FILE-72 理事長の思惑
静まり返った理事棟の大広間に、再び本のページを繰る音が小さく響く。
恭弥は最大限に警戒心を高め、長テーブルを挟んだ向かい側に座る青年を睥睨した。
「オズウェル・メイザース……戻っていたのか」
BMA公認の『魔導書の魔導師』――その姿を恭弥は写真でなら見たことがある。写真は十年以上も前の古い物だったが、目の前にいる青年はその時の姿と完全に一致している。
高位の魔術師ほど外見的な歳を取らないものだ。師であるロルクも恭弥が初めて会った時からずっと初老の姿をしていた。
「学院に帰還したのはつい先程です。本来であれば昨日の晩に戻る予定でしたが、君たちの師匠に捕まってしまいまして」
オズフェルは本の文字を目で追いながら答えた。
「師匠に捕まっていただと?」
恐らくBMAが差し向けたのだろう。恭弥たちが活動しやすくなるように、学院の理事長の一人を足止めしてくれたのだ。
だが、今、彼がこの場にいるということは――
「師匠になにをした?」
「なにもしていませんよ。私が一晩中酒に付き合わされてしまったのです。割り勘で」
「……そうか」
「そうです。私は飲めないというのに、困った男ですよ。おかげで今日の夜までホテルで寝込むことになってしまいました」
心底うんざりした様子で言うオズウェル。恐らく嘘はついていない。ロルクがロルクらしすぎて寧ろ安心した。
だが、状況は油断ならない。
潜入がバレた上に、最高権力者の眼前に引きずり出されてしまった形だ。このまま見て見ぬフリをして恭弥たちを逃がすとは思えない。先程の迷宮はほんの小手調べだろう。簡単に脱出できる相手ならとっくにこの場を離脱している。
そんな恭弥の心境を悟っているのかいないのか、オズフェルが本から目を離さないまま淡々と告げる。
「君たちに危害を加えるつもりはありません。そう身構えていないで座ってはどうですか? 少し話をしましょう」
恭弥たちは――従うしかない。
二人と一匹で目配せをし、恭弥と静流はオズウェルから最も離れた位置に並んで座った。黒猫になっているエルナは恭弥の膝の上に飛び乗る。
オズウェルが本を閉じ、なにを考えているのか読めない視線を静流へと向ける。
「それにしても、エルナ君も日本人だったとは予想外でした」
一瞬、彼がなにを言ったのか理解できなかった。
「? 拙者がエルナ殿でござるか?」
静流が困惑顔で自分を指差す。この場にいる外見上の人間は三人なので、オズウェルは静流がエルナだと勘違いしているようだ。
ならばその勘違いを利用できないかと考えたが、どう利用すればいいか思いつく前にエルナがテーブルの上に乗った。
(エルナは私よ)
念話を受信したらしいオズウェルが片手で頭を軽く抑える。
「失礼、セイズで黒猫になっていたのですね。では彼女は……噂になっていた辻斬りの犯人でしょうか? 軽度の方の」
オズウェルは恭弥たちが入学する前から学院内にいなかった。だが、その口調からして全くの無知ではないらしい。
「……どこまで知っている?」
「学院を離れていても報告は逐一耳に入っていました。君たちが探偵部なるものを設立し、辻斬り事件を解決。呼び出された悪魔の王から学院を救ってくれたことなど」
その悪魔の王が、今も恭弥の体で眠っていることまで恐らく彼は知悉しているだろう。
「まずは代表者としてお礼を言わせてください。ありがとうございます」
軽く頭を下げる。その様子に、どうやら本当に恭弥たちをどうこうするつもりがないのだと悟る。警戒は解かないが……。
(あなた、私たちの師匠とどういう関係なの?)
「顔見知り以上友人未満でしょうか。まあ、彼の方は私を友人だと思っていそうですが」
一晩酒を飲んだ仲だ。ロルクなら充分にありえる。
「師匠、拙者状況がイマイチ呑み込めないでござる」
「あとでまとめる。ややこしくなるから今は黙っててくれ」
「む、承知いたした」
この場において静流だけが蚊帳の外だ。下手に口出しされて引っ掻き回されては敵わない。忍者らしく無言で控えて警戒だけし続けてくれる方が助かる。静流も意味のわからない話に加わるつもりはないのか、素直に従ってくれた。
「師匠から話を聞いたと言ったな? それはつまり『全知の公文書』の件か?」
最早隠す意味などないと判断して問うと、オズウェルは得心したように顎に手をやった。
「なるほど、話の擦り合わせは必要ありませんね。その通りです」
どうやらオズウェル側もロルクから聞かされた情報を精査したかったようだ。
「元来、理事長は全知書を秘匿し、決して外部へ漏らさないように努めることが使命です」
やはりここで始末をつける――わけではないことはオズウェルの穏やかな口調でわかった。
「ですが私は、あなた方に協力してもいいと考えています」
「なんだと?」
学院の理事長が恭弥たちに協力する。もしそうなれば相当なアドバンテージだが、果たして鵜呑みにしていいものか怪しい。
(それはなぜ?)
「理由は単純です。私が識りたいから」
エルナの問いに、オズウェルは実に魔術師らしい解答をした。
「……」
(……)
恭弥とエルナは無言でオズフェルを見据える。掴みどころのない表情からは、今の言葉が嘘か真か判断できない。
「その様子では、学院の創世史については既に調査済みのようですね。安心してください。私は全知書の知識ではなく、魔導書の専門家として全知書自体に興味があるだけです。悪用しようなどという考えはありません」
悪用するつもりなどなく、ただ知りたいことがある点は恭弥たちも同じだ。BMAも封印管理に徹するはず。
しかし、オズフェルをまだ信用するわけにはいかない。
そこはオズフェルも理解しているようで――パチン、と軽く指を鳴らした。すると恭弥たちの前の空間が歪み、ぼとりと一冊の分厚い本が出現してテーブルに落ちた。
「それは『創世の議事録』と呼ばれる魔導書です。この学院――いえ、この空間の創造者たちが記したあらゆる知識と経験が記録されています。理事長権限で君たちにこれの閲覧を許可しましょう」
すぐにでも手に取りたいところだったが、罠かもしれない。恭弥は静流に目配せすると、彼女は「大丈夫でござる」と小さく囁き頷いた。
エルナが猫の手で慎重に本を手繰り、器用にページを捲った。
書かれていた文字は、現代語ではない。どこかの国の古代語だろう。恭弥では読めそうになかった。
「普通に読むとなんの変哲もない日記です。解読のスキルは必要でしょう」
「あんたは解読できたのか?」
「私にできなければ誰にもできないでしょうね」
傲慢というわけではなく、事実を告げるようにオズフェルは言う。実際、魔導書に関わる最高峰の彼で不可能ならば他では無理だろう。
「無駄な労力を使わせる気はありませんので先に言っておきます。『創世の議事録』は全部で三冊あります。そして三冊揃わなければ隠された真の意味――『全知の公文書』についての核心には辿り着けません」
なんとか解読しようとしていたエルナが顔を上げる。
(三冊ということは、理事長が一人一冊持っている計算でいいのかしら?)
「はい。もしも全知書に有事があった場合に再封印などを行うため、『創世の議事録』は代々理事長に受け継がれてきました」
それも流出対策だろう。三人が共謀しなければ『全知の公文書』には到達できず、且つそういうことがあり得ないように理事長は選ばれている。
全知書に興味を持ったオズウェルは少々特殊だったということか、それとも興味を持つことを度外視してでも彼の魔導書知識は理事長として有用だったのか。
とにかく、話は見えてきた。
「つまり、残り二人の理事長からもこれを奪って来いと?」
「一人で構いません」
オズウェルは部分的に否定した。理事長は三人いるはずだが、一人でいいとはどういうことだろうか?
内心で首を傾げる恭弥たちにオズフェルは説明する。
「今、学院にいる理事長は私とワイアット・カーラだけです。もう一人……彼女が所有している創世録は以前にこっそり閲覧させていただきました。内容は全て記憶しています」
「……」
学院の理事長で魔導師とあろう者がなかなか姑息な真似をしていた。だが、その言葉が真実なら今この場には実質二冊の『創世の議事録』が揃っているという意味になる。そして三冊揃った時の解読はオズウェル自身が引き受ける、という意味でもあった。
(ワイアット・カーラ……厳しいわね)
「拙者の出番でござるか?」
「いや、いくらお前でもそう簡単にはいかない」
相手は確実にこちらを敵視している。それはワイアット・カーラの経歴が元国際祓魔協会の聖王騎士だということからも明らかだ。
恐らく『全知の公文書』の存在が公になってから学院に潜入した組織は、ほとんど彼の手によって処分されてきたのだと思われる。手強い相手だ。
「ワイアットは私と違い、完全な全知書秘匿派です。そろそろ君たちを一掃するために動く頃合いでしょう」
恭弥はファリス・カーラの言葉を思い出す。
『やがて正式に貴様らを討ち取る命が下るだろう。死にたくなければ、その時までに諦めて学院を去れ』
今までは無干渉だった学院側の勢力が、ワイアット・カーラの帰還を持って本格的に動き出す。幽崎や他の全知書を狙う勢力も活発化するとなると、この前の辻斬り事件よりも凄惨な事態に陥りかねない。
「というより、既に動いているようです。これを見てください」
オズウェルが再び指を鳴らすと、同じように空間から一枚の用紙が現れた。ヒラヒラと舞い落ちてくるそれを手に取る。
カラフルに色づけされたそれは、最近学院内の掲示板でも見たことのあるものだった。
「創立魔道祭のチラシ……?」
「そこに書いてある魔術対抗戦の優勝賞品を見てください」
創立魔道祭は学院の創立を記念して行われる祝祭だ。『全知の公文書』には関係ないと思い調べていなかった。
魔術対抗戦についてはチラシの裏側に大々的に書かれていた。ルールや参加条件などが事細かく記され、賞品欄には賞金から魔道具や魔術関連の素材などがリストアップされている。
その中に――あった。
「『創世の議事録』の閲覧権だと?」
一般の魔術師たちにはなんのことだかわからないだろうが、『全知の公文書』を狙う連中にとっては価値がある。もしこの場でオズウェルから『創世の議事録』について聞かされていなくても、恭弥たちは独自に調べて大会に参加することとなっただろう。
「本来は学年別で魔術の練度を品評する大会でしたが、今年はチームによる魔術戦が採用されています。それもバトルロイアル。ワイアット派が一斉に全知書を狙う者たちを潰しに来るでしょう。ですが、そこを勝ち抜けば――ワイアットは形式上、一度は『創世の議事録』を優勝者に公開しなければなりません」
向こうが大人しく閲覧させてくれるわけがない。奪うならその時だろう。
「罠……だが」
(先へ進むには、敢えて釣られるべきなのでしょうね)
現状、方法はそれしかなさそうだ。罠だとわかっている分には対策を立て易い。無論、敵もそれを承知の上で襲ってくるだろう。ファリス以外のワイアット派を洗い出しておく必要がありそうだ。
問題は……オズウェル・メイザースの口車に乗るか乗らないか、だ。
「わかった――とは言わない。俺はまだあんたを信用していないからな。この件は持ち帰って後日返答する」
「ええ、それで構いません」
オズウェルは穏やかな微笑を浮かべて頷いた。
「エルナ、甲賀、引き上げるぞ」
もう帰ってもいいだろうと判断して恭弥が席を立った時、オズウェルが思い出したように口を開いた。
「そういえば、探偵部はファーレンホルスト家のご令嬢が設立したと聞いています」
「それがどうした?」
恭弥はオズウェルに背を向けたまま首だけ捻って視線をやる。今この場でレティシアの名前が出てくる意味がわからない。
「君たちは、なぜ秘匿されていた全知書の存在が世界に流布されてしまったのかまでは調べていないのですか?」
オズウェルは意外そうに目を見開くと、教師が生徒に教えるような口調でその真実を告げた。
「情報を流したのは、この学院で教師をしていたファーレンホルスト夫妻ですよ」




