FILE-112 シークレット・シックス
総合魔術学院は七年制である。
入るは容易く、出るも容易い。ただし、その『出る』は『退学』という意味だ。
卒業に『至る』者はほんの一摘まみしかいない。留年すればいつかは叶うかもしれないが、入学して七年で卒業する魔術師が一パーセントを超えることはないだろう。飛び級という制度もあるにはあるが、適用された事例は皆無である。
一般と基礎を学ぶ新入生から第三階生までは割と楽に進級できる。研究室に配属され、それぞれ専門を学ぶ第四階生から第五階生までも努力次第ではスムーズにいくだろう。
だが、そこから先が難所だ。
第六階生に上がるためには『成果』が必要になる。学問の知識は当然として、魔術師としての成長や研究成果が一定の水準に達していなければ問答無用で落とされる。そこに妥協や情けなどは一切ない。おかげで今年度の第五階生が百人単位で在学しているのに対し、第六階生は五人だけだった。
さらにハードルの上がる第七階生は――たったの二人だ。
例年ならもう少しだけ多いのだが、どういうわけか昨年度の第六階生で第七階生に上がれなかった者たちは全員自主退学している。
つまり、現在の第六階生に留年した者はいない。全員が実力で伸し上がったばかりの者たち。同期だからこそ結束力もあり、大会に出場したのも自分たちの実力を試したいがためだった。
「ああ、これは……まずい」
燃え尽きていく大賢樹の向こう側から現れた五人組の姿に、王虞淵は早々に自分の想定が悪い方向へと外れたことを悟った。
「『視』ていた以上だねぇ。強いよ、彼ら」
一人目、大賢樹を斬り倒したと思われる、肌蹴た制服の男子生徒。身の丈ほどもある大刀を肩に担ぎ、唇を斜に構えてゆっくりと歩み寄ってきている。
二人目、ロングの金髪をストレートに下した、整った輪郭に勝気そうな吊り目をした女子生徒。その場を動かず、手鏡を見ながら爆風で乱れた髪を直している。
三人目、きっちりと制服を着こなした、短めに切り揃えた髪に知的そうな顔立ちをした男子生徒。眼鏡のブリッジを押さえて睨みを利かしている。
四人目、戦場と化しているこの場には似つかわしくない、幼くも可愛らしい容姿の女子生徒。状況がわかっているのかいないのか、無邪気な笑顔を浮かべている。
五人目、背の高い黒人の男子生徒。陽気な雰囲気で鼻歌を刻みながら魔術印の描かれた手袋を嵌めている。
「さぁて、俺たちの戦争を始めようぜ!」
五人の内の一人――大刀の男子生徒が、高く跳び上がった。常人ではあり得ない跳躍力。人工太陽を背にして見上げた者たちの目を眩まし、その場でクルリと身を捻る。
大刀を背後に向かって一閃。弧月に描かれた残像がボワッ! と真っ赤に炎上したかと思えば、ジェットブースターを点火したような勢いで男子生徒が地面に向かって飛来した。
「〈地獄の業火〉を受けてみなッ!!」
大刀の刃を、刺突に構えて。
「「――ッ!?」」
狙われた『ノーブルナイツ』の二人は即座に身の危険を感じ取って左右へ散った。今まで二人がいた場所に男子生徒が落下する。
爆音。
まるで空爆でもあったかのように、地面が大きく抉られ、赤い炎が四方八方に津波となって爆散した。
波紋のように広がった燎原の火を、ディーノは大樹、オンディーヌは水の壁を盾にして防御する。だが、大樹は一瞬で灰に、水は音もなく蒸発した。
炎は王虞淵たちにも遅れて押し寄せる。
「めちゃくちゃするねぇ」
王虞淵は空中の『目』を集中させて光線の弾幕を張った。無数に降り続ける光の弾幕は大樹や水のように打ち破られることはない。それでも炎の勢いを完全に削ぐまでに数秒もかかってしまった。
ディーノとオンディーヌも流石というべきか、防御が一度突破された程度では倒れていない。破れる前に新しい壁を作り直すことで完璧に防ぎ切っている。
「いいぜいいぜ。そうだ。それでこそ戦いだ。今までの雑魚どもは挨拶代わりに軽く炙っただけで倒れやがったからな。防いでくれてありがとう」
男子生徒は自滅するようなこともなく、落下地点に仁王立ちして好戦的に歯を見せて笑った。
「俺はヘルフリート・コルネリウス。チーム『シークレット・シックス』のリーダーで、てめえらを消し炭にする男の名だ!」
今のとんでもない火力が挨拶代わりであれば、普通の学生程度では防げるはずもない。荒野エリアだった景色がディーノとオンディーヌの術式で草原エリアに変わったかと思えば、今は文字通りの焼け野原だ。
「その名ぁ、覚えるつもりはあらへんえ」
九尾化した九十九が空中から九つの狐火を射出する。青白い火炎弾はまるで自身に意思があるかのように寸分違わずヘルフリートへと殺到した。
ヘルフリートは顔色一つ変えず、寧ろより楽しそうに歪めて大刀を一閃。それだけで狐火は九つとも弾かれ、赤く炎上して消滅した。
その爆炎に紛れて九十九の部下たちが強襲を仕掛ける。三人それぞれが四代元素の魔術を武器に込めて振り被るが――
「いきなりリーダーのネックはハンドオーバーさせませーん!」
目にも留まらぬ瞬足で割り込んだ黒人の男子生徒に三人とも蹴り飛ばされてしまった。バキリと嫌な音が三回。確実になにかの骨が折れただろう。
「アレックス、俺の獲物だぞ」
「独り占めはノーグッドデース! ミーにもバトルさせてくださーい!」
つまらなそうに不満を呈すヘルフリートに、アレックスと呼ばれた黒人の男子生徒は陽気な調子で返した。
その隙にディーノが動く。
だが狙いはヘルフリートたちではなく、王虞淵だ。
身構えて迎え撃つ――必要はない。
「俺の前を簡単に横切れると思うなよ」
ディーノの進行方向、王虞淵と丁度二分するように赤炎の壁が轟々と立ち上った。そのまま突っ込んでいれば宣言通り消し炭になっていただろうディーノは立ち止まり、ヘルフリートを睥睨する。
「〝獄炎剣〟ヘルフリート・コルネリウス。我らの戦いの邪魔だ。立ち去るか、そこで見ていろ。さもなくば悪と断ずる」
「断る。なにが悪だ。大会だぞ? それに――」
ヘルフリートが王虞淵を、そして空中の九十九を見る。
「あいつらの方が強そうだ。俺が貰う」
「ならば、ユーの相手はミーがしまショウ!」
アレックスが消えるような速度で移動してディーノに拳を叩きつける。ディーノは紙一重で剣を盾にして受け止めた。
「〈アタルヴァ・ヴェーダ〉――古代インドの宗教書。『願い』の呪文による強化魔術か」
「オゥ、マイナーなマジックなのによく知って――んん?」
と、アレックスの叩きつけていた右腕から蔓が生え伸びてきた。ディーノのヤドリギだ。激突した瞬間に防御だけでなく反撃として植えつけていたらしい。
アレックスは左手の指で右腕に魔法印を刻む。すると、腕から胴体へと伸びていたヤドリギが急速に萎びて朽ち果てた。
「ミーに状態異常は効きませーん!」
「ならば斬り捨てるのみ!」
拳と剣による打ち合いが勃発する。
その様子と九十九に飛びかかっていくヘルフリートを複数の『目』で監視しつつ、王虞淵は双方を警戒しているオンディーヌを指差して部下に告げる。
「甘く見るつもりはないけど、弱っているところから潰しておこうか」
「「御意」」
武器を握り疾走する部下たちに気づいたオンディーヌも身構える。学院警察である『ノーブルナイツ』にとっては、あくまでも優先順位は王虞淵たちだろう。これ以上の乱戦になる前に仕留めておくべきだ。
だが、その時。
王虞淵の『目』の一つが不審な動きを捉えた。
後方待機していた『シークレット・シックス』の一人――金髪ストレートの女子生徒が、持っていた大き目の手鏡を王虞淵の部下たちに向けたのだ。
「「……?」」
急に立ち止まった二人の部下が不思議そうな顔をする。
いや、立ち止まってはいない。二人は腕も足も振って確かに走っている。が、まるでランニングマシンにでも乗せられたかのようにそこから一ミリも前に進まない。口をパクパクと動かしているようだが、声が出ていない。
二人は走るのをやめ、本当に立ち止まる。
すると――今までの運動エネルギーが今になってやって来たかのように後ろ向きに滑り始めた。もがこうとするが、その腕や足の動きはどこかぎこちない。対峙するオンディーヌも困惑した様子だった。
違和感はある。二人はどちらも右利きだというのに、先程からよく動いているのは左側ばかりだ。
――鏡……なるほど。
王虞淵は術の正体を看破した。
「走れ!」
一喝して命じる。部下たちは指示通り走ろうとして、やはり、そのまま緩やかに停止した。
オンディーヌが跳ぶ。走りながら止まっている部下たちは絶好の的だが、近づけば同じ目に遭うと悟ったらしい。
「クラウディア・トレモンティ。正義の執行妨害で排除する」
彼女は、まず異変の原因から潰す判断をしたようだ。
「ルールに則って正々堂々やっているつもりだぞ?」
クラウディアと呼ばれた金髪ストレートの女子生徒は、部下たちに向けていた鏡面をオンディーヌに変更した。術から解放された部下たちは正常な物理法則に戻って転倒し、代わりにオンディーヌがピタリと静止する。
「む?」
口は開いていないが怪訝そうに言葉を発した彼女は、左手の剣を閃かせようとして右手を空振った。
「やっぱり、そういうことだねぇ」
王虞淵はクラウディアの背後に『目』を開き、オンディーヌ諸共貫くように光線を放った。クラウディアは間一髪でかわし、術から解放されたオンディーヌは避けられないと悟って剣で防ぐ。
「鏡の国のアリス……かな?」
「あーあ、もうバレた。やっぱり私のはわかりやすいよなぁ。まあ、ガブリエラほどじゃないか」
鏡の国のアリス。
イギリスの作家――ルイス・キャロルによって書かれたあまりにも有名な小説だ。『不思議の国のアリス』の続編であり、アリスが鏡の世界に入ってしまう物語である。
クラウディアはその『鏡の向こうにはなにもかもがあべこべの世界がある』という概念を魔術として汲み取り、現実と鏡を更に反転させ、術の対象となった者の行動を『あべこべ』にしたのだ。
走れば止まる。止まれば走る。
喋れば黙る。黙れば喋る。
右手を上げれば左手が下がり、左手を下げれば右手が上がる。
無論、鏡の国のアリスから概念を引用しているのであれば――それだけではないだろう。
「うんうん、厄介だからすぐにでも消えてもらいたいねぇ」
王虞淵は即座に無数の『目』を開き、空中から一斉射撃を開始する。
その直前。
ドォオオン!! と、耳を劈く砲撃の音が大気を激しく振動させた。
爆発したのは、王虞淵の足元。
衝撃が王虞淵の体を殴りつけるように吹き飛ばす。
巻き上がった土煙の先にある無骨な巨影を、『視』えてはいた。しかし対応が遅れた。先程までは存在すらしていなかったはずの、キャタピラで動く移動砲台が、科学の兵器がそこにある。
すなわち、戦車。
砲弾が直撃しなかったのは外したわけではない。殺してはならない――そのルールを守っただけだ。
だが、それは甘い。王虞淵は意識を奪われることもなく、受け身を取って地面を蹴った。
戦車は標的がまだ動くことを認識すると、情けも容赦もなく立て続けに百四十ミリの主砲を撃ち放った。
爆音が連続し、あちこちで大地が空へと噴霧する。
「おいこら眼鏡! 狙うならちゃんと狙え! 俺らに当たるだろうが!」
それは味方にとっても迷惑だったらしい。九十九と対峙していたヘルフリートが堪らず抗議の声を上げた。
『あなたが僕の攻撃で被弾するなんてありえないでしょう?』
戦車から拡声器で増幅された声が響く。
「眼鏡の彼か」
監視はしていたが、クラウディアが厄介だと判断した一瞬だけ解いてしまった。その一瞬で彼は戦車を呼び出し、攻撃に転じたようだ。
王虞淵は『目』を戦車の内部で開く。そこでは眼鏡の男子生徒が操縦桿を握って――はいなかった。
彼は、操縦席で胡坐を組み、瞑想していた。
「フレデリック・ブラウン。メルカバーの使い手だな」
「ミーはともかく、ミーのフレンドの手の内をリークしないでほしいデース!」
静かに呟くディーノに、アレックスの蹴りが炸裂する。鋼鉄の壁すらぶち抜きそうな一撃にディーノの剣が砕け、体はくの字に曲がって吹っ飛んだ。
フレデリックと呼ばれた眼鏡の男子生徒は、戦車の内部では隙だらけだ。が、残念なことに王虞淵は攻撃できない。外から光線を放っても戦車相手には火力不足。〈千里万眼〉はそこまで万能ではないのだ。
『一気に畳みかけます。味方には当てないよう気をつけますが、各自勝手に対応してください』
手を拱いている間に戦車が形を崩し、瞑想するフレデリックを中心に再構成。
戦闘機に変じて空へと飛び上がり、備えられたバルカン砲やミサイルを地上に向けて乱射し始める。
メルカバー――ヘブライ語で『神の戦車』や『天の車』という意味の言葉である。術者が瞑想状態で『神の戦車』に乗り込むことで、直接的に神へと接し、その玉座を囲むベールを突き抜けて最終の地へと達しようとする試みだ。本来は修行に近い用途の魔術だが、『戦車』という攻撃性は戦いにおいて非常に危険で有用だろう。
「ハハッ、これやとホンマに戦争やなぁ!」
開き直ったように笑いながら九十九が王虞淵の隣に降り立った。狐の姿から人間へと戻る。
彼女と戦っていたはずのヘルフリートは、少々急いだ様子でアレックスと共に後方へと下がっている。
その理由は――自明。
雲一つ残らず消し飛んだ青空に、夥しい数の光の文字が刻まれていた。
どこの国の物とも違う、しかしアルファベットにも似た、上空を埋め尽くす記号的な文字は――
「あれは……エノク語!?」
「あかん!? 天使術や!?」
見破るや否や、圧倒的な『白』が全視界を一瞬にして染め上げた。
☆★☆
そんな荒野エリアの戦場から、少し離れたとある場所。
「なんだかさっきから騒がしいですねー」
ドッカンドッカンと、上からけたたましく鳴り響く爆音に、フレリア・ルイ・コンスタンは不快そうに眉を顰めていた。




