FILE-146 ベッティーナ・ブロサール
ベッティーナ・ブロサールはドイツの一般家庭で生まれた平凡な少女だった。
両親の愛情をしっかり受けて育った彼女は、周りから見ても幸せに映っただろう。実際にとても幸福を感じていた。不自由なことなどなにもなかった。将来の夢はお花屋さんという可愛らしい夢も見ていた。
感情豊かで明るく優しい彼女は、学校でも常に友達に囲まれるような人気者だった。
あの日、悪魔と出会うまでは。
十歳の頃だった。考古学者だった父がどこかの遺跡から持ち帰った遺物を勝手に触ってしまったのが悪かった。
その遺物は悪魔が封じられていた呪具だったのだ。
うっかり封印を解いてしまった幼いベッティーナに、悪魔は契約を求めてきた。
恵まれていたベッティーナに願いなどなかった。強いて言うならば、父親が家を空けることが多くて寂しいくらいだった。
恐ろしい姿をした悪魔に半ば脅されるような形で、ベッティーナはそのことを願いとして口にしてしまった。
悪魔は願いを最悪の形で叶えた。
父親に呪いをかけ、遺跡発掘中に崩落事故を起こしたのだ。幸いにも生きて帰って来てくれたものの、ほとんど植物状態で今もベッド上での生活を余儀なくされている。
こんなのは望んでいた結果ではない。だが、悪魔は契約の対価としてベッティーナの両手両足を奪って消えた。祓魔師が駆けつけた時にはもう逃げられた後だった。
ベッティーナはその悪魔を滅するために国際祓魔協会へと入った。対悪魔用の武器でもある義手と義足をつけ、それらを自在に動かすために体の一部も機械化した。
豊かだった感情は消えた。
明るく温かかった少女は、機械的で冷たい戦士へと変わった。
――はずだった。
「疑問。理解不能。先方を見ていると苛立ちが込み上げてきます」
水上を蹴ってベッティーナと刃を交える甲賀静流。ジャパニーズ・ニンジャのイメージとはかけ離れた明るい笑みを見る度に、心の奥がもやもやするのだ。
「拙者は楽しさが込み上げてくるでござるよ!」
「憤怒。そういうところです」
甲賀静流は純粋にベッティーナとの戦いを楽しんでいるようだ。戦闘に娯楽を見出す気持ちは理解できないが、そういう人間がいることは知っている。ベッティーナの仲間であるディオン・エルガーもそんな感じだ。
だが、彼を見ても特になにも思わない。
甲賀静流だからこそ、ベッティーナは苛立っている?
不確定要素は断ち切らねばならない。
「抜剣。――聖具〈フラガラッハ〉」
空間に魔法陣を展開し、そこから無数の湾曲剣を出現させる。ファリス・カーラが十字剣を取り出す時と同じ術式だ。
違うのは収納されている剣。敵と設定した相手を自動で追尾し、自動で戦闘を行うベッティーナの祓魔聖具――『回答者』の意を持つ聖剣〈フラガラッハ〉だ。
「抜いたでござるな? ならばこちらもでござる!」
待っていたとでも言わんばかりにニカリと笑う甲賀静流。刀を握ったまま手で印を結んだ彼女の体が、ぶれた。
「甲賀流忍術――〈八方分身ノ術〉!」
術名の通り八人に分かれた甲賀静流は一体一体が〈フラガラッハ〉と応戦し始めた。あの分身が実態を持っていることはベッティーナも既に知っている。攪乱だけで済んでいない以上、わざわざ本体を探し出すような分析はあまり意味を成さない。
「無駄。増えたところで捌き切れはしません」
ベッティーナはまだ学生だが、祓魔師としての力には自信がある。
ワイアット・カーラに召集され、総合魔術学院に入学したのは十四歳の時。当初は特待生の第十一位だった。そこから留年することなく第五階生へと上り詰め、進級試験の結果は七位だった。試験の評価に戦闘技術も含まれていれば、もっと上の順位を取ることだってできただろう。
だが、そんなことはどうでもいい。いい成績を残すことがベッティーナの目的ではないからだ。
磨き上げた力は順位を上げるためではない。悪魔や、それに関わる人間を駆逐するために使わねば意味がない。今、甲賀静流と戦っているように。
「降参。推奨。当方の〈フラガラッハ〉は一本一本が達人級です。前回のような火のエレメントで溶かす作戦は使用させません」
甲賀静流の分身が一体また一体と消滅していく。甲賀静流が大規模な技を使うには分身の数が必須だと考察している。素早く処理してしまえば押し切るのも時間の問題だ。
そのはずだが、おかしい。
「……?」
違和感を覚えた。戦っていない分身が一体いるのだ。いや、あれは本体か? 立ち止まり、どういうわけか両の刀を鞘へと戻して身を低く構えた。
「納刀――〈円天〉」
甲賀静流の本体はその場でくるりと一回転した。すると、目に見えない力場が彼女を中心に広がっていく。
「緊急。回避を優先します」
咄嗟にベッティーナが背後へと飛び退った次の瞬間――
「甲賀流忍術秘奥義――〈斬空・崩月閃ノ術〉!!」
二振りの日本刀が瞬時に抜刀され、力場内にあった〈フラガラッハ〉が全て同時に斬り折られてしまったのだ。
出していた数は二百本。〈蘯漾〉の邸からの戦闘で失った本数を含めると、これで被害は合計八百二十本だ。
ストックは残り三百八十本。下手に戦えば一瞬で持っていかれる数だとベッティーナは学習した。かといって、もはや出し惜しみしているような相手ではない。
「見事。先方にこのような隠し玉があるとは調査不足でした」
「避けられるとはお主もやるでござるな」
してやったりと言わんばかりのドヤ顔が、ベッティーナの苛立ちを余計に募らせる。この妬ましさに近い感情は、ベッティーナが甲賀静流を羨ましく思っているから?
「……理解」
ようやくわかった。
甲賀静流は、昔のベッティーナに重なるのだ。だから見ていると腹立たしくなる。これ以上、彼女の相手をしていると重大なエラーを起こしそうだ。
「対抗。先方を最上級悪魔と仮定し、当方も奥の手の仕様を解禁します」
ベッティーナはそう宣言し、残り全ての〈フラガラッハ〉を魔法陣から取り出した。




