FILE-136 火眼金睛
ヘルフリートの姿が消えた。
「なに!?」
目の前で振り下ろされる燃える大刀を如意棒で咄嗟にブロックする。王虞淵の視力を以てしてもギリギリまで反応できなかった速度だった。
大刀の炎が出力を上げる。
「まずいね」
すぐさま飛び退ったが、放出された〈地獄の炎〉に片腕を焼かれた。よりにもよって芭蕉扇を持つ左腕だ。加減されたのか蒸発はしなかったが、炭化して全く力が入らない。
手放してしまった芭蕉扇も炎に炙られて燃えている。耐火性能の高い宝貝で自己修復機能もあるため燃え尽きることはないだろうが、こちらもこの戦闘中にはもう使えないだろう。
――とにかくまずは距離を。
遠距離攻撃にも強いヘルフリート相手では愚策かもしれないが、あの熱量は接近される方がよっぽど危険だ。
ヘルフリートを強化している呪印は本来の術者でも相当な負担があるはずだ。魔力結晶で無茶苦茶な魔力ブーストをしていることも合わせて、長期戦に持ち込めば彼は勝手に自滅する。
「逃がさねえぞ」
再びヘルフリートが消える。『目』を凝らしていてもやはり初動から見えなかった。こんな動きをされていては長期戦など叶うはずがない。
だが――
「上、だねぇ」
あの強大な力はいくら素早く動いたとしても消せはしない。視力に頼らなければ捉えることは可能だ。
「気づいたところで避けられると思うなよ!」
大刀を刺突に構え、隕石のように炎を纏ってダイブしてくるヘルフリート。直撃をかわすことは容易だったが、二次的な大爆発が王虞淵を呑み込んだ。
下手な軍隊ならそれだけで壊滅する広範囲爆撃だった。
「馬……鹿……な……」
恐らくヘルフリートは加減などしていない。そもそもこれほどの規模の術に加減などできるはずもない。彼はそこまで器用ではない。王虞淵の体、もとい孫曉燕の体は跡形もなく消し飛ばされる――と思われた。
王虞淵自身もそう思った。
ヘルフリートもやっちまったという顔をしていた。
熱も痛みも感じないのは一瞬で燃え滓になったからではなく、王虞淵の――いや、孫曉燕の見開いた両目が物凄い勢いで炎を吸収していたのだ。
全ての炎を両目から吸い込んだ王虞淵は、息を切らしながらもなにが起こったのか理解する。
「……ああ、これは嬉しい誤算だねぇ。彼女は持っていないと思っていたのに」
「てめえ、なにしやがった?」
警戒するヘルフリートに王虞淵は開いた両目を向ける。燃え盛る炎を彷彿とさせる、金色の虹彩を備えた赤い眼球だった。
「感謝するよ、ヘルフリート・コルネリウス。君の炎が、彼女の仙眼を覚醒させてくれたのさ」
「仙眼だと?」
「〈火眼金睛〉――斉天大聖が不死の霊薬を合成する超高熱炉で火刑になった際に発現した力だよ」
〈火眼金睛〉は虚偽と真実、悪と善を識別する――即ち、万物の本質を捉える眼識だ。
「よくわかんねえが、俺の炎が効かなくなったっつう話でいいか?」
「それだけの話じゃない。試しに攻撃してみるといいよ」
「……舐めてやがるな」
ヘルフリートは大刀を大振りに構え、実験感覚で避けようともしない王虞淵に〈地獄の業火〉を放射した。
が――
「――なッ!?」
ヘルフリートが驚愕する。王虞淵は右手で炎を鷲掴みにするようにして受け止めたのだ。そのまま握り潰して炎を霧散させる。
「この眼で本質を捉えたものはたとえ現象だろうと干渉することができる。今の僕なら素手で神を殴り殺すことだって可能だろうねぇ」
神という存在が現れればの話だが。
「とことん俺にとっての天敵だな、てめえは」
「それがわかったのなら降参してくれると無駄な労力を払う必要もないんだけどねぇ」
「ハッ、誰が。こっからが面白ぇんだろうが」
「うんうん、そうだよねぇ」
王虞淵としてももう少しこの仙眼について検証したくなった。実験の相手としてヘルフリートは実に都合がいい。
その前に炭化した左腕を治すこともできるが……いや、必要ないだろう。あの霊薬は切り札だ。今後必ずぶつかることになる祓魔師たちとの戦いまで取っておくべき――
「今だ!」
誰かの声が轟いた、その瞬間。
王虞淵の周囲を無数の数字が取り囲んだ。
「レティシア・ファーレンホルスト、打ち合わせ通り僕の補助を頼むよ!」
「ホント無茶苦茶な術式で自信なんてないけど、任せなさい!」
「二人とも頼むでござる!」
グラツィアーノ・カプア、レティシア・ファーレンホルスト、甲賀静流。
忘れてはいなかったが、もはや眼中になかった三人がなにかを企てているようだ。数秘術で足止めをするつもりなのかもしれないが、〈火眼金睛〉が開眼した王虞淵には通用しない。
片手で触れるだけで簡単に破壊できる。
だが――
「邪魔をしないでもら」
言いかけたところで、王虞淵の思考と体は完全に停止することになった。




