FILE-150 ナーゲルリング
〈ブルートガング〉は中世ドイツの叙事詩『ディートリヒ伝説』に登場する英雄ハイメが持つ剣である。ハイメがディートリヒに挑戦したことで〈ブルートガング〉は折られてしまい、代わりに別の剣を下賜されることとなる。
それが〈ナーゲルリング〉だ。
ディートリヒが小人アルプリスに命じて巨人グリムから奪い取ったその剣は、『すべての剣の中で最も優れたもの』と語られている。
「学院に入ってからロロにこれを抜かせた人間はてめえで二人目です」
劫火に包まれるぬいぐるみが弾け飛んだかと思えば、ロロの両手に直径二メートルはあろう巨大な輪っか状の刃が握られていた。
チャクラム。
剣と呼ぶには疑問に思う投擲武器だが、祓魔聖具は形がどうであれ必ず聖剣や名剣の名がつけられる。それらの名を刻むことにより、名前が持つ意味や伝承の効果を魔術的に付与するためだ。
ロロの〈ナーゲルリング〉も例外ではない。チャクラムだからというシャレも利いていそうだが、とにかく『斬る』ことに特化した祓魔聖具だ。
「今すぐ降参しなきゃ五体満足じゃいられねえですよ?」
一応、最後の警告だ。このまま戦ってしまえば本当にレティシアを殺してしまうかもしれない。そうなったらそうなったでしょうがないとロロは思っているが、念のためである。
「降参なんてしないわよ。あんたのその祓魔聖具ごとぶっ潰してやるわ!」
「そうですか。やれるもんならやってみろです!」
ロロはその華奢で小さな体とは思えない膂力で〈ナーゲルリング〉を投擲する。高速で回転しながら飛来する刃を、レティシアは〈アルカナ武装〉とやらで強化した身体を大きく跳躍させて回避した。
「速いけど、こんなもん? 避けてくださいって言ってるようなもんよ?」
「あぁ? 投げただけで終わりだと本当に思ってんですか?」
「思ってないわ。どうせブーメランみたいに戻ってくるんで――ッ!?」
二つの刃の輪が空中で静止。しかし両方とも高速回転は続けたまま、とんでもないエネルギーが魔術的に輪の中心へと収斂されていく。
「ロロの祓魔術はこっからです!」
輪の中心から光の斬撃が飛び出した。それは砂漠の大地をケーキのように簡単に切り裂き、レティシアの脇を掠めて金髪をハラリと散らした。
「ちょ!?」
大雑把な術式で的が小さいと狙いづらいところは難点だが、一度外しただけでは終わらない。刃の回転エネルギーを魔力に変換し、すぐに次弾をチャージする。
「『THE HERMIT』――『隠者』の逆位置。隠蔽。欺き。理由なき警戒。繋がりを断ち、己を保つためあらゆる柵を拒絶せよ!」
次は命中したかと思ったが、レティシアの方も防御が間に合ってしまった。結界術だろう。レティシアを覆うように出現した不可視の力場は、光の刃を受け止められるほどには強固のようだ。
だが――
「甘ぇんです!」
光の刃が止められたのはほんの一瞬だった。レティシアの結界をあっさりと斬り崩し、再び砂漠に深い傷跡を残す。この術式はチャージ時間という大きな隙がある分、威力は祓魔師チームの中でもトップクラスである。
レティシアは仕留められなかった。結界が割られることは承知だったようで、僅かに防いでいた間に転がり逃げていた。
「チッ、逃げることだけは褒めてやんです」
「あんた本人に近づけば連発できないでしょう!」
ダッシュでロロへと切迫するレティシア。確かに祓魔聖具を手放している今のロロは無防備だ。〈ブルートガング〉は接近戦だったが、〈ナーゲルリング〉は遠距離戦の方が得意なのも認める。
とはいえ、やはり甘い。
「そんな弱点をロロが抱えてるとでも?」
刃の輪を戻す。ロロ本人が狙われることなど想定内。このまま背中から切り裂く。それが避けられたとしても、素早く刃をキャッチして切り込むことだってできる。
「『隠者』の逆位置! 三枚!」
レティシアは走りながら自分の背後に三重の結界を展開した。だが、簡略した詠唱でロロの刃を防げるはずもない。三枚ともあっけなく割ると、レティシアの肩口からそのカードを持つ腕を切り落とす――ことはできなかった。
「あ?」
刃はレティシアの脇をただただ何事もなく通過したのだ。
「なにをしやがったんです?」
「実は『隠者』を一枚、正位置で展開していたのよ。沈黙。静穏。内省。じっと黙って嵐が過ぎるのを待て。攻撃を防げないなら外させたの」
ニヤリとレティシアはドヤっているが、冷や汗は隠しきれていない。恐らくイチかバチかだったのだろう。
「ふん、なんでもいいです。外されようがかわされようが、結局ロロの手で直接てめえを斬れば済む話です!」
刃の輪を両手で掴み、今度は投げずにロロ自身がレティシアへと飛びかかる。
「あたしの今日の運勢はね、そこそこいいみたいなのよ」
「は?」
いきなり、なんだか意味のわからないことを言い出した。ロロは構わず刃の輪を振り上げる。
レティシアがカードの束を勢いよく空中にばら撒いた。
「うぐっ!?」
カードが顔にあたってロロは思わず怯んでしまった。無数のカードはレティシアを中心に円運動をし始める。
――また新しい結界ですか?
ロロはそう思ったが、すぐに違うとわかる。
眼を閉じたレティシアが宙を舞うカードから一枚手に取ったからだ。そのカードを見たレティシアが可笑しそうにクスリと笑う。
「これは面白いわね。あんたにとっては皮肉な結果が出たわ」
「わけわかんないことを! これ以上てめえのお遊びに付き合うつもりはねえです! くたばっちまえです!」
ロロは〈ナーゲルリング〉を投擲する。先程までとは違い、光の刃でリングそのものを巨大化させる。
「『JUSTICE』――『正義』の〈大アルカナ武装〉!」
レティシアが手に取ったカードを控え目な胸に当てた途端、彼女の姿が消えた。
「なっ!?」
投げたリングをすり抜け、一瞬でロロの目の前へと出現する。レティシアの振り上げた拳に、清々しいほど綺麗な魔力が纏う。
やられた、とロロは本能的に悟った。
油断したつもりはなかった。それでも、相手が入学したての一年だと心のどこかで思っていたのかもしれない。同じ第四階生でさえ、ロロが完膚なき敗北を喫したのは一人しかいなかったのだ。
レティシアの拳が、ロロの鳩尾に吸い込まれる。
痛みを感じる暇もなかった。
「悪しきを挫く鉄拳制裁ってね! あーもうこんなのあたしの柄じゃない!?」
急速に閉ざされていく意識の中、最後に顔を真っ赤にしたレティシアがそんなことを言っていたような気がした。




