14:緊急なお仕事って何でしょうか
慎重にローエンサガ魔国への調査が進められている中、ある日、ルルディはブロウに呼び出される。魔導塔主の執務室にはテオドルスも居た。
「どうだ、研究の成果は出ているか」
塔主は実験の進捗具合を知りたいのだろうか?
(もっと頻繁に報告しなければならないのなら、師匠も言ってくれれば良いのに)
文句を言いたげなルルディの視線も気が付かず、テオドルスは手にした書面を真剣な顔で読んでいる。
しかし師匠を責める程でもないと思い直す。
(別に今、怒られているわけでもないし)
「女神魔法、魔人魔法問わず、解呪が出来ないか試行錯誤しています」
取り敢えず、現状を答えておく。
女神魔法で最凶と言われる“呪殺魔法”すら、大天才の魔導士が恐ろしく強固に施したものでもない限り、自分なら問題なく解除できるとルルディは自負している。
呪殺魔法は復讐魔法の最上級と言われる禁術だ。
相手の身体を徐々に蝕み腐らせ、一年近く苦しめながら殺す。一族を呪うには更に“継続”の術式を重ね掛け、親兄弟、玄孫まで対象にする無慈悲なものだ。
そもそも豊穣の魔導力の本質は、大地の浄化回復、植物の生育を促す救済だ。
それを捻じ曲げてまで、そんな恐ろしい魔法陣を開発するなんて、製作者はどんな恨みを持っていたのだろうかと背筋が寒くなる。
幸いな事に簡単な魔法ではないので、実際発動できるのはルルディとカロスイッチくらいだ。ただそれも魔導協会内での話で、今現在、他国に籍を置いていたり、流浪で呪いを生業にしている魔導士も存在するので、彼らの実力は不明である。
そんな呪術を恐怖に思うルルディも、解呪が可能だから問題視していない。
ところがどうだ。地底魔導力ときたら! カフェロンとも意見を交わして、こう言った負の魔法ほど相性がいいのだと結論が出た。だから精神攻撃術はあちらの方が上である。
『セイランに掛けられていた従属魔法なんて、魔人族にとってはそこまで難しいものじゃないみたいなの』
セイランに魔人国での話を色々尋ねたカフェロンは、そう言って眉をひそめた。奴隷には全員従属魔導具が着けられていたし、魅了魔法で他人を惹きつけて、思いのまま相手を操る者も居たそうだ。
魔人魔法を解くのに魔導士の魔法は効かない。
だからルルディは、“負のエネルギー”そのものを相殺する方法を模索している。
……全くの手探り状態だが。
「あー、そんな難解な事やってんのか……大量の割れた石や貝殻を海に捨ててるから、何してんのかと思ったぜ」
「何の魔法も掛かっていない綺麗な状態で廃棄しているから、大丈夫です!」
そこはブロウにきちんと説明しておく。
抜かりなく処理して自然に返している。『協力してくれてありがとう』と礼を込めているから、もしかしたら僅かに海の環境が良くなるかも知れない。
「うんうん、ご苦労さん。その研究はぜひ続けてもらいたいんだが……今回、ちょっと緊急の仕事が入ってな……」
(なんだ。本件はこっちなのね)
ルルディは肩の力を抜く。
「そうなのですね。カロスイッチ様からは何も聞いてないんですが」
「ああ、言っていない。むしろテオドルスと君だけで話したいから抜いた」
ブロウがそんな判断をするのは珍しい。大雑把な感性だが、秩序やルールには結構真面目な人である。上司を抜かしてという事はだ。“特級魔導士”テオドルスの補佐官として呼ばれているのだろうか。
「……ちょっと特殊でな。事を大きくしたくないと言うか」
曖昧な口振りも珍しい。ブロウはちらりとテオドルスの方を見るが、彼は視線に気が付かない。仕方ないからルルディがその意図を汲んでやる。
「師匠、断るのが面倒な事案なのでしょうか?」
「ん? いや、もう受けている。問題はまず依頼者なんだが……」
難しい顔で書面を読んでいたテオドルスは言い淀み、そして顔を上げてルルディと目を合わせた。いつもの涼しげで凛々しい顔だ。ただ、いつもより眼光がキマッている。
「マルジャラン王国の国王陛下からだ」
「えええっ!? あの魔導排除国がどうして! それって偽文書じゃありませんか!?」
「残念ながら正式に国王からの依頼だ」
ブロウは頭が痛いとばかりにこめかみを押さえた。
「何か陥れるための罠とか……」
「よっぽど君は出身国を信じてないんだね」
テオドルスが目を細めて、少し皮肉に口角を上げた。
「教会と王家は信じられないんです」
「それもそうだな」
「……で、内容はどう言ったものですか」
「君の元婚約者が呪いを受けたらしい」
「私に婚約者など、おりませんでしたが」
自分でも思ったより低くて冷たい声が出たルルディは、テオドルスを睨む。
「ああ失敬。婚約者候補だったか。民衆や他国では、平民の筆頭聖女が王太子の婚約者だと認識されていたからな」
「全く以って不愉快です。二度と、元でも婚約者だなんて言わないでください」
「分かった。すまん」
「で、一体何の呪いですか? あの王国の事です。“呪術”だと判断するからには、よっぽどの確証があるんでしょうねえ」
「もちろんだ。夜会にて皆の前で呪いを掛けられて、ガマガエル人間に変えられたそうだ」
「わあー、紛れもなく嫌がらせの“変化”の術。ルストラレ王子、一体何をやらかして恨まれたんでしょうね。お気の毒にー」
ちっとも気の毒がっていないルルディの口調に、「君も思うことはあるだろうが、事態は割と深刻なのだ」と、ブロウが口を挟む。
「アドール中央神聖教会の司祭、神官、聖者、総出で太陽神の祈り浄化を王太子に施しても解呪は無理でな、マルジャランは仕方なく同盟国に頼って〈解毒士〉を寄越してもらったそうだ」
そんな事情を依頼書に書くわけがないから、諜報員からの報告だろう。同盟国の魔導士たちでは解けなかったから、魔導統治国に依頼せざるを得なかったのだ。苦渋の決断である。
国書を受け取ったブロウは訝しく思いながら、中を検め顔をしかめた。友好的な関係ではないので、マルジャランの使者は邪険な対応も覚悟していたようだ。
「使者は王弟だった。彼は俺に跪いて、王太子を助けてほしいと懇願したぞ」
「あの厳ついお顔のなんちゃら公爵……」
王弟殿下の顔は思い浮かぶものの、名前は失念した。
「他国の王族にそこまで下手に出られちゃ、拒否はできないだろ。だから呪われた状況を詳しく聞いたんだよ」
王太子ルストラレは正式な婚約者が居ないのをいい事に、女遊びを隠さない男だ。王都の大劇場で流浪の劇団が公演した時、そこの歌姫と一夜を共にした対価に金を渡して終わらせた。娼館と同じ感覚だった。
しかし歌姫は相手が王太子と知り憤る。一国の王子なら宝石を貢ぐものだと。招待状も持たない彼女が突如、王弟閣下の公爵家の夜会に現れて、そう彼を詰った。
『今、私の身に着けている装飾品は全て私の歌声に対する褒賞として、他国の王族や貴族から賜ったものですわ』
ヘッドドレスに首飾り、ブレスレットに指輪。どれも立派な宝石が輝いている。
ただの演者としてではなく、それ以上に親しくなったのに、端金を渡されたのではまるで安い娼婦だと、場所柄も弁えずに王太子を責める。
『いや、高級娼婦くらいの金は払ったよ』
『娼婦ですって!? 好みの男だから寝たのよ!』
『貴女は魅力的だけど、私よりずっと年上じゃないか』
相応の報酬だと思うし、こんな貴族が集まる夜会に現れ糾弾されるなんて恥を晒され、ルストラレも苛立ったのだろう。その程度の価値だと言ってしまった。
これに歌姫は激怒した。
『マルジャランに呪いあれ!』
何やら詠唱すると紫色の魔法陣が王太子の足元に現れて輝いた。次の瞬間には王太子は、ガマガエルの顔に突き出た腹に、ガニ股の短い足、吸盤が付いた手の指。見事なカエル人間の姿に変化していた。
あまりの出来事で阿鼻叫喚の中、歌姫の哄笑が響く。
『あははははは!! いい気味だわ! 試してもいいけど、愛する者のキスで解けるなんて与太話は信じない事ね!』
警備兵や近衛兵が我に返って彼女を拘束しようとしたが、彼女の姿は金色の魔法陣の中で忽然と消えてしまった。それきり劇団にも戻らなかった。
(軽薄ね! 痴話喧嘩とは! 政権争い絡みなら同情したけど)
「あの王子、本当にしょうもないですね」
ルルディは自分が〈解呪士〉として派遣されると悟ったが、本音を言えば拒絶したい。




