FILE-39 五行のくノ一
意味がわからなかった。
彼女は操られていたわけではなかったのか?
「恭弥!」
「黒羽くん!」
「大将!」
「来るな! まだ終わっていない!」
レティシアたちが駆け寄ろうとするのを恭弥は叫んで止めた。目の前に立つ少女は、真っ直ぐに恭弥だけを見詰めていた。焦点が合っている。己の意志を感じる。瞳は赤いが、先程までのように血走ってはいない。
彼女は正気だ。
「お前、辻斬りか?」
「どうやら、そのように呼ばれてしまっているでござるな」
質問に答える彼女には余裕が見える。自分の力に対する絶対的な自信があるわけではなく、強者と認めた者と戦う喜びがそうさせている。
幽崎が黒幕だったわけではないのか?
幽崎を狙って返り討ちにされただけだったのか?
真相は考えてもわからない。直接聞き出せばいい。
「なぜ人を襲う? 目的を言え」
「それは、拙者に勝てたならばお教えするでござるよ!」
威勢よく叫んだ途端、少女は筒状のなにかを地面に叩きつけた。それは爆竹のような音を立てて爆ぜると、大量の煙を噴き上げて視界を覆った。
――煙幕っ!?
恭弥は口元を手で塞いで周囲を警戒する。片手で大剣のオーラを握り直すようにし、体を大きく捻って回転。剣風で煙幕を吹き飛ばす。
「甲賀流忍術奥義――〈八方分身ノ術〉」
煙が晴れると、恭弥は八人に増えた少女に取り囲まれていた。残像でも幻術でもない。正真正銘の分身だ。本体はあるだろうが、見分けはつかない。日本刀も回収されている。
操られていた時にこのような術は使わなかった。いや、使えなかった、が正しいのだろう。
《――参る!》
八人の少女が一斉に地面を蹴って跳びかかってきた。八方からの斬撃がオーラの鎧を休みなく打ち続ける。霊体は斬れなくとも、縫い止められては恭弥も反撃できない。
「甲賀流五行忍術――〈溢水ノ陣〉」
少女の一人が印を結び、恭弥の正面から水流を放出した。他の七人が避けるために同時に飛びのく。
津波のごとく迫り来る水流を――恭弥は大剣のオーラで斬り裂いた。
「これがそうか」
噂に聞いていた忍術――それも五行思想を取り入れた独自の術式だ。
五行思想とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想である。万物は木・火・土・金・水の五種類の元素から成り、元素は『互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する』という考えだ。
それをこれほどのレベルで扱えるとなると……なるほど、ただの特待生や学院警察では敵わないわけである。
「やるでござるな」
少女の一人が嬉しそうに呟く。術を使ったということは、アレが本体だろうか?
そう思ったが、違う。今度は左右から火炎や雷撃が飛んできた。八人の分身それぞれが術を使えるようだ。日本刀の斬撃が通じないと見て魔術戦に切り替えたらしい。
火炎も雷撃も大剣のオーラで弾き、恭弥はできるだけ多くの分身を巻き込むように〈フィンの一撃〉を放つ。しかし一番近くにいた一人を捉えただけで、他はその俊敏さでかわされてしまった。
残り七人。
本体は一人。
彼女が正気であるならば、危険だが見分ける手はある。
《甲賀流五行忍術――〈剣山地獄〉》
七人全員が印を結んだ。刹那、恭弥の足元の地面が爆発し、無数の刀剣が突き上げてきた。
「チッ」
恭弥は高く飛んで突き上げる剣山を回避する。
《無駄でござる!》
七人が別の印を結ぶと、剣山の一本一本に水の粒が発生し始めた。
《金生水。金属の表面には凝結により水が生じる、でござる》
「――ッ!?」
恭弥は瞠目した。術式を次の術式に繋げる。五行思想の〈相生〉――順送りに相手を生み出して行く関係を利用した連撃だ。
《甲賀流五行忍術・陽ノ連義――〈金生・水弾幕ノ術〉》
剣山の正面にこびりついた水滴が銃弾となって射出される。空中にいる恭弥は〈フィンの一撃〉を放ち、その反動で水の弾幕をかわしたが――
《無駄と申したでござろう》
撃ち上げられた水弾が今度は倍の速度で降りかかってきたのだ。アスファルトを貫通する水弾の豪雨は騎士のオーラをも削っていく。
大剣で頭こそ守ったが、騎士のオーラは既に消えかけだった。これ以上〈湖の騎士〉と精魂融合していては守護霊自体が消滅してしまいかねない。
恭弥は融合を解除した。
《鎧を脱いだでござるな?》
恭弥から可視化したオーラが消えたと見るや、七人の少女が再び日本刀を構えて取り囲みに動いた。ここから別の守護霊と融合する時間は与えられないだろう。
だが、恭弥はもう融合するつもりはなかった。
「悪いな」
口の端を僅かに吊り上げる。囲んでくれたのは好都合だった。
「少し、入らせてもらう」
《?》
七人が意味を理解せず首を傾げた直後、恭弥の体は糸が切れたように崩れ落ちた。
「ど、どうしたでござるか!? まだ倒れるほど拙者は戦って――」
いきなり倒れた恭弥に困惑した声を上げたのが本体だったのだろう。唐突に彼女は瞳から光を失い、分身たちが一斉に消え失せた。
ガンドの本質は精神への干渉だ。相手が正気で、操られているのでなければ、寧ろ戦い易くなる。
そして思った通り、分身には精神がなかった。正確に言うならば、分身の精神は本体へとリンクしていた。分身の一体に憑依した恭弥は、そのリンクを辿って本体を割り出し、そちらに再憑依したのだ。
日本刀を放り捨てさせ、倒れた恭弥の体の近くまでゆらりと歩いていく。
「はっ! 拙者は一体……ッ!?」
恭弥が憑依を解き、少女が正気を取り戻した頃には既にチェックメイトだった。
ほぼゼロ距離で人差し指を差す。彼女の反射神経がいくら怪物級でも、正気づいたばかりでは〈フィンの一撃〉を避けることは不可能だ。
「しまっ――」
指先から射出された強烈な衝撃波が少女の体を呑み込んだ。後方にあった建物の壁を貫き、その向こう側まで吹っ飛ばす。
恭弥はすぐに後を追った。
「わ、我々も追うぞ!」
戦いに見入っていたルノワがハッとしたように言うと、全員が恭弥の後に続いて建物を挟んだ反対側の道路へと出た。
辻斬り犯の少女は、道路の中心で大の字になって倒れていた。顔を隠していたマフラーは衝撃でどこかに飛んでいったのだろう、今は素顔が丸見えである。
「……あの者といいお主といい、感知できぬ攻撃は卑怯でござるよぅ」
意識は失っていなかった少女は、唇を引き結んでとても悔しそうな顔をしていた。霊感はないのだろう。だから霊体の悪魔にも憑依されてしまったのだ。
「でも、負けは負けでござる」
悔しさと、なぜか嬉しさが半分混ざったような笑顔を少女は恭弥に向けた。
「辻斬り犯で間違いないのだな?」
ルノワが駆け寄ってきて少女を起こすと、彼女は素直に頷いた。
「傷害・殺人の罪で逮捕だ」
ガシャリと手錠が嵌められる。手錠には魔術の文字が刻まれており、恐らく嵌められている間は魔術を封印されるのだろう。
「どんな理由かはこれから尋問いてやるが、人を殺し過ぎたな。学院に退学以上の罰はないが、この件は間違いなく外にまで響くぞ」
「え?」
ルノワの言葉に、少女はどういうわけかきょとんと呆けた顔をした。意味がわからない。そう言いたげに身を捻って暴れる。
「ちょ、ちょっと待ってほしいでござる!?」
「なによ? あんたさっき認めたでしょ? 今さらシラを切るつもり?」
「違うでござる!? 確かに大勢の者に勝負を挑んだことは認めるでござるが」
呆れ顔のレティシアに、少女は焦ったように叫ぶ。
「拙者、人を殺めてはおらぬでござるよ!?」
「「「「へ?」」」」
少女の言葉に、レティシア・白愛・土御門・ルノワの四人が呆然とした声を漏らした。恭弥とグラツィアーノだけがその答えを予測していた。
「嘘つくんじゃないわよ! それじゃあ本当の辻斬りは別にいるってことになるじゃない!?」
レティシアが混乱した様子で言った次の瞬間――
「辻斬り? そりゃあ、もしかしてこういう奴のことじゃねえかぁ?」
どこからともなく声が聞こえ、道路の奥から複数のなにかが飛んできた。
それは体のあちこちに斬り傷を作り、血塗れになって息絶えている学院警察の生徒たちだった。
彼らを投げ寄越した存在が音もなく姿を現す。三メートルほどもある巨体。紫色の襤褸切れのようなローブを纏った、浮遊する骸骨。
血に染まった巨大な鎌を二本も携えた怪物は――まるで死神のように見えた。
その肩に乗った一人の少年が、狂気的な笑みを浮かべて恭弥たちを嘲るように見下す。
「ここからが、本当の悪夢ってやつの始まりだ♪」
※おまけ
「……お嬢様、なにをなされているのです?」
「あ、アレク、実はラーメンの屋台を見つけたんですよー」
「見ればわかります。ですが、ここは元の場所から三区画ほど離れて――」
「日本にはこういう屋台がいっぱいあるんですかねー。いつか行ってみたいですーじゅるるるぅ」
「……帰りますよ。それと明日の朝食は抜きです」
「ええっ!?」




