FILE-156 理事棟襲撃
総合魔術学院総括区――ワイアット・カーラの理事棟。
最上階の執務室にある椅子に座っていたワイアットは、モニターを眺めながら苦い表情をしていた。
「……ファリスも失敗したか」
不甲斐ない娘だと頭を抱えたくなる。普段であれば罰の一つでも課すところだが、今は彼女たちだけを咎められる状況ではない。
ワイアットが非公式に捕えていた者たちによる脱獄。
事が発生したのは昨夜だ。判明しているだけでも〈ルア・ノーバ〉や〈蘯漾〉や〈燃える蜥蜴座〉といった裏組織の者たち、それから今回の件とは関係なく捕えていた厄介な囚人も何人か逃げ出している。
ファリスたちが探偵部に敗れたことなど、もはや問題にならないほどの大失態である。
無論、そうならないように手は打っていた。主力を欠いた組織など簡単に潰せるはずだった。それでも甘く見積もることはせず、過剰とも言える戦力を差し向けた。それすら壊滅させるほどの手練れが探偵部に残っていたことだけが誤算だったのだ。
せめて生徒会や学院警察も動かすべきだったと後悔する。が、彼らは別にワイアット直属の組織というわけではない。あくまで中立であり、創立魔導祭の運営と治安維持が主な仕事だ。〈ルア・ノーバ〉や〈蘯漾〉の隠れ家ならまだしも、探偵部の襲撃には加担しなかっただろう。
「探偵部から悪魔の王という脅威を排除してくれたことは、大きな功績か」
モニターが切り替わり、司会者が興奮冷めやらぬ様子で大会の感想を熱く語り始めた。このまま探偵部を『施設』へと転送することは簡単だが、流石に優勝チームを行方不明にするわけにはいかない。
規約通りに表彰式を行い、賞品も授与しなければ確実に炎上してしまうだろう。そうなればワイアットも理事長から失脚することになる。
「仕方あるまい」
餌として賞品に混ぜていた『創世の議事録』は三冊揃わなければ意味がない。ワイアットが所有するものだけを閲覧したところで全知書には辿りつけないようになっている。
だからと言って、馬鹿正直に閲覧させるほどワイアットは愚かではない。慎重を期して偽物を用意してある。万が一ファリスたちが敗れた場合、賞品にはそれを渡す手筈だ。
コンコンコン!
と、なにやら慌ただしいノック音が扉の向こうから響いた。
「入れ」
命じると、一人の私兵が息を乱して部屋に飛び込んできた。
「どうした? なにを慌てているのかね?」
問うと、白い改造制服を纏っている少年はがばっと顔を上げた。
「し、侵入者です! 人数は不明! 警備が次々と薙ぎ倒されております!」
「……ふむ」
この理事棟が襲撃を受けている。
そう聞いてもワイアットは微塵も動揺しなかった。脱獄が判明した段階でこうなることは予測済みだったからだ。
「感知術式にそのような反応はないようだが? 警報もなっていない。どういうことだね?」
「わ、わかりません! 全て無効化されております!」
「……この棟のセキュリティを掻い潜れるとは、相当な手練れのようだ」
敵は〈ルア・ノーバ〉か〈蘯漾〉か、それとも脱獄犯たちがまとめて襲撃してきたか。なんにせよ狙いはワイアットへの報復と『創世の議事録』だろう。
「構わん、私が直接片をつける。ここまで通してやるといい」
「いえ、それが、敵は地下へと向かっているようです!」
「地下だと? まさか……」
ワイアットはそこで初めて表情を険しくした。敵が地下へと向かっているということは、そこに『創世の議事録』の本物があると知っているのだ。
一体どこで情報が漏れたのか。そのことはファリスたちにすら教えていない秘匿中の秘匿だったはずだ。
「警備は全て下がらせろ! 襲撃犯は私が処理する! いいか、それまで何人たりとも地下へ通すな!」
「はっ!」
ワイアットは敬礼する私兵の脇を早足で通り過ぎる。
だがそこで、ふと立ち止まって振り返った。
「君は――」
「はい?」
「……いや、なんでもない」
私兵の少年に見覚えがないような気もしたが、そもそも末端の顔などワイアットは覚えていない。今は所属を問うている場合でもなかった。
急いで地下へと向かうワイアット。
その背中を見詰めながら、私兵の少年は長い長い溜息をついていた。
☆★☆
――妙だ。
エレベーターで行ける最下層まで下りたワイアットは、そこからさらに地下へと続く階段を下りながら違和感を覚えた。
私兵たちは通路の端々で倒れているが――綺麗すぎる。
脱獄犯が攻めてきたのであれば、もっと戦闘の痕が残っていてもおかしくない。倒れている私兵たちもただ気絶させられているだけ。まるで暗殺者が全て不意打ちで倒していったような不気味さがあった。
やがて警備兵すら遠ざけていた階層へと到達する。扉にはワイアットの術式で何重にも鍵をかけていたが、それすらも突破されているようだ。
本当に只者ではない。
〈ルア・ノーバ〉や〈蘯漾〉を纏めていた九十九や王虞淵だろうと、ここまでスムーズに事を運べないだろう。
――敵は、何者だ?
正体不明の気持ち悪さにワイアットは警戒しつつ、最奥の部屋に足を踏み入れる。
巨大な金庫がそこにあった。
金庫の扉は閉まっていたが、厳重に施していた封印はやはり解かれている。
敵も見当たらない。
「……遅かったか」
既に奪われた後だとすれば非常にまずい。ワイアットは金庫の暗証番号を入力して扉を開け、いくつもある引き出しの一つを開放する。
本は、あった。
偽物と入れ替わっていることも疑ったが、そうではなさそうだ。
――どういうことだ?
「ワイアット理事長、これは何事ですか?」
背後から声が聞こえ、ワイアットは弾かれたように振り返った。
そこには一人の男子生徒が立っていた。毛先に向かうに連れて白みがかった紅色の長髪を後ろで纏め、黒灰の瞳に人のよさそうな光を宿している。肩には子犬とも子猫ともつかない可愛らしい動物を乗せており、腕には見覚えのある腕章を嵌めていた。
「ユーイン・シャムロック――生徒会長がなぜここにいるのかね?」
生徒会長。
学院に二人しかいない第七階生の第一位。つまり全生徒のトップである彼は、今頃は魔術対抗戦の表彰式の準備を行っているはずだ。ワイアットの理事棟に来る理由はない。
「魔術対抗戦の賞品についてご確認したいことがありまして」
「後にしろ。私は今忙しい。そもそも、地下へは誰も通すなと警備に命じていたはずだが」
「ああ、彼のことですか」
と、生徒会長――ユーインの後ろから先程報告に来た少年が姿を現した。彼はまとめていた黒髪をくしゃくしゃと乱し、ベレー帽を被って腕に腕章を嵌めた。
『庶務長』と書かれた腕章を。
「会長、あんまり無茶しないでくださいよ。俺、バレるんじゃないかってめちゃくちゃヒヤヒヤしたんですよ?」
「貴様は、藤原廻真か」
第四階生の第一位。第二位であるロロ・メルが何度挑戦しても勝つことができなかった天才児だ。
生徒会役員が、二人。
――では、この襲撃は。
身構えようとしたワイアットだったが、足下に四本の剣を生やしたリング状の武器が突き刺さり、続いて首を巨大なハサミで挟まれる。
「ワイアット理事長、動かないでほしいであります」
「はぁ、今回の経費はちゃんと請求できるのよね?」
ワイアットは二人の少女によって身動きを封じられていた。剣輪を投擲したのは、青い髪をリボンでポニーテールに結った『書記長』の腕章を嵌めた少女。巨大バサミを握っているのは、桜色の髪を後ろで三つ編みにした『会計長』の腕章を嵌めた少女。
「レオノール・ジスカールに、ヴェルトルーデ・アーベントロート……」
接近に気づけなかった。レオノールは第五階生の第二位。ヴェルトルーデは第一位。理事長であるワイアットが第五階生ごときに不覚を取るなど、本来あってはならないことだ。
「こんなの回りくどいわぁ。私たちすら騙そうとしていた悪い理事長さんにはしっかり罰を与えないと」
妖艶な声が響く。
直後、足下から影が実体化したような黒い茨が生え、ワイアットを雁字搦めにして吊るし上げた。茨は防護の術式を施しているはずの服すら貫き、ワイアットの体を傷つけ締め上げる。
「ぐっ」
流石に苦悶の表情を浮かべた。
「うふふ、理事長さんはどんな悲鳴を上げるのかしら?」
床につきそうなほど長い黒髪をした長身の少女が生徒会長の隣に立った。『副会長』の腕章をした彼女は、狂気的にうっとりとした目で吊るし上げたワイアットを眺めている。
「まったく、君は少々過激だから待機しているように言っていただろう?」
「だってぇ、それじゃあつまらないでしょう?」
やれやれと肩を竦めるユーインに副会長――第七階生の第二位である彼女は反省した様子もなくクスクスと可笑しそうに笑う。
「メーデイア・リー・セフェリス。なるほど、この襲撃は貴様ら生徒会役員の仕業だったか」
生徒会役員が勢揃いしているのだから、もはや疑いようはない。それにユーイン・シャムロックの能力であればワイアットの封印を解かれていたことも頷ける。ただ科学的なパスワードまではどうしようもなく、ワイアット自身に解除させるため誘導したのだろう。
問題は、なんのために?
彼らがワイアットを襲撃する意味などないはずだ。
「我々生徒会は創立魔導祭を公平に運営しなければいけません。ワイアット理事長、いくらあなたが最高責任者だろうと、不正を行うのを見逃してはならないのです」
「不正だと?」
ワイアットは眉を顰める。
「ええ、『創世の議事録』――僕たちが賞品として預かっていたものは偽物ですよね?」
「なぜそれを……まさか!」
偽物を看破できる人物など限られている。だとすれば、なにが公平だ。
「魔術対抗戦でもいくつか不正をしていたようですし、これは公表させていただきます」
「ふざけるな! 魔術対抗戦については貴様らも承知の上だっただろう!」
「犯罪組織だけなら、そうですね」
探偵部は違うとでも言うつもりだろうか。奴らは幽崎・F・クリストファーをチームに入れていた。その時点で擁護などできまい。
つまり、生徒会には裏の意図がある。
それが全知書に繋がる脅威となり得るのであれば――
「来るがいい! 祓魔聖具――〈銀の腕〉!」
ワイアットは宙空に機械の腕を召喚し、絡みついていた茨を強引に引き千切った。
「あらあら、私の〝黒茨〟がこうもあっさり」
副会長が緊張感なく感心する。即座に剣輪と巨大バサミを握って仕掛けてきた書記長と会計長を、ワイアットは機械腕の一振りで大きく吹き飛ばした。
「建て前はいらん。要はこの『創世の議事録』が狙いなのだろう? 奪わせはせんよ」
「いいえ、それは頂戴いたします」
生徒会長――ユーインの手が目の前数センチまで迫っていた。
一瞬だった。奴の動きを目で追うことも気配で感じることもできなかった。
「なっ!? 貴さ――」
顔面を鷲掴みにされる。
瞬間、ワイアットの身体に電流にも似た衝撃が迸った。意識が強制的に閉ざされる中、最後に見たものはユーイン・シャムロックの邪気のない微笑みだった。




