FILE-138 唯一の勝ち筋
恭弥は冷静に状況を分析していた。
膝をついたグラツィアーノは戦えない。恭弥たちを助けるために無茶をしたようだ。後で機会があれば礼をせねばなるまい。
同じ理由でレティシアも戦わせない方がいいだろう。グラツィアーノほどではないが、今の王虞淵を相手に立ち回れるとは思えない。
チーム『特待生』と『シークレット・シックス』のメンバーが他に見当たらないということは、恭弥たちが封じられている間に倒されたと考えられる。
幽崎、静流、ヘルフリート。
戦力は恭弥自身も含めて四人。個々の実力は確かだが、行動を御することも予測することも難しい味方しかいないのが激しく不安だった。静流が一番マシに思える。
「うんうん、警戒してるねぇ。来ないなら僕の方から行かせてもらうよ!」
灼瞳を煌めかせた王虞淵が恭弥へとまっすぐに突っ込んでくる。速い。が、〈精魂融合〉で動物霊たちの身体能力を得た恭弥ならギリギリでかわせ――
「『視』えてるんだよねぇ」
「――ッ!?」
伸ばされた王虞淵の手が掴んだものは、恭弥と融合した灰色熊の霊の腕だった。霊体を物理的に捉えている。〈火眼金睛〉の力だ。
恭弥の肉体から灰色熊の霊が強制的に引き剥がされた。霊魂を破壊されてしまう前にカンガルー霊の脚力で蹴り飛ばしたが……まるで鋼鉄を蹴ったような感覚だった。
「これは……」
仙丹の効果はただ王虞淵の肉体を全快にしただけではなさそうだ。
「追撃でござる!」
「一年坊主ばかりにいい格好はさせられねえな!」
静流が日本刀、ヘルフリートが燃える大刀で左右から王虞淵に斬りつける。だが王虞淵はかわそうとも防ごうともせず、やられるがままに二人の剣戟を受け続けた。
全くの無傷で。
「あれっ?」
「あ? 剣も炎も効いてねえ……どうなってやがる?」
如意棒の反撃を後ろに跳んでかわした二人は、不可解な状況に眉を顰めた。
「仙丹は不老不死の霊薬だからねぇ。斬ろうが焼こうが一切の傷を負わない。いわゆる無敵状態ってやつだねぇ」
「チートすぎでしょ!?」
レティシアが思わず叫んでいた。
伝承にある斉天大聖はその無敵の力で天軍すら相手取っていた。そこまで万能とは思いたくないが、攻撃が通じないとどうしようもない。
いや――
「ヒャハハ! ちょっと打たれ強くなった程度でイキってんじゃねぇぞクソ野郎!」
幽崎が巨大なナメクジのような悪魔を召喚してけしかける。見た目からは想像できない速度で突進する巨大ナメクジを、灼瞳で見据えた王虞淵は如意棒の一振りで爆散させた。
「無駄だと言っているんだよ」
「本当にそうかぁ?」
幽崎は巨大ナメクジを目眩ましにして切迫していた。その腕には蛇のような悪魔が巻きつき牙を剥いている。
「てめぇの体は確かに無敵になったのかもしれねぇ。だが、そのデコにくっついてる目ん玉はどうだろうなぁ?」
「!」
第三の目を狙った幽崎の一撃を、王虞淵は表情を険しくしてかわした。
回避を、行った。
幽崎が凶悪に嗤う。
「てめぇら! 当初の予定通りだ! 第三の目を潰せばこのイキりチート野郎を黙らせることができるぜぇ!」
王虞淵の額についている第三の目は、本人の体の一部ではなく宝貝――〈千里万眼〉だ。仙丹で無敵になるのはあくまで自身の肉体だけである。
王虞淵が孫曉燕の意識を乗っ取っている源を断つ。難易度は依然として高いが、憑依よりも確実な方法だろう。
しかし――
「ああ、そうだったねぇ。僕としたことが、いつまでも弱点を抱えているとは」
「あぁ?」
その方法は、一度試して失敗している。
「慣れない普通の両目じゃ戦えないからこうしていたけれど、〈火眼金睛〉を得た今なら話は別だ。開いておく必要がないねぇ」
すーっ、と。
閉ざされた第三の目が額の中に沈んでいくように消えてしまった。
「嘘でしょ!? 弱点なくなっちゃったじゃない!?」
「なるほど、あの時もそうやって防いだのか」
完全に消えたわけではない。体内に移しただけだろう。とはいえ無敵の肉体に守られていたのでは手が出せない。
恭弥が体内から破壊する〈フィンの一撃〉を放てばあるいはと思ったが、奴の無敵は外だけではないだろう。
「さあ、次はどう出る? この僕に対してなにか有効な手段は思いつくかい? まあ、そんなものないんだけれどねぇ。大人しく降参するなら半殺し程度で退場させてあげるよ」
「ど、どうするでござる師匠!?」
静流が不安げな顔で恭弥に縋る。恭弥だって先程から常に思考を巡らせている。
奴は仙丹を切り札として使っていた。その効果には時間制限が必ずある。一旦退くのも手だが、大人しく逃がしてくれるほど王虞淵は甘くない。
戦いながら時間切れを待つ? 一体いつまで? 王虞淵の余裕から察するに、最低でも恭弥たちを全滅させられるだけの時間はあると見ていい。
手当たり次第に他の弱点を探るしかない。
「ぐだぐだ考えんのは後でいいだろ、一年ども。こいつ自身が無敵だっつうなら、退場させるなり封じるなりすりゃいい」
ヘルフリートが獄炎を放つ。王虞淵は涼しい顔をして掌で受け止め、握り潰した。
「最善ではないが、仕方ないか」
「つまり魔力結晶だけ斬ればいいでござるね。納刀――〈円天〉」
静流が刀を納めてその場で一回転する。発生した不可視の力場が円状に広がるが、それも全て『視』えている王虞淵は余裕を持って数歩後ずさった。
「それは僕の本体が『視』ていたよ。陣の中に入らなければいい」
「な、ちょ、そこは入ってくれないと困るでござる!?」
不発に終わった甲賀の秘奥義の代わりに、王虞淵の足下が赤く熱を帯びる。
刹那、紅蓮の炎が天を衝く勢いで噴き上がった。
「範囲の暴力で逃げ場をなくせばいいだろ」
万物を焼き尽くす〈地獄の業火〉はしかし、王虞淵の両目へと呆気なく吸収されてしまう。神魔の炎は〈火眼金睛〉に力を与えるだけかもしれない。
「炎は効かないと、君は学習していないのかい?」
舌打ちするヘルフリートは、そろそろ限界が近いのか息を乱していた。彼の体に刻まれている刻印は〈アタルヴァ・ヴェーダ〉の強化呪印。本来の術者でない彼は立っているだけでも激しく体力を消耗しているはずだ。
恭弥は人差し指を翳す。
「〈フィンの一撃〉かい? 黒羽恭弥、君も芸がないねぇ」
恭弥の指から放たれた不可視の一撃を、王虞淵は掴み取ろうと手を伸ばし――
「!」
途中でなにかに気づいたかのように横へと飛んだ。
「避けた……だと?」
幽崎が今の王虞淵の行動を見て呟いた。
「……あぁ、そうか。わかったぜぇ、てめぇの弱点がよぉ!」
指先を噛み切り、幽崎はその場に己の血を垂らす。
「来やがれ喰らうことしか能のない馬鹿ども。俺の血も、敵の魂も全部まとめてくれてやる。行儀悪く喰い散らかしちまえ!」
幽崎の周囲に禍々しい魔法陣が展開。そこから生えるように伸びた無数の白蛇が王虞淵へと襲いかかる。
「これは不味いねぇ。あのまま避けずに壊しておけばよかったよ」
無敵のはずの王虞淵だったが、白蛇をかわし、如意棒で捌き、決して直撃をくらわないように動いている。
だが、なにが起こっているのか理解しているのは幽崎と王虞淵、そして恭弥だけだった。
「幽崎殿、なにをしたでござるか!?」
他の者にはあの白蛇は見えていない。アレは実態を持たない悪魔だ。
「おい黒羽、状況が変わった! てめぇが奴に憑依する作戦を手伝ってやる! もうそれしか手はねぇぞ!」
「……そういうことか」
先程恭弥が撃ったのは〈フィンの一撃〉などではなく、ただのガンドだ。霊的に相手を攻撃して体調を崩させる程度の術だったが、王虞淵はそれを避けた。
つまり――
「王虞淵は肉体的に無敵だ。だが、霊的・精神的な攻撃なら通用する」
〈火眼金睛〉で破壊することも可能だっただろう。だが、無敵と驕っていた王虞淵はギリギリまで物理的な衝撃だと思い込んでいた。本質を見抜いた瞬間、反射的に避けてしまったのだろう。
恭弥が光を見出したとわかった静流は瞳を輝かせた。
「師匠、拙者はなにをすればいいでござる?」
「王虞淵を捕らえろ」
「了解でござる!」
静流は力強く返事をすると、胸の前で印を結んで八人に分身した。それから白蛇の悪魔を捌いている王虞淵を向いて整列する。
《木は大地に根を張り、養分を吸収し土地を痩せさせる》
八人の静流が合唱するように呪文を唱え、印を結ぶ。
《甲賀流五行忍術――〈木撲瀑砂〉!》
瞬間、静流と王虞淵の中間に巨大な樹が生え伸びた。木気から生成された巨大樹は周囲の地面に根を伸ばし、急速に養分を吸い尽くす。
干からび砕けた地面は砂と化し、巨大樹を中心に滑り落ちていく流砂となる。
「こんなものに捕まると?」
觔斗雲で宙に浮く王虞淵。
「わかってねぇな。捕えんだよ!」
幽崎が指を鳴らすと、白蛇の悪魔たちが融合し、巨蛇となって王虞淵に絡みついた。そのまま流砂の中へと引きずり込んでいく。
「召喚した悪魔ごと流砂に――ッ!?」
これには流石に王虞淵の顔色も変わった。〈火眼金睛〉の力で白蛇を引き千切ると、流砂の中心から觔斗雲で強引に抜け出してくる。
「無駄だ! 無駄無駄無駄! 僕には〈解鎖〉がある! あらゆる封印も拘束術も通用しない!」
「だったら、直接ホールドしちまうのはどうだ?」
背後。
飛び上がったヘルフリートが王虞淵の、孫曉燕の小柄な体をがっしりと羽交い絞めした。〈解鎖〉も万能ではない。神格級の封印には対抗できないし、そもそも拘束されないのではなく、されてから解除するのだ。
つまり、そこには一瞬の隙が生まれる。
「今だ黒羽!」
言われるまでもなく、恭弥はいつでも発動できるよう準備していた。王虞淵は虫などに変化して逃げることも可能だろうが、そんな暇は与えない。
――憑依!




