FILE-133 神の風
「恭弥!?」
「師匠と幽崎殿が瓢箪に吸い込まれたでござる!?」
一瞬だった。
レティシアたちが一連の事態を理解した時には既に、恭弥と幽崎は王虞淵が取り出した瓢箪の中へと消えていた。
「ハハハハ! 油断したねぇ! 彼女が受け継いでいる宝貝は如意棒や觔斗雲だけじゃないんだよ! 彼女自身が引き出せていない物もあるが、斉天大聖に関わった宝貝の多くを所持している! 例えば――」
瓢箪の口に栓をした王虞淵は、如意棒を背中に挿してそのまま手を天に掲げる。すると空間が歪み、逆さの瓢箪を平たくしたような形の巨大な扇が引き抜かれた。
「果たして君たちは堪えられるかな?」
口元を凶悪に吊り上げた王虞淵が扇を大きく振り被る。
「気をつけろみんな!? 〈芭蕉扇〉だ!?」
逸早く状況を把握したグラツィアーノが叫ぶ。
だが――
「うんうん、遅いねぇ」
一薙ぎ。
まるで大気の壁が高速で押し寄せてきたかのような暴風に、レティシアたちは抗うことすら許されず吹き飛ばされてしまった。
芭蕉扇。
牛魔王の元妻である鉄扇公主――羅刹女が所持していた扇だ。一度仰げば風を呼び、再び仰げば雲を呼び、三つ仰げば雨が降る秘宝。
なんとか受け身を取って立ち上がったレティシアだったが、あんなものを持たれていては近づくことさえできない。早く恭弥たちを助けないと〈紫金紅葫蘆〉の内部で溶かされてしまうというのに。
「オゥ! ヘルフリート、その体どうしたのデース!?」
驚きの声を上げるアレックスの視線の先には、先程まで火炎魔人と化していたヘルフリートが元の姿に戻っていた。
ヘルフリートは自分自身の状態を改め、忌々しく王虞淵を睨む。
「チッ、消されたか」
〈芭蕉扇〉が巻き起こす神風には火消しの効果がある。四十九回仰ぐとどのような焔でも消し止める霊水の雨を降らせるとも言われており、ヘルフリートの〈地獄の業火〉でも例外ではないことはたった今証明された。
「さて、黒羽恭弥と幽崎・F・クリストファーを欠いた君たちにこれ以上時間を割くのも勿体ないねぇ。〈紫金紅葫蘆〉を奪われても困るし、早々に退場してもらおうか」
プツリ、と。
王虞淵は自分の髪の毛を何本か摘まんで引き抜いた。それを自分の口へと持っていくと軽く噛み砕き――フッ。仙気を込めた吐息で吹きつける。
宙を舞った髪の毛が、次々と肥大化し、やがて孫曉燕と同じ姿に変化した。
その数は、十二体。
「おや? 同等の数にするつもりが少し多かったねぇ。まあ、そちらも分身を使えたりするし、多い分に越したことはないかな」
身外身の術。自分の体毛で分身を生み出す斉天大聖の仙術だ。
「やられる前にやるぞ!」
「分身には第三の目がない! 本体だけを叩くんだ!」
「あたしたちは恭弥と幽崎を助けることを優先するわ!」
「分身には分身でござる!」
ランドルフが地を蹴って駆け出し、ユーフェミアが黒魔術の詠唱を始める。レティシアもタロットを展開、静流は〈八方分身〉で数を増やす。グラツィアーノやヘルフリートたちもそれぞれの魔術で王虞淵に攻撃を仕掛けようとするが――
「いやぁ、抵抗はさせないよ?」
王虞淵は落ち着いた様子で指を一本立てた。
「喝―ッ!!」
空気が振動するほどの大声。それを浴びたレティシアたちは、なぜか自分の意志に反して動きを止めてしまった。
「なに……これ? 体が……動かない……」
「〈定身の法〉。指を立て一喝することで、周囲の敵を金縛りにする仙術だねぇ」
王虞淵はここぞとばかりに仙術を多用している。やはり変身状態では使えなかったのだろう。
「まずい……わね……」
これは非常にまずい。こちらは動けない。静流の分身も金縛りと同時に消えてしまった。なのに、向こうは十二体の分身が皆に襲いかかってくる。
「ぐ、やめろ……ッ!?」
「孫曉燕……正気に戻ってくれ……ッ!?」
一番近かったランドルフとユーフェミアが分身に体を弄られ、魔力結晶を奪われる。破壊はされず、王虞淵の本体に集められていく。
別の分身がレティシアと静流にも襲いかかる。
「ちょっと、やめなさいッ!?」
「く、くすぐったいでござる!?」
魔力結晶が一つ、また一つと奪われる。
その時――パァン!
銃声が轟き、レティシアと静流を襲っていた分身の額に風穴が穿たれた。分身は空気に溶けるように消え、元の髪の毛だけが風に流され飛んでいく。
「ああ、そういえば、一喝が届かない距離に一人いたねぇ」
オレーシャだ。
離れた場所から狙撃している彼女だけが、〈定身の法〉の範囲外だったのだ。
「目障りだよ」
王虞淵が背中の如意棒を抜いてオレーシャに向かって伸ばす。光線のごとき速度で伸長する如意棒が、遠くのオレーシャを貫いたのをレティシアは見た。
「オレーシャさん!?」
「解析――完了! 待っていてくれ、すぐに術を解く!」
金縛りに遭いながらも素早く数秘術の解析を終えたグラツィアーノは、まずは自身にかけられていた術を解除してから迫り来る二体の分身を蹴り飛ばした。
「ランドルフ! ユーフェミア!」
それからチームメイトに駆け寄るグラツィアーノだったが、手遅れだ。ランドルフとユーフェミアは転送が始まっている。
「俺たちはいい! 他の皆を解除してやってくれ!」
「甲賀静流! ボクの分まで頼んだよ!」
そう言い残して消えていく二人。恐らくオレーシャもただでは済んでいないだろう。他のチームではあるが、レティシアは言葉にできない憤りを覚えて王虞淵を睨んだ。
「あんたは絶対許さないわ!」
「なぜ怒るのかな? 僕は大会のルールに則っただけだけどねぇ」
殺さないだけ良心的だろう? 王虞淵の閉じた両目がそう告げているような気がした。
「ユーフェミア殿……任されたでござる」
静流が二振りの日本刀を抜刀。王虞淵に迫る。が、分身たちが盾になるように立ち塞がる。
「邪魔でござる!」
分身たちを薙ぎ払おうとする静流だったが、仮にもあの孫曉燕の分身だ。静流にも匹敵する素早さで翻弄され、足止めをくらわされている。
と――
「小細工ばかりでうざってぇぞクソがぁあッ!!」
炎が荒ぶった。
第六階生の二人は、どうやら自力で金縛りを解除したようだ。襲ってきた分身をヘルフリートが大火力で吹き飛ばしたらしい。
「まだてめえがデカブツだった時の方が楽しめたぜ! もっぺんやってみろやコラァ!!」
大刀を大上段から振り下ろし、炎の衝撃波が地面を奔る。王虞淵は再び〈芭蕉扇〉を取り出して仰ぎ、〈地獄の業火〉と神風を衝突させて掻き消した。
「もう少し大人しくして欲しかったねぇ。うんうん、仕方ない。全部吹き飛ばして、一気に終わらせよう!」
王虞淵は〈芭蕉扇〉を一振り、二振り、三振り。止まることなく連続で仰ぎ続ける。
暴風が唸り、空が荒れ、まるで終末でも迎えるかのような嵐となる。
「くっ、『THE FOOL』――『愚者』の正位置。無邪気。純粋。自由。他者の影響を無視し、己の可能性を貫け!」
吹き飛ばされながらもレティシアはカードを構え、術を展開。『愚者』の正位置の術式は自分にかかる魔術的効果を無効化する。グラツィアーノの数秘術とは違い、打ち消すことはできないが、この嵐にレティシアが堪えられるとすればこれしか方法はない。
だが、〈芭蕉扇〉の威力はもはや天変地異の領域だ。魔術の影響によって発生した物理的衝撃までもを防ぐことはできず――
「きゃあああああああああッ!?」
レティシアも、静流も、グラツィアーノも、ヘルフリートも、アレックスも。
王虞淵が自分で生み出した分身さえも巻き込んで。
荒野エリアに吹き荒れた大嵐は、無慈悲にも全てを蹂躙するのだった。




