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16:呪われた王太子と対面する

「わー! 王国は今、花盛りの季節なんですねー」


 故郷のマルジャラン王国に入国したルルディは、馬車の窓から外の景色を楽しんでいた。

 テオドルスに連れられて、脱教会した昔と同じ経路を逆に行く。


「君は本当に馬車が好きだな」


 対面のテオドルスは目を細めて微笑んでいる。偽〈聖女〉の彼女を攫って、もう二年以上経つ。


 あの時も無邪気に退屈な田園風景をずっと眺めていた。その様子を可愛らしく思ったものだが、当時と比べると随分ルルディも大人びて綺麗になった。


 なによりその表情が違う。魔導士としての自信に溢れている。正しい魔導の使い方を覚えた彼女からは豊穣の慈愛のようなものが内面から滲み出ていて、レモン色の髪も飴色の瞳も明るく輝いて見える。


「好きです。でも魔導島では馬車に乗る機会が少ないし、こんなに長時間乗るのはここを出国して以来ですから楽しいです」


 この馬車は魔導協会所有の物だ。魔導具で振動を抑えているので快適で良い。普通の馬車は舗装された道でもきつい。尻が痛くなる。



 王都に着くと、さすがにルルディの顔が強張る。アドール中央神聖教会に近づけば、姿を隠すように窓に張り付いていた顔を下げる。


「ルルディ、もし誰かと目が合っても、絶対に君だと分からないから心配するな」


「……はい」


「私が悪意から必ず護る」


 あれだけのびのびと魔導島で暮らしているのに、未だに過去の仕打ちに萎縮するなんて、心の傷は完全には癒えてはいないのだ。




 __この娘に無理はさせない。


 ルルディを教会から連れ出した時、そう決意したのだった。搾取され続けたこの哀れな少女が生き生きと過ごせるように尽力したいと思った。


 魔導島でルルディの世話を任され、側にいるのが当たり前になった。

 本来なら彼女が適性者の極めて少ない〈呪術士〉になった時点で、カロスイッチが師匠になるべきだった。〈攻撃魔導士〉の自分とは畑が違いすぎる。


 しかしルルディが『師匠』と呼ぶのをテオドルスが止めなかった結果、なし崩し的に師弟関係と公認される。それが面白くなかった者たちが『魔導初心者のくせに“特級魔導士”のお気に入りになって調子に乗っている』だけでなく、『身体で籠絡した』と下世話なうわさが出回った時は、腹立ちより呆れが(まさ)った。そんな連中には『ルルディから媚の色を感じたか?』と問い詰めて黙らせた。


 〈解呪士〉なんてあやふやな正式称号の認知度が一気に上がったのが、魔人族の奴隷にされていた獣人セイランの従属魔導具を外した出来事だった。

 セイランの犯罪や出自は伏せ、ただの哀れな青年を魔人族から救ったという美談にした。魔人魔法の解除を行なった事で、ルルディの実力が知れ渡る。


 テオドルスはブロウの腹心の一人なので、ルルディが彼の補佐官に任命された時も『コンビで特殊任務につかされるのだろう』と納得した者が多かった。


 今回はそんな人々の想像をも超える内密の特殊任務である。

〈解呪士〉ルルディに、〈攻撃魔導士〉テオドルスが護衛に付いているのだ。


 マルジャラン王国の王太子は病気で臥せっている事になっている。しかしそれもいつまで隠せるやら。


 王弟である公爵家の夜会での醜聞には厳しい緘口令が敷かれた。魔導士のいる国なら、すぐさま“他言すれば罰せられる制約魔法”が会場全員に掛けられるだろうが、生憎と魔導士のいない国である。

 太陽神の名において誓わせるくらいが関の山で、どこまでも信仰心頼りだ。




 やがて王城が見えてきて、ルルディは脱いでいたフードを被る。二人とも白のローブ姿で、これは魔導士の普段の仕事着だ。王族に会うには不適切な格好も、極力目立たない配慮だ。彼女たちを乗せた馬車は王城に入らず、更にしばらく走って、そして着いたのは王太子宮だった。

 

 中に案内された時、ルルディの様子が気になったテオドルスだが、彼女は目深に被ったフードの下から、興味深げに回廊に置いてある石像や絵画を盗み見ている。

 特に怯むでも感傷的でもなく、平常心なルルディに安心した。


 部屋に案内されると、中央に置かれた寝具に誰かが横たわっているのが見えた。正体は考えるまでもない。ベッドの傍らには王太子の側近である騎士の従者と、ルルディも知っている〈聖人〉が控えていた。


「具合はいかがですか。ルストラレ王太子殿下」


 テオドルスが声を掛けると、もぞもぞと羽布団の中から出てきた生物が上半身を起こして声の主を見た。側の従者がその背中にクッションを差し込むと、王太子はそれにもたれる。


「……テオドルス殿が来てくれたのだな」


 ガマガエルの顔が声を発したので、ルルディは思わず「人語を喋れるんだ」と呟いてしまった。声帯が違うだろうからゲコゲコ鳴くとばかり思った。単純に意外だっただけで馬鹿にする意図はない。しかし甘い声だと評判の自慢の声は、可哀想にひしゃがれている。


「不敬だよ」とテオドルスが小声で嗜める。幸い彼にしか聞こえなかったようで助かった。


「王太子殿下。私は付き添いです。魔導国一の〈呪術士〉で、解呪の専門家を連れてきました」


「それは頼もしい限りです。友好国の〈呪術士〉たちは、皆、口を揃えて『手に負えない』と諦めてしまったのでね」


 彼らへの不満で憤っているらしいが、カエルの顔ではコミカルな動きにしか見えない。

 

「普通の“呪術”じゃありませんもの。歪でめちゃめちゃな術式ですね」


「……まだ年若いようだが、あなたが〈呪術士〉殿ですか」


 ルストラレにこんなに丁寧な声を掛けられた事などない。ルルディはフードを脱いで、淑女の礼をした。


「なっ!? お、お前は!!」


「お久しぶりです。魔導国騎士団所属の〈呪術士〉ルルディでございます」


「どういう事だ!? 貴様、嘲笑いに来たのか!?」


「まさか。彼女を〈呪術士〉と申し上げましたよ。更に言えば魔導国唯一の〈解呪士〉で、呪いを解くのを専門としております。こちらで〈聖女〉をやらされていた事でも分かるように、癒しに長けておりますので」


 ルストラレの暴言に、小さな棘を混ぜて答えたのはテオドルスだった。


 カエルの大きな口がぱくぱくと開閉している。絶句しているのだろうか。


〈聖人〉もテオドルスの皮肉に顔色が悪くなった。

 彼も筆頭聖女のルルディがいなくなった経緯を知っている。彼女は教会の上層部が入れ替わった事件の渦中の人物なのだ。


「遠路はるばる呪われた人を笑いにくるほど、私も暇じゃありません。〈呪術士〉の誇りを持って、殿下の面前に立っているのでございます」


 ルストラレには嘲笑われても仕方がないとの自覚はあるようだ。激昂するガマガエルなんてちっとも怖くない。逆に愛嬌があるくらいだ。

 ルルディは余裕の笑みを浮かべる。魔導士として培われた自信がそうさせた。


 ルストラレは〈聖女〉だった頃とはまるで別人のように堂々と、そして美しくなったルルディに気後れした。みっともない自分の姿を恥じる。


「……声を荒げて悪かった。よろしく頼む」


(謝った!? あの不遜王子が!! よっぽど心が弱っているのね)


 それもそうだろう。魔導国の力を借りるのは最終手段なのだ。怒らせて帰られたらまずいのは理解している。


「近寄ってもよろしいでしょうか」


 詳しく観察したい。王子の返答を待たず一歩進んだので、従者の騎士が反射的に腰の剣の柄に手をやる。それを目敏く見つけたテオドルスが、彼の手に魔法を掛けて動かなくした。騎士は戸惑って自分の手を見つめた。


「我々は王太子を救いに来たのだ。敵対の意思は封じる」


「も、申し訳ありません。つい……」


 初めてその身に魔法を受けたのだろう。ただの軽い拘束なのにおろおろしている。そんな周囲の相手は師匠に任せて、ルルディはルストラレの側に立つ。


 ルストラレの飛び出した目は瞳孔が横広い。普通のカエルなら赤い部分が緑色だ。


(あれ? 殿下の目って緑だっけ。覚えてないわ)


 ルルディはルストラレを“金髪の美形”とだけ認識していた。じろじろ見るのも憚られる相手だったので、今は彼の美しかった顔も曖昧だ。

 

 まあ、それはどうでもいい。

 目の前の王太子はゆったりとしたシンプルな服を着ているようだ。直に肌を見れば呪いの印があるか分かるだろうが、さすがに『脱げ』とは言えない。彼も屈辱であろうし、ルルディだって特にカエル人間の身体を見たくもない。


 ルルディはルストラレの内面を探る。かつてソインを視たように。

 

 自身の醜い姿を、かつて馬鹿にしていた婚約者候補の視線に晒したくないと思うルストラレは、ルルディの凝視に耐えきれずに目を伏せた。





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