FILE-143 脱獄
フレリアは薄暗い牢獄に囚われていた。
床も壁も天井も冷たい石で造られた狭く殺風景な空間。鉄格子の向こうも同じ牢が並ぶ光景しかない。牢内にあるのは安物の硬いベッドが一つだけであり、フレリアはそこにちょこんと腰かけてぽけーと見えない空を見詰めていた。
いつになく頑張ってしまった。
自分のためではなく、仲間のために。
マイペースの精霊が人の形に顕現したような性格をしているフレリアだが、ここまで自分以外のために意地を見せたことはなかった。人を助けることはあっても今回のように自分が犠牲になるくらい頑張ったのは初めての経験だ。
後悔はしていない。
「仲間、ですかー」
フランスで宮仕えしていた頃は、ほとんど己の錬金工房に籠っていた。たまに周囲の目を盗んでふらっと出かけても他人と深く関わったりはしなかった。
要するに、探偵部のみんなはフレリアに初めてできた『友達』ということだ。
「お友達なら仕方ありませんねー」
ふっとフレリアは柔らかく微笑んだ。黒羽恭弥、レティシア・ファーレンホルスト、土御門清正、九条白愛、甲賀静流……なんか日本人が多い気もするが、今のフレリアには自分と同じくらい大切な人たちだ。幽崎・F・クリストファー? その人はよく知らない。
彼らのために頑張るのは悪い気分じゃな――きゅるるるぅ。
「そんなことよりお腹空きましたぁ……」
泣き喚くお腹を両手で押さえるフレリア。いつになく頑張った? 初めてできたお友達? 空腹の前ではそんな些細な考察など無意味である。
「ここじゃルーンも錬金術も使えませんし、誰かごはん持って来てくれませんかねー」
魔術さえ使えていればこんな牢など一瞬で脱出している。たとえ牢自体に反魔術が施されていようとも強引に突破は可能だった。しかし施設全体にかけられていてはフレリアとてお手上げである。
ルーンが刻めなければアレクを呼ぶこともできない。
なにもできることのないフレリアは、ただただぽけーとする以外になかった。
「んー?」
と、見詰めていた天井の向こうからバタバタと慌ただしい音が聞こえてきた。
「なんだか騒がしいですねー」
フレリアと同じように他の誰かが転送されてきたのだろうか? 特定の参加者だけ帰還先がこの施設になるよう仕組まれており、フレリアの後も二人ほど転送されたようだ。
それが誰かはわからない。自分のチームメイトじゃないことを祈ることしかフレリアにはできないが、彼らならきっと大丈夫だ。
「な、なんだお前らぐはぁああああああああああッ!?」
牢の見張りをしていた看守が鈍い音と共に悲鳴を上げた。ドタバタと誰かが戦っている気配がする。吹き飛んだ看守二人がフレリアの牢の前を通過した。
ぬっと。
爬虫類のような鱗にびっしりと覆われた腕が鉄格子の向こうから現れた。その腕に殴られたらしい看守たちは、なんとか頑丈にも起き上がって怪物に銃口を向けるが――パキキ。
銃を構えた手の先から石へと変わっていく。
石化は恐怖に顔を歪める看守たちを侵食し、全身が石像となるまで続いた。
コツコツと静かな靴音が響く。竜の腕が引っ込み、代わりに一人の執事がフレリアが囚われている牢の前に立った。
「こちらにおられましたか、お嬢様」
執事――アレク・ディオールは紳士然と深く頭を下げた。
「アレク! まったく、遅いじゃないですかー! お腹空きましたー!」
「申し訳ございません。今はクッキーしか手持ちになく」
差し出されたクッキーをフレリアは高速で引っ手繰ってポリポリポリポリ。甘くて美味しい。
ガコン! 大きな金属音が鳴り響き、牢の扉がくの字に曲がって吹き飛んだ。
「助けに来たよ、フレリアのお姉さん」
「は、早く出てください。わたしの石化はずっとじゃないので」
十二歳前後の男の子と女の子だった。魔術的異能を持った子供たちを保護する孤児院組織――〈世界樹の方舟〉のフェイとリノだ。
なるほど、彼らの異能は魔術によって生まれたが魔術ではない。だから反魔術領域の中でも存分に力を振るうことができる。
「二人もありがとうございますー」
フレリアはクッキーを飲み込んでから牢を出た。アレクにおかわりを求めて手を差し出すが却下されてしょんぼりする。
「おいあんたら、俺たちもここから出してくれ!」
すると、他の牢から声がかけられた。どこかで見たことあるような大男や怪しい宗教っぽい服装をした人たちが鉄格子に掴みかかっている。
「あー」
思い出した。中国マフィア〈蘯漾〉の屋敷に集められていた様々な組織の人たちだ。〈燃える蜥蜴座〉に〈GG団〉に〈天顕宗〉。大会に参加していた〈グリモワール〉の人たちもいる。その他、見覚えない人たちも。
「フェイ様、他の方々も片っ端から解放してあげてください」
「え? いいんですか?」
アレクの指示にフェイが驚愕して目を見開いた。
「構いません。彼らには思いっ切り暴れていただきましょう。その混乱に乗じて我々は脱出します」
「わ、わかった」
フェイが一つずつ牢を破壊していく。解放された彼らは心の底から感謝の言葉をフェイにかけていた。
慌ただしい足音が近づいてくる。
「さて、援軍が到着してしまったようです。まずは魔術が使える地点まで脱出しましょう」
アレクの言葉が号令となり、囚われていた者たちから鬨の声が上がった。




