22:魔人族国、潜入中
魔人族のどの国も獣人族、人間族の国と国交はない。棲み分けを徹底しているのだ。
しかし個人的な往来は古い時代からある。たまたま難破にあった人間や獣人を魔人が救助したり、逆もある。やって来た冒険者と仲良くなったりと、そんな小さな交流は枚挙にいとまがない。そのうち少数の商人たちの細々とした販路さえ出来上がった。
グェダショック新王国は、周囲の国を征服して大きくなった比較的新しい国である。いまや大国のひとつで、明るく開放的な雰囲気は国の若さと勢いを感じる。
平均的な人間が想像する“冷酷で陰湿な魔人族の寒々しい国”とはかけ離れている。
グェダショックの王都は、マルジャランなど比較にならないほど人の往来が激しい。ルルディは、まず歩道と馬車道が樹木によって分けられているのに驚いた。街路樹に挟まれた馬車道は、馬車同士がすれ違うのに問題のない広さがあり、場車道の左右は人が気兼ねなく歩ける。人は横断する時だけ馬車の存在に気をつければいい。店舗が整然と並んでいるのも驚きだ。
「道路の左右に商店を作り、道の中央を区切って馬車専用道路を作った者たちは偉いよね。国が大きくなって遷都する時に、これだけの広さのメイン通りを作り、商業地区に場車道を作る都市構想を実現したんだ」
テオドルスは入国経験があるので説明をする。ルルディは上陸した時から異国の風景に釘付だ。今もきょろきょろと物珍しく周囲を見渡しながら「なるほどー」とテオドルスに相槌を打つも、上の空である。
大通りをひとつ外れた路地にはさすがに樹木で区切られる余裕の広さはないが、舗装の色で歩道と馬車道の区別をしていた。そんな路地の宿屋のひとつで潜入魔導士と待ち合わせをしているので、二人はそこに向かう。
無事入国したルルディは、初めて実物の魔人族に出会った。魔人族は地底神のエネルギーを身体に内包しているため赤褐色の肌で、魔導力すなわち魔人族で言うところの魔力が多いほど赤味が強い。それに身長が高い。人間の中では長身の部類のテオドルスも、魔人国を歩けば人混みに埋もれてしまう。
それと、ルルディの想像以上に人間や獣人がいた。明らかな使用人風も大勢見かける。商人や冒険者らしき姿も散見した。セイランのように従属魔導具をしている者はいない。奴隷を保持しているとは大っぴらに言えないのだから当然だ。彼らは表を歩けない存在である。
「師匠、ちっとも商人に見えません。威嚇オーラを出してませんか?」
二人は商人見習いの兄妹設定らしいが、まず、テオドルスが隙のない軍人みたいで、平民の商人服が浮いている。
「警戒心を強く出しすぎたか。緩めよう」
ふっとテオドルスは肩の力を抜いた。
「……君は特に問題なく、商人の娘風だな」
「師匠と違って、元から平民ですからね」
「兄さんと呼んで、敬語もやめなさい」
(それにしても生まれ持った高貴さって、隠せないものなのね。師匠は姿勢も所作も綺麗だし。何より圧倒的に顔が良い。……これ、義妹になっちゃわない?)
「どこでぼろが出るか分かりませんから兄妹設定はやめましょうよ。不自然すぎます。まだ恋人設定の方がマシです」
「……恋人を師匠と呼ぶのもおかしくないか」
「師匠が恋人になったって物語はよくありますし、大丈夫です! 師匠兼恋人って事で!」
「あ、ここだ」
ルルディの提案を無視した形でテオドルスは足を止める。
魔人語で宿屋と書いてある看板の前だ。ドアを開けて入ると食堂になっていて、夕刻にはまだ時間があるだろうに、もうほぼ満席だった。
およそ半数は獣人や人間で、入店したルルディたちが注目されることはなかった。
テオドルスは迷いのない足取りで奥の方を目指し、ルルディは彼に続く。
「やあジュン、待たせたかな」
四人掛けのテーブルに、一人座ってチーズを齧りながらエールをちびちび飲んでいる男に、テオドルスは親しげに声を掛けた。
「やあ久しぶり、テオ」
テオドルスより少し年上の、白緑色の髪に緑の目の男性はいかにも裕福な商人風である。その男は如才ない笑顔でテオドルスに片手をひらひらと振った。
ジュンの前の席にルルディを座らせたテオドルスは彼女の隣に座る。
「いらっしゃい! ご注文は?」
明るく声をかけてきたのは魔人族の給仕女性だ。年齢的に女将さんだろうか。
綺麗な魔人語なのでルルディでも聞き取れた。
「適当にシェアできる三人前とエール二杯と、君の飲み物は?」
常連らしいジュンが慣れた注文をしてから、ルルディに目を向けた。テオドルスはエールで確定らしい。
ルルディが考える時間もなく、「チェリー酒ベースの度数の低い甘めのカクテル」と、テオドルスが魔人語で注文した。
「君がテオドルス様の補佐官か。初めまして、俺はジュン」
「初めまして。お世話になります。ルルディと申します」
「じゃあルルと呼ばせてもらう。俺はテオドルス様をテオと呼んでいる。君もジュンでいいよ。ここからは敬語も無しで」
ジュンも愛称なのだろう。グェダショック滞在歴は長そうである。
ルルディの考えを読んだのではないだろうが、ジュンは自己紹介をする。
「俺はこの国を拠点とした魔人国数カ所で画商をやってる。国の行き来の自由度が高いから他国の情報も得易い立場だ」
ぱちんと軽くウインクを寄越してくるあたり、とても魔導士とは思えないほど世間に馴染んでいる。魔導力を全く感じないので諜報員としても優秀なのだろう。
食事を楽しみつつ、世間話の顔で三人は話をする。喧騒の中、聞かれる心配はなさそうだが、主語を曖昧にしている。
「……で、あの野良、正体隠しやがらねえし、国立中央広場で吟遊詩人みたいな真似で有名になって、今度宮廷舞踏会に招待されてんだぜ」
ジュンは酔って愚痴を言っているように見える。しかし目は真剣だ。
「すごぉい。流しの芸人としては大成功じゃない。どうすれば短期間で王城に出入りできるのかしら」
ルルディも話を合わせる。ちょっぴり酔って気分がいいのは内緒だ。
「それが、ここだけの話。王弟を食っちまったらしい」
さすがにジュンも声をひそめる。
「ははあ、どっかの王太子と同じ手口か。変わり映えしないな」
呆れ口調なのはテオドルス。
「そこら辺は、人間も獣人も魔人も変わらないって事ね。ねえ、王弟殿下って美形なの?」
「うーん、美形とは程遠いかな。魔物のイエティ・オーガに似ている。異母兄の国王はちょっと作り物めいてるくらい美しいんだけどな」
美醜感覚は各種族で変わらないから、ジュンの言葉はきっと客観的な見方だ。
「じゃあ単に気に入ったカエル王子と違って、今回は王弟を利用したんでしょ。王の目に留まる舞踏会に呼んでもらうために」
「魔人族の中でも力のある、ここの国王を籠絡する気だろうか」
「超絶美形なら手に入れたいはずだわ」
「……ジュン。君は女流画家のエスコートで参加するんだろ。何とか私たちも舞踏会に潜入できないものか。動向を見たい」
「給仕係として手配できると思うけど」
「さすがだな、ジュン。この国に根を張っているだけある」
「人脈は宝だよー。まだ任期が二年あるからねー」
何杯目かのエールを空にしたジュンは、上司のテオドルスに向かって気安く笑った。




