25:ノエル vs 魔人王
「余の寵愛が欲しいと申すか」
ふっと国王が口角を上げた。表情を緩めて微笑しているように見えるけれど、ルルディは知っている。
やんごとない身分の方達が好んでする表情だ。何も感情を悟らせない、それこそ敵意や嫌悪をも。
かつて〈聖女〉として接していたマルジャラン国王や王太子は感情を隠すのが下手だった。今思えばマルジャランは“太陽神の加護の国”なのだと、他国に顔色を窺われる立場であるとの傲慢さがあるのだろう。
世界を知ったルルディからすれば、マルジャランの国力は平凡で、本当に井の中の蛙だ。
〈解呪士〉として会った他の人間国や獣人国の大抵の盟主や王は、不愉快さを抑える時、微笑とも愛想笑いとも取れるあんな曖昧な表情をしていた。ルルディはその表情の裏を読む事に長けている。
(……なんせ師匠がその代表例だからねえ)
テオドルスが相手とやり合う気がない時は、そうやって適当に受け流している。まあでも師匠に喧嘩を売る馬鹿はそうそう居ない。
国内の魔導士の実力が低い国など、たまに魔導国の幹部のテオドルスを見下す騎士がいたりするが、テオドルスのやんごとない身分を知れば黙る。
ルルディにとっては、“ラフィタル帝国第二皇子”の肩書きは面倒事を回避できるので便利だな、と思う程度の価値しかない。
感情を乗せないグェダショック魔人王の目は、ノエルをどう判断したのか。
ざわざわと貴族たちも小声で囁き合う。
「後宮に人間が入るだと?」
「なんと身の程知らずな。たかが人間の歌姫如きが」
「魅力的な女だが、高望みしすぎだろう」
「だが、陛下の返事いかんによっては……」
ルルディは近くの貴人たちの声を拾う。声高に反対するのを躊躇っているのは、国王が彼女を認めるかもしれないからだ。
「その稚拙な魔法で余を籠絡できるとでも?」
「魔法!?」
王妃が大声を上げた。この図々しい人間の女はそういや魔導士だったと思い出す。しかしこの場では魔法は発動できないようになっている。
「なるほどな。女神クレニーヴァの魔法は、我々の魔法と違うのがよく分かる。フロアの結界など意味がない。身をもって知ったぞ」
国王は淡々と魔法で攻撃されたと言う。慌てて近衛兵がノエルを拘束しようと動くのを王は制する。
「よい。大した魔法ではない。だが魔導士ノエルよ。魔人国の王を攻撃した自覚はあるのか?」
やはり王は感じたのだ。自分に魔導力が纏わり付くのを!
もう舞踏会どころではない。楽団もとっくに演奏をやめ、給仕たちもどうしてよいか分からず、なんとなく使用人同士で固まる。退室の指示がないから勝手に裏にも戻れない。
ルルディもテオドルスの側まで寄った。
「師匠ー、ばれてますよー」
「王はあの魔力の多さだ。さすがに気がつくだろう」
「どうなるんでしょう」
「ノエル・ヒーグスの経験値に賭けるか」
男を手玉に取ってきた経験値? そんなもの役に立つのか。相手は今までの男とは段違いに格上である。
「あの魔法を“攻撃”とはお戯れを」
ノエルは、鼻の頭に皺を寄せてフッと笑う。
(なにそれ! 喧嘩売ってんの!? 怖いもの知らずすぎる)
ルルディは身震いする。
「……おまえ、陛下に何をした」
夫によからぬ真似をされたと知った王妃の声は、怒りで震えている。
「この女を愛しく想うように心を操作する魔法だ」
「ま、まさか……“魅了”が使えるのか、おまえ」
王妃の問いにノエルはこてんと小首を傾げる。
「“魅了”とはなんですか?」
まるで少女のような表情のノエルに、国王は声を立てて笑った。
「これは傑作だ!〈魔導士〉が魅了魔法を知らぬとは!」
それは皮肉か侮蔑か、単に面白がった笑いか判別がつかない。
「……〈補助士〉だった彼女は呪術を勉強していないですよね」
“魅了”に限らず精神干渉系の魔法は〈呪術士〉の専売特許だ。普通の魔法では習わない。だからノエルは自己流の“呪い”を作り上げたのだ。
「〈補助士〉が適性だからそちらに特化させたか。〈呪術士〉の適性があっても彼女の性格では悪用しかねないと、認められなかったのかも知れない」
テオドルスの言葉に「魔導協会の〈呪術士〉は解呪が基本ですものね」と、ルルディは納得する。
魔導協会の適性判定は厳しい。なんせ一国の指導者、魔導塔主ブロウでさえ、魔導士の階級試験“特級魔導士”に『性質に難あり』として合格しなかった。
独善的で暴走気味の過去と違い今の塔主なら合格できるだろう。だが魔導国の政治、軍事共に首座の男が、今更“特級魔導士”になる意味もない。
「では、余にかけた魔法は“魅了”ではなく、なんだと言うのだ」
「“私を愛して”とのお願いです」
ノエルは悪びれもしない上に表現が拙い。
国王は「本心から余の愛を望んだのか?」と、何故か呆れ口調だ。
「理由はなんだ。余に惚れたとか戯言は言うでないぞ」
「初めてお会いしますが、美しい貴方様に惹かれぬ女性などおりますまい」とノエルは言い切る。一目惚れであると言っているみたいだが、国王の目に留まるため手を尽くしていたのを知っている彼には通用しない。
「真の目的を言え」
国王の意味深な言葉で王妃も様子を見る事にしたらしく、静観の構えだ。
「……貴方様の側室ともなれば、人族が私を捕まえる事は出来ません」
「つまり、余に守られたいと申すか。ふむ、納得した」
ノエルは目を輝かせて国王を熱く見る。ノエルは常に選ぶ立場でいるのだ。
「魔導協会から破門され、人間国の王太子に呪いを掛け、人間国で罪人のおまえを護る役目に余を選んだか」
「犯罪者!?」
「王族に呪いをかけただと!?」
会場が一気に騒がしくなる。ノエルは魔導士演芸者としか認識されていないのだから当然の反応だ。
(師匠ー! 全て承知でノエルさんを国賓扱いしていたなんて王族怖いです!)
心の中で叫び、皇族の服を掴んで頼るルルディの行動も矛盾している。彼女の不安を感じてか、テオドルスはルルディの手を服から外し握った。
ルルディを安心させるテオドルスはテオドルスで、緊張を強くしていた。
(どこまで調べられている?)
もしかしたら、ジュンや自分たちの正体もばれているかも知れない。身辺を探る気配はなかったが、魔人魔法を使われたら気が付かないのでは__とテオドルスはようやく思い至った。
ジュンがあまりに自然体で暮らしているから、グェダショック国から目をつけられていないと思い込んでいた。しかし『放っておいても危険なし』と問題視されていないだけかもしれない。
ノエルを追うように現れた二人は警戒されていても不思議ではない。テオドルスは自分の浅はかさに唇を噛んだ。
流れによっては、ノエルの糾弾ついでに咎められるかもしれない。
テオドルスはいざという時にルルディを連れて逃げられるよう、転移魔法を使う覚悟を決め、彼女の手を握る自身の手に力を込めた。
「だが面白いものよの。おまえには政治的な思惑が全く無い。余の寵姫になって王妃や側室を蹴落とそうなどの野心もないようだ」
「まさかただ単に匿って欲しいだけか?」と、王妃も困惑している。
「罪人になったのも男女間のもつれだ。激情のまま行動しては、後始末に困っている愚かな女だ」
愚かと断言されたノエルは頬に朱を差す。だが口を開くのは得策ではないと踏んだらしく黙っていた。
「残念だが余は利点のない女は囲わん」
「〈魔導士〉として、お力になれる事もあるかと存じます」
ノエルは“女”を封印して“魔導士”を交渉材料にする事にしたらしい。
「……すご。罪人と知られているのに堂々と王様と渡り合うなんて……」
度胸はルルディの比ではない。尤も年齢が親子ほど違うので比べるのもおかしい。
「余が側室に望むのは“子”だ。聖女ならともかく豊穣の女神の力は遺伝しない。そもそもおまえは年齢不詳の若作りだが、実際に“子”を孕めるの歳なのか?」
王に悪意はなかったはず。ノエルが見た目通りの年齢でないのを承知だから、確認しただけなのだろう。
しかし、それはノエルの最大地雷なのだ。




