FILE-129 暴走
「……冗談じゃない」
視認した情報を脳内で正確に把握し、恭弥は冷静に展開の最悪さを悟って吐き捨てた。
地鳴りが響く。
大地が揺れる。
それが歩行による影響だと一瞬で理解できるほどには、レティシアたちを追いかけていた存在は物理的な意味で巨大だった。
「い、いきなり曉燕さんが立ったまま動かなくなって!?」
「タロットガールとバトルしていたら、とてもビッグになって襲ってきたのデース!?」
レティシアとアレックスが必死に走り逃げながら状況を説明する。些か簡潔すぎるが、二人の後を追う孫曉燕の姿を見れば嫌でも理解せざるを得ない。
孫曉燕の身体は、目測で五十メートルを超えていたのだ。
「しゃ、曉燕殿がでっかくなってるでござる!?」
「ちょっと待て、あれは本当に孫か!?」
「……でかいな。日本の怪獣映画のようだ」
「あんなことができるなんてボクは知らないぞ!? いつの間に覚えたんだ!?」
「いや、彼女の戦闘は体術と宝貝だけだったはずだが……」
驚きと感動で目を輝かせている静流はいいとして、チームメイトであるはずのグラツィアーノたちまでも戦慄している。
誰もが驚愕で動けないでいる中、魔竜の頭部から幽崎が愉快そうにクツクツと嗤った。
「そんなにビビることかぁ? あいつは確か斉天大聖の仙術使いだ。だったらありゃ〈地煞七十二変化〉だろ」
地煞七十二変化。
斉天大聖が使う仙術の一つであり、動植物を始めとしたあらゆるものに化けることができる術だ。ハエやバッタなどの小さな虫に化けて諜報活動を行う使い方が主だが、あのように自身を巨大化することで戦闘も行える。牛魔王との戦いで身の丈一万丈になったという伝説もある。
流石に一万丈――三十キロメートルではないが、それでもあの大きさは『的がでかくなった』では済まされない脅威だろう。
――術を使えることを隠していた? いや、今の問題はそこじゃない。
孫曉燕の両目は赤く充血し、理性というものを感じない。
レティシアまで逃げているということは、敵味方の区別もついていないと思われる。
力を制御できずに暴走していると考えるべきだ。
「――ッ!? 全員散れ!?」
孫曉燕が棍棒状の武器――如意棒を振りかぶったのを視認するや、恭弥は短く叫んで周囲に回避を促した。
次の瞬間、頭上から小山のごとき大質量が容赦なく叩きつけられた。
大地が引っ繰り返り、砂塵が天高く立ち昇る。
「孫! 我々がわからないのか!?」
翼を広げて飛び逃げた魔竜の背中からオレーシャが叫ぶ。だが孫曉燕の耳には届かず、如意棒を持ち上げ様に体を回転させて振り回した。
魔術など一切使っていない暴風が荒れ狂う。常人ならコンマ数秒でミンチになるだろう暴力的な空間。精魂融合で身体能力を上げた恭弥でも回避がやっとである。
これがただの余波だとは冗談もいいところだ。
「無事か、黒羽恭弥?」
フッと、悪戯に恭弥を嬲っていた風が逸れた。
グラツィアーノだ。数字の結界で風のベクトルを操作し、自分たちの周辺だけを安全地帯にしてくれたらしい。
「この程度でくたばることはない」
「強がりではなさそうだね」
回避はできる。だが、攻めあぐねているのも事実だった。他の皆もそれぞれの魔術でなんとか致命傷は避けているようだが、反撃している者はいない。
「孫曉燕は術を使うと暴走するのか?」
「それだと特待生になんてなれないだろう? まあ、彼女自身が術を使っているところは僕も見たことないけどね」
バトルロイヤルのチームメイトですら知らないのなら、少なくとも戦闘に置いてはそういうスタイルを貫いていたことになる。
なのに〈地煞七十二変化〉を使った。
アレックスがそこまでの強敵だったのなら頷けるが、何度か敗北している静流との戦いで使っていないのは不自然だ。
どうにも違和感がある。
「ん? 黒羽恭弥、アレが見えるかい?」
と、なにかに気づいたらしいグラツィアーノが孫曉燕の頭部を指差した。
「……あれは」
身体に合わせて巨大になった両目とは別に、掌サイズの『目』が額に張りついているように見える。
「第三の目――いや」
一般的な異能としての『三つ目』や第六チャクラ的なものではない。もし彼女自身の能力であれば、一緒に巨大化していなければおかしい。
あの『目』には見覚えがある。
「ははは! マジかよコレ! あん時の樹といいゴーレムといい魔竜といい、今日はやけにデカブツと出会うな!」
大質量の振り回しと派生する暴風が渦巻く中、高らかに笑う声が響いた。
「なんで暴走してんのか知らねえし、どうでもいい! おい、デカブツ四号! 俺と遊ぼうぜ!」
火炎を纏い、魔人となったヘルフリートが大刀を構えて孫曉燕へと突撃を開始した。
「バトルするつもりデスかヘルフリート!?」
「こんな面白ぇ奴と戦わず逃げるなんて勿体ねえだろ? てめえも来いよ、アレックス!」
「ミーもバトルはライクなわけデースが、これはちょっと……でもストップさせるにはゴーしかないデース」
ヘルフリートに続いてアレックスも渋々と暴風の壁を突き破り、如意棒の大振りを飛んで交わして疾走する。第六階生の肩書は伊達ではないようだ。
「オラァアッ!!」
ヘルフリートが大刀を掬い上げるように振るう。すると炎が爆発し、赤々と燃える特大の衝撃波が地を奔った。
片足を丸ごと呑み込めるほどの業火。だが、孫曉燕の対応は早かった。如意棒の一振りであっさりと掻き消してしまったのだ。
「はっはー! やるじゃねえか!」
「ヘルフリートはレフトを頼みマース!」
第六階生の二人は巨体を翻弄するように駆け回る。孫曉燕の注意が二人に向いたこの好機を、恭弥は逃さない。
数秘術の結果を飛び出し、孫曉燕の額に人差し指の照準を合わせ――〈フィンの一撃〉を放つ。
しかし、正確に狙ったその一撃も、振り上げられた如意棒で防がれてしまった。でかいくせに、そう簡単には攻撃も当たらないらしい。
「きょ、恭弥、曉燕さんは、どうなってるの!?」
レティシアが半分吹き飛ばされつつ駆け寄ってきた。息を乱しながら彼女は声を荒げる。
「斉天大聖の、変化術なのはわかるけど……よ、様子がおかしすぎるわ!?」
「恐らく、額に張りついた『目』が孫曉燕を狂わせている」
「額の『目』? あっ、ホントだ。小さくて気づかなかったわ」
「中国マフィア〈蘯漾〉の首領――王虞淵の宝貝だ」
どういう能力なのか正確には掴めていなかったが、広範囲の監視だけではなかったようだ。他人に取り憑いて操れるのだとすれば厄介極まるが、あの暴走状態を見るに少なくとも制御はできていない。
仮に操っているのだとすれば、それは恭弥たちとの同盟の破棄を意味する。
「狙うのは額の『目』だ。あの第六階生が足止めしている間に――」
グラツィアーノたちとも協力して数で押し勝つ。そう恭弥が告げようとした時、孫曉燕は両足に金色の雲を纏って飛び上がった。
風が落ち着く。
すると、上空から耳障りな声が降ってきた。
「ヒャハハハ! あの巨体で飛びやがった! 如意棒はいいとして、觔斗雲まででかくなってねぇか?」
言うまでもなく、魔竜を馬代わりにしている幽崎だ。
「おい黒羽、こいつらの結晶を奪っとけ。邪魔だ」
「は?」
幽崎が魔竜になにやら指示を出し、握っていた『シークレット・シックス』の女子生徒二人を恭弥に向けて投げつけてきた。
「俺が相手してやるよぉ、クソ猿! ちったぁ理性残ってんだろうなぁ!」
「あっ! ずるいでござる幽崎殿!?」
幽崎を乗せたまま翼を羽ばたかせた魔竜が孫曉燕に向かって上昇していく。それを見た静流が慌てて空気を蹴って追いかけた。ちなみに魔竜の背中に乗っていたはずのオレーシャとランドルフはいない。どこかで振り落とされたのだろう。
ふざけるな! と恭弥は叫びたい気持ちを強制的に抑え、灰色熊の霊と精魂融合。投げ寄越された二人を受け止める。
余程こっぴどくやられたのだろう。クラウディアもガブリエラも目を覚ます様子はない。確かにこのまま放置すれば邪魔になるし、危険だ。
「レティシア、この二人の魔力結晶を頼む」
「あ、あたしがやるの?」
「俺にやれと?」
無心になることに関して右に出るものはそうそういない恭弥なら女子の服を弄るくらい平気だが、そこは同じ女子にやってもらった方が彼女たちのためである。
「……わかったわよ。でもどうするの? 静流さんみたいにあの怪獣大決戦に突っ込むの?」
そんな命知らずな無謀を恭弥は冒す気などない。
「さっき言いかけたが、狙いはあくまで額の『目』だ。数で囲んで仕留める。お前もそれでいいか?」
恭弥は背後を振り返ってグラツィアーノに問う。彼のチームメイトを仕留めると言っているのだ。反対されれば共闘もここで終わりである。
グラツィアーノは小さく息を吐いて肩を竦めた。
「……致し方あるまい。僕のチームには僕から伝えておく。君は先輩方の協力を取りつけてくれ」
「ああ、頼む」
頷き合い、グラツィアーノは吹き飛ばされたらしいチームメイトを探しに、恭弥は悔しそうに上空を見上げている第六階生たちの下へと駆ける。
だが――ドゴォオオオオオオオン!!
恭弥の目の前に、幽崎の魔竜と静流が勢いよく落下してきた。静流は叩きつけられる前に体勢を立て直したようだが、そのまま地面に減り込んだ魔竜は即死したらしい。影に溶けるように消えていく。
魔竜から飛び降りてきた幽崎が忌々しげに上空を見上げた。
「チッ、なんだぁ? あのクソ猿、急に動きが変わりやがったぞ?」
「曉燕殿、意識が戻ったでござるか?」
觔斗雲で上空に佇み、静かにこちらを見下ろしている孫曉燕からは先程までのような荒々しさを感じない。
充血していた両目が白く染まり――
孫曉燕は、両の瞼を閉じた。
「うんうん、やっと表に出られた。意外と僕本体との記憶照合に時間がかかったねぇ」
明確な意思の籠った言葉が孫曉燕の口から発せられる。
だがそれは、孫曉燕のものではなかった。




