第39話 憤怒の暴走
「な、何なんだい……あれは」
「マジで、あの魔族のガキなのかよ!?」
「あんなの……他の魔族じゃ見られなかったぞ」
パイソンさんを含め、他の男達も予想だにしないニルのあまりの変貌ぶりに驚いているようだ。
ニルの翼に宿る目は、その瞳のそれぞれがギョロギョロと不規則な動きをしている。忙しなく瞳を動かしているものもあれば、何を見るでもなくゆっくりと動いていたりと様々だ。
本当にニル自身が変貌してしまった姿なのだと、本当は他の誰かで本物のニルはどこかにいるんじゃないかと思ってしまえるほどに信じられない光景だったが、そんな苦し紛れの都合のいい展開になんてなるはずはない。
あれは確かに、ニルの中から姿を現した。何が引き金なのかは分からないけれど、ニルの中に眠っていた何かが目覚めたって事なのかもしれない。
だた、禍々しい姿に変貌したニルだった化け物は翼の目玉が動いているのみで全く襲い掛かろうとしない。
あろうことか、パイソンさんや男達を目の前にして首を傾げたり余所見をしたり、まるで戦意を感じさせない素振りを見せていた。
「何なんだ? 一体……」
「分かりません……」
「気味が悪いな」
三人とも目の前の化け物の不可解な行動に警戒心を解いてしまっているようだ。
眉を寄せて怪訝そうな表情をしながら化け物を見つめている。
だが、そう思ったのも束の間だった。
「――!? がはぁ!?」
化け物は一瞬の瞬きの隙に男達の背後へ瞬時に移動し、気配に気付いて振り向く間もなく三人の男のうちの一人を吹っ飛ばした。
凄まじいスピードで岩肌に叩き付けられた男。体が埋まるほどの速さで叩きつけられ、磔になったまま血反吐を吐いていた。
その直後、化け物の右腕はゴボゴボと泡立つように何倍にも膨れ上がり、細腕は屈強な男の筋肉質な腕、そのものになっていた。
そんな異常なほど巨大化した腕を振りかざし、吹き飛ばした男に殴りかかる。
「――ッ!? 練り上げろ! 神の泥人形! ……ヒッ!?」
男は襲い掛かってくる化け物に気付き、力を解放しようと腰に差した短剣を引き抜き叫ぶ。
だが、それは間に合わなかったのか小さな悲鳴を上げた男は化け物の巨大な拳に圧し潰されてしまった。
グシャリと血飛沫が飛び、めり込んだ拳の隙間から血が滴りだす。
拳を離すと、そこには人の形を完全に失い、肉塊と化した死体が岩肌に張り付いていた。
「う……うぐっ!?」
臓物や骨、あらゆる器官をその腕で圧し潰し、さっきまで生きていた人間とは思えないほど惨たらしい姿になり下がった死体に俺は吐き気を催してしまう。
『ば、馬鹿な……あれはもう、人間や魔族の領域を超えている。まさしく神、そのものだ』
悪魔の震える声が頭に響く。
さすがの悪魔も、この状況は想像が出来なかったのだろう。
こんなの誰が見ても、想像できる奴なんているわけがない。
だが、ニルの中に眠っていた存在が神様そのものだったなんて……あんなのが異世界の神様だって言うのかよ。
もう……俺には悪魔だとしか思えない。
「う、うわぁぁぁ!? 何なんだよ、何なんだよあいつ!」
「クソッ!」
怖れ慄き、その場にへたり込む男を余所に、パイソンさんはそう吐き捨てながら化け物に攻撃を仕掛ける。
さっき俺に放った、広範囲に及ぶ閃光……裁きの陽光だ。
化け物は巨大化した右腕を瞬時に戻すが、こちらへ振り向こうとはしない。
だが、翼に宿っていた目の全てが翼の裏側まで移動してくるとその目は限界まで見開かれる。
その瞬間、パイソンさんが放った閃光は化け物に直撃した。
凄まじい破壊力と熱気を誇る閃光は離れているこちらにもその熱風が伝わってくる。
「……う、嘘だろ」
震える声で呟くパイソンさん。
その直後、激しく輝く閃光が一瞬で消え去り、そこには傷一つ付いていない化け物が立っていた。
見開かれた目の瞳が不自然な輝きを放っている。どことなく瞳の色も変わっているような気がした。
「ま、まずい! ぐっ!?」
「ギュァァァァァァァァァァァァ——!!」
パイソンさんがそう言って反応しようと動いたのも束の間、凄まじい音波のような叫び声をあげた化け物とともに全ての目から暗紫色の閃光が弾丸のように放たれた。八つに分かれていたそれは一つに合わさり、逃げる間もなくパイソンさんに襲い掛かる。
「うぐっ!? ……ああっ!!」
凄まじい破壊力と吹き荒れる爆風に曝され、直接攻撃を受けていない俺でさえ吹き飛ばされる。
な……何なんだ!? この圧倒的なまでの破壊力は! こんな攻撃をもろに受けたら一溜りもない。
化け物の放った閃光が直撃したパイソンさんはその力に圧されて岩肌にめり込み、攻撃が止むと同時に力なく倒れる。
パイソンさんの放った閃光でもここまでの破壊力は無かった……あのパイソンさんを一撃で一掃するなんて。
「ヒッ!? ヒィィィィィ!!」
パイソンさんまでやられてしまった事で更なる恐怖に駆られた男は、その場から逃げ出した。
洞窟の出口を目指して駆け出した男だったが、化け物はそれすら許さないと言ったように男の目の前に瞬時に移動する。
ニタリと笑うように口を開けた化け物。両手の指を広げると十本の指の爪が伸び、それはまるで片刃の剣のようになった。
「い、嫌だ! 死にたくな――」
恐怖で顔を歪める男は方向転換して逆方向の出口を目指して駆け出すも、叫び声をかき消すようにその変化した爪で男を切り裂いた化け物。
口を開いたままその場で硬直した男は、頭の先から足のすねの辺りまでサイコロのように切り刻まれ、断面から吹きだした血とともに崩れ落ちた。
切り刻まれずに残ったのは、立っていた面影が残る足首から足先までだった。
その凄惨な死体をじっと眺めていた化け物はゆっくりとこちらに顔を向けた。
背筋が凍り付く程の悪寒。瞬時に跳ね上がる心臓。化け物は肉片になり下がった男の死体を躊躇なく踏み潰しながら、俺に近付いてくる。
『何をしている! 早く立ち上がるのだ! このままではあの男のように切り刻まれるぞ!』
む、無理だ。あんなの見せられて平気でいられるはずがない。
脚が震えて……腰が抜けて……あまりの恐怖に俺は動く事すら出来なかった。ただただ、歩み寄る化け物を見つめる事しか出来ない。
「あ……ああっ」
とうとう俺の目の前まで近づいた化け物は俺を切り刻もうと腕を振り上げる。
だが、唐突に飛んできた閃光に反応した化け物は爪を瞬時に元に戻し、素手でそれを受け止めるとそのまま振り払うように受け流した。
的を失った閃光はそのまま岩肌に直撃し、消滅する。
化け物に攻撃を仕掛けたのはパイソンさんだった。
頭を覆う兜にはヒビが入り、腕の一本が捥げて消し飛んでいた。しかし、パイソンさんが力を籠めると捥げた断面から腕が生え何事もなかったかのように再生する。
パイソンさんは変わり果てた男達の死体を交互に見つめる。
「オルドー、アスティン…………」
彼らの名前だろうか……男達の名を呼ぶパイソンさんは、どこか悲しげな雰囲気を感じた。
魔族を襲い、同じ転生者を手に掛けるパイソンさんでも自分の仲間の死に対しては悲しむ事が出来る人なのか。
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァ——!!」
劈くような叫び声を上げて、恐ろしい速度でパイソンさんに襲い掛かる化け物。
刃のように伸びた爪を何度も振りかざすが、パイソンさんは四本の腕を駆使して剣で弾いていた。
だが、化け物の方が圧倒的に強いようで、完全に押されているようだ。
「くっ……」
パイソンさんは隙を見て翼を羽ばたかせ空を舞い、化け物から距離を取った。
逃がすまいと化け物は同じように空を舞い、襲い掛かる。
空中で二人がぶつかり合い、何度も何度も金属がぶつかり合う音が鳴り響く。
「ぐあっ!?」
互いの攻撃を防ぎ、競り合う二人。
しかし、化け物の攻撃を防いでいるパイソンさんの隙を突くように化け物の巨大な尾が波打ち、その尾でパイソンさんを叩き落とした。
凄まじい速さで落下したパイソンさんはそのまま地面に叩き付けられる。
抉れた地面に仰向けになって倒れているパイソンさんは、そのあまりの衝撃に耐えられず兜の隙間から血反吐を吐いた。
空からそれを見下ろしていた化け物はそんな状態のパイソンさんなど気にも留めず、無慈悲に次の攻撃を仕掛けようとしていた。
翼の瞳が怪しく光り、それは徐々に強くなっていく。
だが、それは何があったのか途端に消滅して翼の目が急に閉じてしまった。
それと同時に化け物の動きもピタリと止まる。
「な……何なんだ?」
俺は恐る恐る近付いて見るが、俺が動いても全く反応する気配がない。
微動だにせず空中に浮いたままの化け物。その直後、化け物の体にヒビが入り始めた。
それは顔にまで達し、欠けた体の破片が卵の殻のように剥がれ落ち始める。
次々と剥がれていく欠片の中から現れたのは、血色を失い一切の生気を感じさせないほど肌が真っ白になったニルの姿だった。
力なく項垂れるニルは背中に生えた翼があるおかげで辛うじて浮いている状態だったが、化け物の体の全てが剥がれ落ちた後で、とうとうその翼も消え始める。
「ま、まずい! このままじゃニルが!」
化け物の体が剥がれ落ちたニルは今、一糸纏わぬ姿だ。それに意識を取り戻す気配もない。そもそもあれじゃ生きているのかさえも分からない。
何にしても、あんな無防備な状態であの高さから地面に叩き付けられたら、無事では済まない。
けれど、何の考えもなしに受け止めに行こうものならニルの体重と落下スピードが重なって俺に襲い掛かり、受け止めるどころか押し潰されてしまう。
『主よ! 早く力を開放するのだ! あの小娘が落ちる前に!』
悪魔は必死になって叫ぶが、迷っているうちに翼は消え失せて、ニルは重力に逆らう事なく頭から地面に落下した。
クソ……考えている暇はない!
「ニル!!」
『ば、馬鹿者! 無茶だ!』
俺は悪魔の呼びかけを無視して、落下するニルの下へ駆け寄った。
「ぐっ!? があぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! ふっ!? ぐあぁ……」
間一髪のところでニルの体をキャッチする事は出来たものの、ニルの体重に合わせて落下のスピードによる重力のせいで俺の足に全ての力が伸し掛かり、俺は恐ろしいほどの圧力を感じながらその場に崩れて両膝が地面に叩き付けられた。
その直後、脳天を貫く程の耐えがたい痛みを両下肢全体に感じた。
膝は真っ赤に腫れあがり、足の骨は完全に折れて足の肉や皮膚を突き破り外に飛び出している。
「ゔゔゔゔゔゔっ!! ぐっゔゔゔゔゔ!!」
想像をはるかに絶する痛みで唸る事しか出来ない。
俺はニルを抱きかかえ、痛みに悶える事しか出来なかった。
『この愚か者が! 主の力で小娘の体重を支えられる訳がないだろう! 何を考えているのだ!』
声を荒げる悪魔に俺は叱責されるも、痛みのあまりそれにさえ反応が出来ない。
僅かな筋肉の動きでも気を失いそうなほど痛みを感じて、俺はその場から動けなかった。
だが、ここまでの肉体の損壊を受けても俺は意識を失う事はない。意識もはっきりしているせいで痛みを鮮明に感じる。
血の気を失ったニルの体は酷く冷たい上に筋肉は硬く強張って、呼吸をしている様子はなかった。
……お、おい。嘘だろ。まさか死んで――。
「…………調子に乗りやがって」
そんな中、唐突に聞こえる恨みの籠った低い声。
俺の目の前に立っていたのは、兜が砕けて顔が露わになったパイソンさんだった。
顔を歪めてニルを睨み、パイソンさんは容赦なくニルの顔を掴み投げ飛ばした。
声もあげず、反応もせず、人形のように転がるニルはやっぱり意識があるとは思えなかった。
「あ? 何死顔キメてくれてんだよ? 僕の仲間をあんな惨たらしく殺して、僕をあそこまでコケにしてくれた分、君にはきっちり仕返ししなきゃいけないんだよ。あっさり死にました、で……納得するとでも思ってんのかよ!?」
パイソンさんは自棄になりながら次々とニルに向けて攻撃を繰り出している。
力を失ったニルの体にパイソンさんの攻撃が容赦なく直撃する。
休む暇もなく滑稽に地面を転がるニルの体。攻撃が当たった箇所は酷く焼け焦げ、真っ白だった体は無残な姿になっていた。
「オラオラオラオラ! 反撃してみろよ! 僕を殺してみろよ!」
「ニッ!? うぐっ!!」
名前を叫ぼうとするが、痛みのせいで声すらも満足に出せない。
こ、このまま見てるわけには……。
「燥ぐなよ。気が済んだら君も殺してやるんだからさ」
パイソンさんは横目で俺を睨んだ後、すぐにニルへと視線を戻した。
「クソッ! クソッ! クソッ! クソが!! ……はぁ、はぁ、はぁ」
抵抗できないニルに対して土埃が立つほど激しい攻撃を繰り返すパイソンさんは、一頻り攻撃を放った後急にその動きを止める。
肩で呼吸するように荒々しく動かして、パイソンさんはニルの顔を掴んで岩肌に押し付けた。
「……仲間を殺した落し前、君の首一つで付けさせてもらうよ」
パイソンさんはそう言い放つと、ニルへ一本の剣を向ける。
残り三本の腕で頭と体を押さえつけ、首を斬り落とそうと剣を当てがった。
クソッ! 俺はこのままニルが切り刻まれていく様を黙って見てるしかないのか?
ふざけるなよ! ここまで気に掛けて心配して、どうにか助けなきゃと行動してきたのに。
コルトやむっくんだってニルを心配して、危険を承知で探してくれていたのに。
そのニルが目の前にいるのにやっぱり助けられませんでした、で済むわけがねぇだろ!
俺は壮絶な痛みに耐えながら、再び刀を自分の腹に突き立てた。
そのまま込められる限りの力を振り絞り、刀を腹に突き入れる。
そしてその後、間髪入れずに切腹するような形で俺は刀を横に引いた。
腹に感じる強烈な異物感。腹の中をかき回される感覚。
胃液なのか血なのか判断がつかない者が逆流し、俺はそれを吐き散らした。
だが、痛みは感じない。どういう訳か痛みを感じなかった。
その直後、腹に突き刺さった刀から黒い靄が放出され俺を包み込む。
周りの景色が見えなくなるほど辺りは靄によって闇へと変わった。
『血と残酷は満たされた。我を受け入れた事により、我の全ての力を主へと授けよう。さあ、叫べ。我の名を! 血と残酷を司りし大悪魔。我が名は――』
悪魔の声が頭の中で鳴り響く。
突き刺さった刀から伝わるじんわりとした熱。それは体中に染みわたり、段々と力がみなぎっていくのを感じた。
それに呼応して体中のありとあらゆる傷が癒えていく。
俺はそれを感じながら、刀に手を触れて叫んだ。
『「アルヴァーレ!!」』




