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アカシック・アーカイブ  作者: 夙多史
全知の公文書編―Admission
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FILE-44 精神のリミッター

 黒羽恭弥の様子が変わったことに幽崎は気づいていた。


「なんだぁ? ブチ切れましたってか? あの女はてめぇの彼女かなんかか? 怒ったのならもっと狂い叫べ! 悲しいなら泣き喚け! そんな無表情じゃあ見てるこっちがつまんねぇだろうがよぉ!」


 人間という生き物は感情があって然るべきだ。そうでなければ人形と変わらない。

 怒り、悲しみ、憎しみ、絶望。そういった負の感情を見ることは幽崎にとって最高の娯楽だった。それに負の感情は悪魔の大好物だ。その価値は魂よりは劣るが、術式に組み込めば召喚ための餌に使える。

 だからこそ幽崎は相手を挑発し、怒らせ、捻じ伏せ、絶望させる。


「どうしたぁ? 黙ってねぇでなんか言ってみろや! てめぇの彼女が死にそうになってんだ。俺に文句の一つや二つくらいあんだろぉ? 我慢は体に毒だぜ。受け止めてやるからぶちまけろ! それともビビっちまってるだけかぁ? ヒャハハッ!」


 楽しんで集めた負の感情が次の召喚へと繋がる一石二鳥。悪魔崇拝を主とする〈血染めの十字架ブラッディクロス〉の中でも幽崎は突出して狂っていた。誰も手綱を握れない狂犬だった。

 だが――


「お前の話をいちいち聞くつもりはない」


 黒羽恭弥は、幽崎の挑発になどこれっぽっちも揺さ振られなかった。


「早急に蹴りをつける」

「やってみろよ」


 黒羽恭弥の前にボロボロに打ち倒されたグラツィアーノが放り込まれた。致命傷だけは回避したようだが、これで厄介な数秘術の援護もなくなった。


「……すまない」


 なんとかそれだけ声を絞り出したグラツィアーノだったが、黒羽恭弥の表情は変わらない。


 ――あの野郎、さてはガンドで感情を消したな。


 自分から人形に成り下がったとは滑稽だが、どうやら本気で幽崎を殺しにかかってくる意思だけは理解できた。


「つまんねぇ人形は廃棄処分しねぇとなぁ!」


 グラツィアーノを薙ぎ飛ばした死神が二本の大鎌を構えて黒羽恭弥へと突撃する。アレは幽崎が契約している上級悪魔の一個体だ。適当に召喚されるような雑魚悪魔とは格が違う。倒すには並の祓魔師エクソシストが最低五十人は必要だろう。

 単独でどうにかできる相手ではない。

 なのに――


 黒羽恭弥が指を差した瞬間、その上級悪魔はまるで内側から爆発するように跡形もなく消し飛んでしまった。


「あ?」


 奴はなにをした?

 ただの〈フィンの一撃〉ではなかった。人差し指を差すことで相手の体調を崩す〈ガンド撃ち〉――その究極である〈フィンの一撃〉は物理的破壊力を撃ち込む。それが聖堂の天井を吹き飛ばすほどの衝撃波だということは幽崎も見て知っていた。

 しかし、今のは衝撃波なんて出ていない。本当にただ指を差しただけで上級悪魔が破裂したように見えた。

 正体はわからないが――


「一気に叩き潰せば問題ねぇよなぁ!」


 幽崎の足元に広がる魔法陣から次々と異形の悪魔たちが這い出てくる。幽崎の血とこの場に満ちた負の感情を、それから魔法陣に踏み込んでいる召喚者以外の人間を餌に喚び出した下級から中級の悪魔たちである。

 黒羽恭弥も巻き込んだが、奴は自分の足元に〈フィンの一撃〉を放って生贄を回避した。どうやら視えるらしい、魂を引きずり込もうとする『手』が。

 同じように巻き込んだグラツィアーノが地面に沈んでいくのを引き上げ、陣の外まで乱暴に放り投げる。


 おかげで人間の生贄は失敗した。

 だが、召喚自体はできている。這い出てきた悪魔たちが幽崎の周囲に並び立つ様はまるで百鬼夜行のようだった。

 実際の数にして、ざっと三十体。


 それらが、一瞬で次々と風船のように破裂して消し飛んだ。


「――ッ!?」


 ゴポァッ! と幽崎も吐血する。体内をぐちゃぐちゃに掻き回されたような、激痛とも言い難い凄まじい感覚が全身に迸る。


「……マジ?」


 危うく膝をつきそうになる。とはいえ、常人ならば意識どころか命まで失っていただろう。少々特殊な身体をしている幽崎だからこそ堪えられたのだ。

 黒羽恭弥は涼しい無表情で指を構えている。

 ニヤリ、と幽崎は口の端を吊り上げた。


「なぁ~るほど、なんてこたぁねぇ。これも〈フィンの一撃〉……いや、これ〈フィンの一撃〉ってことか」


 自ら術を受けたことで看破できた。


「最初から衝撃として飛ばすんじゃなく、〈ガンド撃ち〉で呪いを撃ち込んでから中から・・・弾けさせる。ヒャハッ、やべぇ術使うじゃあねぇかよ。普通なら必殺だぜ」


 今まで〈フィンの一撃〉だと思っていたものが可愛く感じるくらい凶悪な術式だ。確かにこれは幽崎みたいな感性になるか、人形にでもならなければ使うのは無理である。


「……」


 恭弥が再び幽崎に人差し指を向ける。幽崎はその場で足踏みし、アスファルトを砕いて引っ繰り返して壁を作った。

〈ガンド撃ち〉は相手を指差すことで撃ち込むラインを引く必要がある。つまり、普通の鉛弾と同じように間に障害物があれば防ぐことは可能だ。


「にしてもよぉ、てめぇ、疲れてんじゃあなかったのかぁ? どこにそんな力を隠してやがったんだぁ? 勿体ぶらず最初から使ってりゃあ彼女も死ぬこたぁなかったのによぉ!」


 まだ死んでいないが、幽崎は挑発のために敢えてそう言った。


「……」

「チッ、だんまりか。これだから人形は……」


 言いかけて気づく。


 ――そうか。感情を消したってこたぁ、あの野郎……精神のリミッターを外したってことじゃねぇか。


 命を削って魔力を捻出したところでストッパーは働かない。どれだけ術の威力を上げて身体に負担がかかろうとも止まらない。

 普通、そんな状態だと力尽きるまで周囲のなにもかもを破壊し続けるだろうが――


「精神制御……上手いことやってやがるな」


 ガンドで精神のリミッターを解除し、尚且つガンドで暴走を抑制している。


「化け物か、てめぇ」


 自分のことを棚に上げても、幽崎はそう言わずにはいられなかった。


「黒羽恭弥、そこまで魔術を極めてんのに聞かねぇ名だが……いや待てよ。そうかそうか、そういうことかぁ! てめぇがあの『魔導師』の――」


 と、幽崎が隠れていたアスファルトの壁が吹き飛ばされる。衝撃版の〈フィンの一撃〉だ。


「いやいや凄ぇ凄ぇ、流石に俺もこのままじゃ危ねぇなぁ! ヒャハハハッ!」


 瓦礫と一緒に吹っ飛びながら幽崎は嗤う。

 危ないと言いつつ、自分が負けることなど欠片も思っていない。


 黒羽恭弥の後ろに、前以て召喚していた二体目の上級悪魔を見たからだ。


 区画内に散らばっている学院警察や他の特待生ジェレーターを片づけて戻ってきたのだろう。

 奴はまだ気づいていない。幽崎を確実に仕留めるために意識をこちらに集中している。


(さあ、ぶっ殺せ。そいつの魂はてめぇが喰っていいぞ!)


 念じて命じる。

 が――


 二体目の上級悪魔は、なにもすることなく紫色の霧となって消滅した。


「おやおや、意外と呆気なかったですね。先日の下級悪魔より手応えはありましたけれど」


 霧散する悪魔の向こうから片眼鏡をかけた執事服の青年が歩いてきた。アレク・ディオール。『ルーンの錬金術師』フレリア・ルイ・コンスタンの従者だ。

 素手で上級悪魔を叩き潰したと思われる執事には目もくれず、黒羽恭弥の指先が幽崎を捉えた。


「消えろ」

「ヒャハッ、てめぇ、喋れたなら返事とかしてくれよぉ。寂しいだろぉ?」


 幽崎は最後まで笑みを消さないまま、衝撃波に呑まれて夜闇の彼方へと消えていった。


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