変化する。あんな魔法、どうやって考えたのだ!?
理屈はルストラレのガマガエル化と同じだ。北大陸で醜い動物のひとつとされる全身イボだらけのネズミになれと怒りで書き加えたのだ。
ノエルの魔導の原動力は“怒り”であるとはっきり分かった。
「あんな滅茶苦茶な……理論も何もかも無視して……なのに、どうしてあんなに早くて正確なのよ!」
「全く同感だな」
阿鼻叫喚の中、二人の魔導士は冷静に状況を見つめていた。
「あはははは! 美しい国王がざまあないわね! 一生後悔して生きるといいわ!!」
憎々しげに吐き捨てたノエルはいつの間にか、足元に転移魔法陣を展開している。
舞踏会場の警備の厚さが仇になった。魔人族は誰も魔法が使えない。
「早く封印結界を解け! 女を逃すな!!」
魔人魔法が使えるよう警備魔法を解く指示がどこかから飛ぶ。
「遅いわ! じゃあね!!」
ノエルは忽然と姿を消す。残されたのは修羅場だった。
「余は、余はどうなったのだ!? この手は、身体は!?」
国王の慟哭が場を支配する。
うろんうろん、と王の口から言葉の合間に奇妙な鳴き声が漏れ、誰も何もできずに右往左往している。きっとルストラレ王太子カエル事件の時もこんな状況だったのだろう。
あの出鱈目な呪いの魔法陣はどれほどの魔導力を使うのか、ノエルしか分からない。続けざまに転移魔法陣を展開できるほどの魔導力を残せている。魔導力量は生まれ持ったもので、少なくともブロウよりは劣るはずだ。鑑みるに単独で生きているうちに魔法の精度が上がっていったのだろう。ルルディが魔導力を上手く使うようになったのと同じように。
テオドルスは最善を模索する。
……この場から宿屋に転移して、どこに飛んだかは分からないノエルを探すのも現実的じゃない。彼女に一気に遠くまで移動できるくらいの魔力があるのか。取り敢えず近場に飛んで、それから馬車や船を利用するのか。どこに逃げる気か。目的地はあるのか。
「早く追え! 近くにいるかもしれん!」
ノエル追跡隊が瞬時に結成され、会場を飛び出していく。
「宮廷術士を集めろ!」
「大丈夫ですぞ! 陛下、気をしっかり!!」
「王妃様が気を失われた! 誰か医務室に!!」
怒号が飛び交う中、何を優先すべきかテオドルスは途方に暮れる。
導師ブロウが手を焼いていたのも納得の女だ。
『苛烈な性格で思考より行動が先に出るタイプ』なんて言っていたが、そんな生易しいものではない。激情型にも程がある。
(魔人の国王に呪いを掛けるなんて何を考えている!?)
……いや、“腹が立ったから”……。分かっている。ただそれだけだ。
しかもノエルを捕まえても解呪はできない。処刑しても呪いは解けない。あの魔法陣は、やりっ放しで解呪を想定していないのだ。
普通の呪術は解呪方法がある。主に呪った本人が解呪を交渉の材料にしたり、気が済んで赦したりとする事もあるためだ。他の〈呪術士〉がかけた呪いを解くのが魔導協会の〈呪術士〉の主な仕事で、呪った本人より能力が上でないと解呪できないけれど、カロスイッチやルートロースも相当な実力者だ。
ルストラレ王太子の件は例外で、素人が作った解呪方法の確立していない呪いであった。そんなものを逃亡中の〈補助士〉が創造するなんて誰が想像する。
__さて、どうしたものか。
術士と思われる連中が寄ってたかって国王に魔法を施している。王の身体が何度も何度も赤い光に染まる。
魔人魔導力は赤いんだな、などと考えながらルルディはその様子をしばらく眺めていた。
王に変化はない。茫然自失して玉座に座っている醜い生物の姿は、シュールであり哀れである。こんな目に遭うほど王の態度に落ち度があったとは思えない。気の毒すぎる。
王はノエルの素性を知った上で招いた。多分面白半分にどんな女か見てやろう、くらいだっただろう。ただ、ノエルが想像以上にやばい人格だったのだ。
悩むテオドルスに「師匠、解呪の指示を」と、ルルディが真剣な顔で見上げる。
「これは私たちが彼女を止められなかった最悪の事態ですよ。魔人魔法で解呪は出来ないと思います」
「魔人魔法封じの結界が解かれた今、〈魔導士〉だと正体を明かせば魔人魔法で攻撃される恐れもある。牢屋行きになるぞ」
「そこは上手く交渉してくださいよ。師匠ならいけますって」
この弟子の信頼は過剰評価だと思う。しかしルルディは覚悟を決めたのだ。
これはもう、自分も腹を括るしかない。




