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封月のルナティック  作者: 創綴世 優
叙詩

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12/12

Rhapsody Ⅷ: 斥命のカタルシス

 ……(いのち)の重さって、なんだろう。


 ふつうは、はかるのかな。数をかぞえて、天秤(てんびん)にのせて、重いとか軽いとかをきめるのかな。


 わたしには、そのはかりがない。

 命は、あるかないか、それだけ。

 うごいているか、とまっているか。

 ただ、それだけ。


 ……でも、ひとつだけ、重いものをしってる。

 わたしはそのためだけに在って、そのひとも、わたしのためだけにある。


 他のものは、重さがないから、わたしの世界には置かれない。


 だから……じゃまをするなら、(しりぞ)ける。

 わたしはただ、わたしにとって間違った(いらない)ものを、正しい場所にもどすだけ。


 それがわたしの、心の解放(カタルシス)だから。







 深夜、物音で目が覚めた。

 瞼を上げると、目の前にはもちろん優朔(ユウ)がいる。

 体を寄せようとしたところで――再度、木の扉を叩く乾いた音が割り込んだ。


「……うるさい……」


 愛しい存在との眠りを邪魔された事実だけが、不快を淡々と積む。

 鳴りやまないノックに、仕方なく上体を起こして、優朔の肩を軽く揺する。けど、優朔は起きなかった。


 ……そうだ、人間には「疲れ」というものがあるんだった。

 眠りに就いて間もないのだから、起きないのは当然だ。

 自分は疲れを感じないが、優朔が感じるなら、それを守りたい。


「……」


 不機嫌を抱えたままベッドを降りる。

 本当は、少しの間でも離れたくない。だが、このままでは優朔が目を覚ましてしまう。

 ――そして何より、この静かな時間を乱されたくなかった。


「……」


 無音で寝室の扉を開け、廊下に出る。夜の家は、木と石の匂いを薄く残している。

 階段を一段ずつ下りるたび、板は鳴らない。ノックだけが、家の表面を叩き続けている。


 玄関に辿り着き、取っ手を(ひね)って扉を開く。

 そこには、数人の人間がいた。こちらを見る目は、警戒の色と、それを緩めようとする色を帯びている。


 その中で、最年長らしき男が最初に口を開いた。


「――おっと、お嬢さん。こんな夜分遅くにすまないね」


 その声には、少女の警戒を解こうとする打算的な柔らかさが滲んでいた。

 それを皮切りに、他の人間も、用意してきた声色で言葉を重ねる。


「ああ、私たちは怪しい者じゃないんだ。ちょっと、ここにあった村と、この家のことを聞きたくてね……」


 そのまま、ニンゲンたちの言葉が続いていく。

 ――長々と喋っているが、要するに彼らは、「ルナが壊した村の関係者」ということらしい。


 ここにあった村が消え、住人も消え、その跡地に家が建っている。それは不自然なこと。

 だから、調べに来た。それは自然なこと。

 ――けれどその整合は、ルナにとってどうでもよかった。


 問題は、「ならばこのニンゲンたちをどうするか」ということだけ。


 ――ルナは、かんがえる。


 壊すのは容易(たやす)い。ルナは昨日の出来事で理解していた。人間は往々(おうおう)にして弱く、(もろ)い。

 大切な優朔との眠りの時間を邪魔された苛立ちも、今こうして優朔と離れていることへの苦しさもあって、今すぐにこの状況を終わらせたい感情はある。


 ――でも、本当にそれでいいのか。

 だって『でーと』のときに、優朔と約束をした。

 「人間のフリ」をする、と。そうすれば、またでーとができる。

 ――それに、彼との約束は守りたい。


 ――ニンゲンから、質問が飛んでくる。


「それで、お嬢さんはここにあった村のことを何か知ってるかな?」


「……しらない」


 ルナは、目先の感情よりも約束を選んだ。

 どうなるかは知らないが、ひとまず「人間のフリ」をして嘘を吐くことにした。

 ――本来、彼女に「嘘を吐く」という機能はない。

 しかし、優朔との約束を守るために、この場では感情を抑え、(じゅん)であることを置いた。


「……そうかい。けれど、消えた村の跡地にぽつんとこんな立派な家が建ってるんじゃ……

 我々も、はいそうですかと引き下がるわけにはいかないんだよ」


 言葉と同時に、ニンゲンたちは目配せで合図を交わし、


「少しだけ中を調べさせてもらうよ。何もなければそれでいいんだ」


 ヒトリが、ルナの返事を待たずに敷居へ足をかけた。


 靴底が木に触れる、その前。


 空気が薄くなる。家の内と外の温度が分かれ、線が引かれる。

 木目の流れが一瞬だけ逆立ち、廊下の影がこちらへ傾く。


 ――ルナの中で、何かがはじけた。


 おうち。ユウとの、おうち。

 ふたりのために作った、しずかで、大切な場所。


 そこに、異物(いぶつ)が混入してくる。


 ――たえられない。

 かなしくて、いやで、ふかいで。拒絶(きょぜつ)したくて、たまらない。


 ――がまんって、なんだろう。

 ――おさえるって、なんだろう。


 ――なんで、()()()()()に、それをしなくちゃいけないんだろう。


 ――。


 ああ、わかった。

 わたしには、さいしょから無理だったんだ。

 

 だってわたしは、人間(ヒト)じゃないから。

 フリはできても、それは続かない。


 いつか感情が溢れ、抑えられなくなり、爆発する。

 我慢できなくなる基準も、価値観も、きっと人間とは違っている。
















































 ――だから。
















































 敷居をまたごうとした複数の影は、既に人の輪郭を失っていた。


 輪郭からはみだした赤い霧だけが壁と床に散り、残ったのは、ただそれだけ。


 ――どうやら、今回は、こわし方を間違えたらしい。


「……ユウ、おこるかな」


 ぽつりとつぶやいた一言に後悔はない。

 そこにはただ、一人の反応を気にする色だけが(にじ)んでいた。







 ――(とき)は、まだ零時(れいじ)を過ぎて間もなかった。

 

 優朔はまどろみの(ふち)で、感じた違和感に目を覚ます。

 ルナがいない――それだけではない。

 耳に残る、複数の物音。何かが、消えた気配。


 ルナは無事だ。それだけは感覚で分かる。

 そもそも、ルナに危険が迫っていれば、こんな呑気に眠ってはいない。


 ――しかし、玄関の方角に感じる違和感は、それなりの変化があったことを彼に知らせている。


 優朔は上体を起こすと、視線を廊下へ向ける。

 確信のおかげで、焦りはない。

 立ち上がり、階段へ向かう。

 

 ――血の匂い。

 それは何かしら問題が起きたということなのだろうが――その匂いは明らかにルナのものではないから、やはり焦りは起きない。


 階段を降り切ると、玄関と、そこに立つ少女の様子が目に入る。


 ――それは、なかなかの惨状(さんじょう)だった。

 開いた戸と床は、赤い飛沫に染まっていた。

 周囲には、それらを吐き出した残骸のようなものが、ほんのわずかに形を留めている。

 その中心に立つルナに、汚れは一切付着していない。


 ――これは、十中八九、ルナがやったのだろう。


「ルナ、大丈夫か?」


 優朔は近寄り、しゃがんでルナと目線を合わせる。傷はない。異常もない。

 彼女は短く頷いただけで、しばらく黙っていた。ただ、優朔の目を静かに見つめ返す。

 しばらくの間そうしていた彼女だったが――やがて、口を開いた。


「……ユウが寝てるときに、にんげんがきたの」


 ルナはそのまま、起きたことを素直に語った。


 語りながら、血で汚れた場所は静かに浄化され、痕跡は消えていく。

 彼女の周りから順に、赤が木の導管へ逆流して、木目は見慣れた色に戻った。


「…………やくそく、やぶっちゃった……ごめんなさい」


 ――すべての説明が終わったところで、ルナは俯き、静かに謝った。


 約束とは、「人間のフリをする」と決めたことだろう。

 優朔がそれを決めた理由は、デートのためもあるが、それだけではない。


 もし、彼女が人間でないと悟られれば、彼女を狙う輩が現れるかもしれない。

 ルナをどうこうできる存在がいるとは思えないが、それでも優朔は、ルナを危険に晒すことだけは避けたかった。

 けれど――


「なんで謝るんだ? 俺たちのためにやったんだろ」


 優朔は頭を撫でる。声は静かで、内容は揺らがない。

 今回のことに、謝罪なんて必要ない。

 ルナは約束を守って人間を殺さずにいたのに、無粋を犯したのは人間のほうだ。


 「それでも約束を守って我慢しろ」などと言うつもりは、優朔には最初からない。

 それでは、何をされても、人間のフリをしたまま抵抗できないということになる。

 そんなことになるくらいなら、最初から全員×してくれた方がずっといい。


 そして、今回も同じだ。

 ルナにとってこの家は、誰にも(おか)されてはならない大切な場所であり、それは優朔にとっても同じだ。

 だからルナがとった行動は、()()()()()()()、絶対に正しい。

 正しさは多数決ではなく、守るものの輪郭で決まる。


 大切なものを汚されたくないという想いは、純粋で、清廉(せいれん)で、誰も否定することなどできない神聖(しんせい)なものだ。


「……ほんと? おこってないの?」


「ああ、怒ってない、怒るわけないだろ。――俺と、俺たちの家を守ってくれてありがとう」


 まっすぐに告げる。

 ルナの肩がわずかにゆるみ、次の瞬間、胸に抱きついてくる。


「……ユウ、だいすき」


 こんなときでも、その一言だけで、心が熱くなるのを感じる。


「ああ、俺もだ」


 優朔はそのまま、少女の体を抱き上げた。腕の中に重さはなく、ただ愛おしさだけが在る。

 寝室に向かって、階段を上る。廊下の影が、ふたりの形に沿って伸びた。

 腕の中のルナは、静かに頭を寄せてくる。


 寝室に辿り着き、ベッドにそっと下ろして隣に座る。いつものように手を握って、寄り添ってから、短く切り出した。


「――今後のことを、決めておかないとな」


 本当は、ルナと過ごす時間は、彼女のことだけを考えていたかった。

 しかし、昨日のことや、今日残してしまったであろう痕跡を考えれば、今後誰かと衝突する事態は避けられないだろう。


 ルナの力を思えば、警察などの公的機関は、警戒に足らない。

 そもそも、彼女の力があれば、一般人に対しての認識阻害は容易だろう。


 ――しかし、問題は昨日の連中のほうだ。

 明らかに普通の者とは違う空気を発していたし、優朔でさえ知らない道具を使って、命令の中でも知らない単語を飛び交わせていた。

 ルナに危険が及ぶとしたら、可能性があるのはあっちだ。


「……こんご? ……どうすれば、いい?」


「まず、人間のフリをするっていうのはもうナシだな。またデートする時は必要だが……それ以外は、むしろルナに危険が及びかねない」


「……わたしに、きけん?」


 ルナは不思議そうに首を傾げる。睫毛が小刻みに影を落とし、前髪の向こうで瞳が微かに揺れる。


「ああ。俺も、ルナがあんな連中に傷を付けられるとは思ってないが……昨日の連中は、そこらにいる人間とはどこか違っていたからな。

 ――あいつらみたいなのがまた襲ってくるのとしたら、警戒は必要だ」


「……うん、わかった」


「よし。それと……今日みたいに人間と衝突した時、どうするのかも決めておこう」


 言葉を聞いて、ルナは静かに頷いた。

 それは、優朔の言うことは全て信頼していて、そのまま受け入れる。という、固い意志のようにも見える強い肯定だった。

 頷きのあとも、彼女は視線を逃がさない。布団の(しわ)が、ごくわずかに形を変える。


「――できることなら、何もせず穏便に済ませたい。トラブルを起こせば、その分だけ危険も増えるからな。……だけど」


 ルナは、優朔の目を見つめたままじっと黙っている。

 大事なのはこの先の言葉だと、理解しているのだろう。呼吸が等間隔にそろい、部屋の空気が一枚、静かに澄む。


「もし、それ以外に方法がなかったり……許せないことがあって、我慢できないときは」


 一度、言葉を切る。ここからは、きっと世界の運命を変える起因(トリガー)になるだろう。


 ――けれど、優朔の心はとっくに決まっていた。


 一拍置いて、その言葉を告げる。


「全て、ルナの好きなように壊せばいい」


 ルナの顔が、わずかに上がる。驚きはなく、ただ、受けた言葉を胸の奥に広げるみたいに。

 目の奥の色が、一瞬だけ濃くなる。彼の手を包み込むように、両手で覆って――


「……いいの?」


 ――静かに、確かめる言葉を返した。


「ああ。その後のことは俺がどうにかする。ルナが俺のことを守ろうとしてくれるように――俺が、ルナを守るから」


 小指を立て、差し出す。

 デートの前に教えた、『約束』のしるし。

 空気がそっと、輪郭を整える。


「…………」


 ルナは髪の奥で一度だけ瞬きをして、視線を落とす。

 彼の小指に、自分の小指を寄せる。触れる手前で一拍、息を合わせ――きゅっ、と絡ませる。


「やくそく、する。……わたしは、ユウにまもられる」


 一瞬の沈黙を置いて、続ける。


「……ユウのことは、わたしがまもる」


 絡んだ指の温度が、言葉より先に約束を結ぶ。それは、ただの「約束」ではない。

 怪物の少女と交わした、初めての『誓い』だった。


「――ん。それじゃ、そろそろ寝ようか。きっと、明日は早いからな」


 優朔がベッドに横たわると、ルナはすぐ、いつものように彼の腕の中に入って小さく収まる。

 寝具が二人の重さをそれぞれの位置で受け取り、音を立てずに落ち着いた。


「……ユウ」


「どうした、ルナ」


 一瞬の沈黙が流れ、

 ルナが小さく口を開いた。


「……ユウのことがすき」


「俺も好きだよ」


 互いに心の音を交わす。

 少なくとも今、それ以上の言葉は要らなかった。


「……ん。おやすみ、ユウ」


「ああ、おやすみルナ」







 外の夜は淡く巡り、家の内側だけが同じ温度で続いていく。


 掛け布の皺が静かに整い、二人の呼吸が同じ間隔に収まる。

 灯は落ち、天井は暗くならずに輪郭だけを薄める。家全体が、ふたりの存在の周りに薄い膜のような温度を守っている。


 優朔が眠りに落ちると、ルナもまた同じ速度でまぶたを閉じた。

 だが、彼女の心の中には小さな余韻が揺れていた。今夜のこと。人間が訪れたこと。彼らの無粋さ。すべてが、薄く、鋭く。


 彼女は暗闇の中で、自分の指先を数える。

 その指の形は、小さく、固く、誓いを握り続ける。


 ――静謐(せいひつ)な時間は正しく積み重なり、ゆっくりと、静かな眠りが二人を覆った。

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― 新着の感想 ―
続き読みました。 過激なシーンでしたが、そう至るまでの描写がしっかり為されていたので、ルナさんの心がよく伝わってきて自然に受け入れられました。 コンテストに出すとのことで連載が止まってしまうのは残念で…
物語の緊張感がぐっと高まったことを感じました。 まずルナ視点で語られるのが新鮮で、彼女の内面を直接見られるようになったことで物語の深みが増しています。「命の重さ」について語る冒頭部分は、彼女の考え方が…
遅くなっちゃったけど読みました! 展開の流れが綺麗で最後の描写でもこの先にとんでもないことになる予感がしてどっきどきです(* ॑ ॑* ) でもそれよりもとにかくルナちゃんがかわいい、「⋯⋯すき」が…
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