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アカシック・アーカイブ  作者: 夙多史
全知の公文書編―Preparation
62/159

FILE-60 理事長(イプシンマス)

 イギリスはロンドン――喫茶店『Ripples』。


 時間帯のせいか客がほとんどいない店内で、その青年は優雅にコーヒーを飲みつつ、一冊の古びた分厚い書物を読み耽っていた。

 長身で線の細い体に、窓から差し込む夕陽を浴びて煌くクリームブロンドの長髪。肌は白磁のごとく真っ白で、中性的な顔立ちは女性と言っても疑われることはないだろう。エメラルド色の瞳が物静かに文字を追い、ページを捲る仕草一つ一つが美術品として飾れそうなほど絵になっていた。

 喫茶店のウェイトレスが仕事も忘れて魅入ってしまっているほどだ。


 チリン、と店の扉に取りつけられたベルが透き通った音を奏でる。

 それは新しい客の来店を告げる音だったが、読書に集中している青年は気づく様子もない。あるいは気づいているかもしれないが、微塵も興味を持っていないのだろう。


「相席、構わないか?」


 たった今来店した客にそう問いかけられるまでは。


 青年は読書をやめて顔を上げる。エメラルドの瞳に映る人物は、トレンチコートと帽子が暑苦しそうな初老の男だった。

 無駄なく鍛え上げられた体躯に狩人のように鋭い眼光。右手には丸めた夕刊を握り、左手で無精髭の目立つ顎を擦っている。


 視線だけ動かして店内を見回すと、空席はいくらでもあった。

 つまり、初老の男は青年に用があるということだ。


「どうぞ。とはいえ、許可など求めていないのでしょう?」

「当然だ。嫌だと言っても相席させてもらうがな」


 丁寧な口調の青年に対し、男はガサツな口調でそう言うと無遠慮に椅子を引いて腰かけた。

 すぐにハッとした様子でウェイトレスが注文を伺いにやってくる。男はコーヒーとフライドチキンを注文し、再び読書の世界へと戻っていた青年を睨む。


「んで? お前、こんなところでなにやってやがる?」

「読書ですが?」

「馬鹿を言え。そりゃどう見たって魔導書だろうが」


 青年が読んでいる本は英語でもフランス語でもドイツ語でも日本語でもない、どこの国の文字とも言えない記号の羅列だった。


 そう、青年は正確には一般的な意味での『読書』などしていない。


「ウェールズの方で新しい遺跡が見つかったことは知っていますか? そこから魔術的な暗号で書かれた古文書が出土したと聞いたので、それを受け取ってきました。ただ『ゲート』が開くまで暇でしたので、ここで先に読んでみることにした次第です」


 誰にも読めない文字の意味を見出し、理解し、解き明かす。

 青年が行っていることは『解読』だった。


「私は答えましたので、次はあなたが答えてください。こんなところまで来て私になんの用ですか、ロルク・ヴァナディース」


 優し気なようでいて、あまり感情の籠っていない口調で青年は問い質す。

 ロルク・ヴァナディース――北欧魔術を極めた魔導師の男は、フルネームで呼び捨てにされたことなど気にする様子もなく煙草を取り出して咥えた。


「いや、ちょっと仕事でな」

「BMAのですか? エージェントでもないのに大変ですね」

「それなんだ。もう俺は引退してるっつうのに人使いが荒いのなんの」


 ライターで煙草に火がついたところで青年は解読していた魔導書をカバンの中に仕舞った。大切な魔導書に煙草の臭いがつくことは青年の中で大問題だったからだ。


 ロルクは愚痴を言うために来たわけではないだろう。

 ウェイトレスがフライドチキンとコーヒーを持ってくる。ロルクはフライドチキンを豪快に貪ると、行儀の悪いことに咀嚼しながら口を開いた。


「それはさておき本題だ。どうも、お前の庭でずいぶんいろいろと騒ぎになってるそうじゃねえか?」

「さて、なんのことでしょう?」

「惚けるな、オズウェル・メイザース。総合魔術学院(GMA)理事長イプシンマスの一人であるお前が把握してねえわけがねえ」


 オズウェルと呼ばれた青年は柳眉を僅かに顰めた。


「やめていただけませんか? 私は今、魔導書研究の第一人者――魔導師『メイザース』としてこちらの世界に来ているのですから」


 否定はしない。ロルクとは元より知己の仲である。


「今、俺の弟子ガキどもが学院に入っててな」

「やめる気はないようですね。まあ、構いませんが」


 オズウェルは諦めたように息を吐き、コーヒーで喉を潤す。そんな彼の諦念など気にも留めずにロルクが続ける。


「『全知の公文書アカシック・アーカイブ』――聞いたことはあるよな?」

「もちろん」

「ぶっちゃけるとそいつを探している」

「ほう、それで?」


 BMAの機密だろうと思われることを本当にぶっちゃけるロルクに、オズウェルは静かに目を細めた。


「今まで多くの組織が学院に調査に赴き、全て連絡が途絶えている。その件についてお前が一枚噛んでるっつう話なら――」

「話なら?」


「悪いが、ここでしばらく足止めだ」


 ロルクはチキンを貪る手を止めて、オズウェルに人差し指を差した。


 ガンド魔術。

 北欧の魔術を極めているロルクが使えても不思議はないが、彼の専門はそこではない。ヴァナディース――北欧の豊穣神を冠する彼の秘術はまた別だ。


「なるほど、だから同じ魔導師であるあなたが派遣されたわけですか」


 脅しではないと悟ってもなお、オズウェルは余裕を崩さない。こちらもまた魔導師。専門内だが専門外の術式程度で屈するほど貧弱ではない。


「生憎と私は関わっていない……とまでは言いませんが、少なくとも『全知書』の発見には賛成派です。あなたの弟子が見つけてくれることを祈りたいくらいには」


 学院上層部では『全知の公文書アカシック・アーカイブ』を縮めて『全知書』と称している。魔導書研究者であり、魔導書作家でもあるオズウェルにとっては一目どころか隅々まで調べ尽してみたい一品だった。

 ロルクは舌打ちし、面倒臭そうな顔をして指を下した。


「じゃあ、他の奴の仕業ってことか?」

理事長イプシンマスは私を含めて三名おりまして、その内の一人が『全知書』を秘匿し、誰の手にも触れされてはならないという考えを抱いています。彼は学院の創始者たちの意思を強く受け継いでいるようです」

「誰だ、そいつは?」


 その問いにはオズウェルも沈黙した。

 一応仕事仲間である彼の名を言うべきか言うまいか。

 逡巡は数秒。

 可能ならば『全知書』を求めたいオズウェル。そのための邪魔な存在をリークするのに、躊躇いなど必要あるまい。


「ワイアット・カーラ――かつてバチカンの国際祓魔協会にて聖王騎士パラディンの座についていた男です」


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