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アカシック・アーカイブ  作者: 夙多史
全知の公文書編―Competition
101/159

FILE-99 死の錬金工房

 豪邸の壁をその身で突き破り、ダモン・ダールマンはボーリングの球のように転がって泉に落ちた。

 高々と噴き上がった水飛沫が――バチリ、バチィ、と錬金術の火花を散らす。次の瞬間、ダモンの体中に焼けるような痛みが走った。

 オアシスの水が、一瞬で強力な酸性の液体へと錬成されたのだ。


「ぬぅうううううううううううううッ!?」


 文字通り飛び跳ねて泉から抜け出すダモン。肩で息をし己の体を検分する。防御の術式が込められているはずの祓魔師の服は焼け千切れ、皮膚も爛れて一部溶けている。あと数秒でも脱出が遅ければ命に関わっていた。


「フレリアたぁん、これほどだったなんて……聞いてないんだな」


 もはやよくよく見なくても嫌でも視界に映る。オアシスのあちこちに刻まれたルーン文字がダモンを包囲するように妖しく輝いていた。

 このオアシス全域がフレリア・ルイ・コンスタンの錬金工房だ。この中の全ては彼女の手足と同じ――そう考えるべきだろう。

 逆にオアシスから離れさえすれば、フレリアは大規模な錬成を行えなくなるはずだ。


「ここは一旦退却するんだな」

「ダメですよー。謝るまで逃がしません」


 痛みを堪えて即行動しようとした時、のんびりした声が響くと同時に足元で青白い火花が弾けた。砂が隆起し、鋼鉄の枷となってダモンを拘束する。


「んー? そういえば敵さんなので、謝っても逃がしちゃいけませんねー」


 敵意も殺気も緊張感すらない間の抜けた口調。ダモンの数メートル先で立ち止まったフレリアは、その華奢で可憐な姿にはとても似つかわしくない大鎌を担いでふんわりと微笑んだ。日常で見かけたなら天使のような微笑みだが、その純真無垢さをダモンは悪い意味でしか捉えられない。


 あの大鎌は元々ダモンの祓魔聖具――〈断魔の聖剣(コールブランド)〉だったものだ。それがフレリアに触れることすらできず錬金術の素材にされて奪われてしまった。武器での攻撃が通用しないのならば非常に厄介である。ファリスやベッティーナのような手数があればわからないが、一撃重視のダモンは素手で戦う他なくなる。

 彼女の錬金術が人体にまで及ばないことを祈るしかない。


「アレクなら普段どうするんでしょう? こうですかねー?」


 フレリアは「えいっ」と可愛い掛け声で金属片をダモンの両脇に放り投げた。


「…………は?」


 ダモンは目を瞠った。左右に放たれた金属片が爆発的な火花を迸らせ、周囲の砂を吸い寄せるようにして錬成・巨大化していく。そして数秒後には、巨人が振るいそうな大戦斧を握った、自由の女神像のような青銅でできた美しい腕が生えていた。

 これもゴーレムの一種なのだろうか。青銅の腕にはルーン文字がびっしりと刻まれ、人間の腕と変わらないしなやかさで動き始める。

 それだけで宇宙怪獣と戦えそうな大戦斧が二本、鋼鉄の枷で拘束されたダモンの左右から振り下ろされる。

 ギロチンの処刑台が生易しく見える光景だった。


「む、無茶苦茶なんだな!?」


 数瞬先に『死』を見たダモンは血管が浮かび上がって切れそうなほど全身に力を入れる。まず腕の拘束を引き千切り、振り下ろされた大戦斧の刃を()()()()()

 ダモンの腕には白銀の籠手が装着されていた。ダモンは祓魔師だ。剣一本失っただけで戦えなくなるようなら今回選抜されることはなかっただろう。


「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」


 裂帛の叫び。肩、胴、足と順に鋼鉄の枷が砕かれ、代わりに白銀の全身鎧がダモンを覆った。上級悪魔程度の攻撃であればビクともしないダモンの防衛祓魔術――〈金剛殻(こんごうかく)〉である。魔力により具現化された鎧は肉体の延長のようなもの。いくらフレリアでも錬金術の素材にはできないだろう。


「ぐ……ぬ……ぬ……」


 とてつもない膂力で押し潰しにくる大戦斧にダモンは足を砂に埋めつつ堪える。血が上って顔は真っ赤に染まり、筋繊維がブチブチと切れていく痛みを無視して――


「がぁおらあああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」


 二本の大戦斧をかろうじて後ろへと受け流すことに成功した。大戦斧は背後の地面を砕き割り、夜空に轟々と砂を巻き上げる。

 危うく膝をつきそうになったダモンだが、ここで倒れるわけにはいかない。


「ふ、フレリアたぁんは……『全知書』を、悪魔の書を狙ってる人なんだな。……だ、だから、祓魔師のおいらが負けるわけにはいかないんだな!」

「なんで悪魔の書なんですかー? わたしは悪いことに使うつもりはないですよー?」

「か、過剰な知識は、人の欲望を無制限に強めてしまうんだな。フレリアたぁんが今はそのつもりでも、『全知書』を手に入れた後も同じとは限らないんだな。たとえフレリアたぁんが自制できたとしても、他の人の手に渡る可能性だってあるんだな」

「そうですねー。『賢者の石』の生成法さえわかれば、キョーヤに譲ることになっていますー。その後は管理局がどうするかですが、わたしは興味ないのでどうでもいいです」


 フレリアは心の底からそう考えているようで、本当に自分が求めている知識以外はどうでもいいのだろう。他の知識を誰がなんのために使おうが関係ない。彼女は善でもなければ悪でもない。ただただ自分という世界の中で好き勝手やっている存在だ。


「……やっぱり、フレリアたぁんは危険なんだな。世界を守るために、おいらはなんとしてでもフレリアたぁんを討つんだな」

「世界を守るとか言われたら、わたしが悪者みたいじゃないですかー」


 ぷっくりとほっぺを膨らますフレリア。そんな可愛い仕草には惑わされず、ダモンは悲鳴を上げる体に鞭打って腕を振り被る。


「覚悟してもらうんだな!」


 一撃で十トントラックすら吹き飛ばせる殴撃。だが、フレリアの表情に変化はない。ここまで来るといっそ恐ろしいなにかを感じてしまい、ダモンは彼女を殺してしまうことも覚悟で腕を振るった。

 手応えはなかった。

 気づいた時、ダモンは空中に浮いていた。


「……なっ!?」


 なにが起こったのか? なにをされたのか?

 変な方向に捻じれた腕と、真下で左手をダモンへと伸ばしたポーズをしているフレリアが答えだった。


 ()()()()()()()


 シンプルに言えばそうなるだろう。だが、鎧を纏ったダモンの総重量は三百キログラムを超える。それを片手で、しかも殴りかかってきた腕を鎧ごと捻じ折って、垂直十メートル以上も投げ飛ばせる人間がいるだろうか?

 力のルーン一つ刻んだ程度では……という考えを、ダモンはフレリアの左腕に夥しい数のルーン文字が輝いているのを見て甘過ぎたと悟った。


「なんでそんなにルーンを刻められるんだな!?」


 重力に従い落下を始めたダモンの叫びに対し、フレリアはのんびりと大鎌を振り被りながら――


「うーん? アレクは特殊な肉体ですけどー、わたしはたぶん()()がいいみたいですねー」


 大鎌が地面に叩きつけられる寸前のダモンを打った。まるで素人が野球のバッティングをしたようなスイングだったが、タイミングは完璧だった。切断こそされなかったものの、ダモンの〈金剛殻〉は粉砕され、衝撃が全身を激しくシェイクする。

 垂直に落ちていたダモンの身体は真横に吹っ飛び、酸の泉で二回バウンドして対岸のヤシの木を圧し折った。


「あ、これ返しますねー」


 フレリアが大鎌を投擲する。空中で錬成の光を散らし、大鎌は元の大剣へと戻って地面に半身を埋めたダモンの脇に深々と突き刺さった。

 あと数ミリでもズレていれば串刺しだった


「ごぱっあ」


 吐血する。ここまでされてまだ命どころか意識もある自分の頑丈さにダモンは驚嘆した。だが、流石にもう動けない。痛みすら感じない。全身の骨が砕かれたどころの話ではない気がする。

 放置されれば間違いなく致死だ。


「こ……こ……まで……」


 フレリアは今年の特待生の中で三位だと聞いた。それは戦闘とは関係ないルーン魔術と錬金術が卓越しているからだと思っていた。実際、入試ではそうしたはずだ。

 だが、認識を改める他ない。特に彼女の領域であるこの『錬金工房』においては、幽崎・F・クリストファーやファリス・カーラ、手を抜いて五位に甘んじた黒羽恭弥などよりよっぽどの脅威である。


「ど、どうしましょう。もしかして、ちょっとやり過ぎちゃいました。ううぅ、アレクに怒られてしまいます」


 追撃のためか泉を迂回して駆け寄ってきたフレリアは、瀕死のダモンを見てようやく慌てた表情を見せてくれた。あれだけのことをやっておいて『やり過ぎない』と思っていたらしい彼女の神経が信じられない。


「おいらが……死ねば……フレリアたぁんたちはごふっ……し、失格なん……だな」


 ファリス・カーラが最も危惧していたチームの敗退だ。ダモンの死は無駄にはならなくなる。死に方を選べる身ではないとはいえ、そこは祓魔師として悪魔との戦いの中で命を散らしたかったダモンである。


「それは困ります」


 と、今までどこかふにゃっと気の抜けたような表情をしていたフレリアが、急に凛々しい顔つきになった気がした。


「わたしのミスでチームを失格にするわけにはいきません。もう少し頑張ってください」


 そう言うとフレリアはダモンに背を見せて豪邸の方へと駆けていった。

 数分後、急いで戻ってきたフレリアの腕には一つのガラスケースが抱かれていた。ケースの中身は青色の溶液と、ルーン文字の刻まれた赤子ほどの大きさの――人間の片足。


「な、なにを……」


 ダモンの理性は今すぐ自害すべきだと訴えている。だが、そんな余力などなく、なにより本能が助かる可能性の光を掴もうとしていた。


「動けないと思いますが、じっとしていてくださいねー」


 フレリアはケースから足を取り出し、ダモンの腹の上に乗せる。すると足が白い光に包まれ、まるでリボンが解けていくかのように分解していく。

 光はダモンの全身を包み、やがて、傷の大部分が癒されていくのを感じ取った。


「足一本じゃ足りない……? えー、わたしそんなに強く叩いていませんよー。やっぱり加減って難しいです。う~、困りました。一本しか持って来られませんでしたし、アレクが来れないとストックが……」


 なんか眉をハの字にした困り顔であたふたするフレリアに、ダモンはなんかどうでもよくなって小さく息を吐いた。


「……フレリアたぁんは、もう戦わない方がいいんだな。敵として言ってるわけじゃなく」

「仕方ない時は仕方ないんですよー」


 不満そうに唇を尖らせるその様子は、自分の欠点を一応は把握している顔だった。


「おいらの負けなんだな」


 ダモンはかろうじて動くようになった片腕でズタボロになった服を漁り、自分に配布された魔力結晶を取り出した。


「だけど、これは渡せないんだな」


 告げるや、ダモンはその魔力結晶を握り潰した。所有権のある魔力結晶が全て消滅すると失格。自分で砕けばリタイアを意味する。彼女の頭からはすっぽ抜けていそうだが、むざむざ奪われてしまうよりマシだ。

 この場合、三分の猶予などはない。即座に転送が始まる。


「ああっ!?」


 今思い出したようにフレリアは悲鳴を上げた。せめてもの抵抗に『してやったり』とニヤケるダモンだったが――


「消える前に、わたしのケーキを台無しにしたことを謝ってくださいー!」

「ええっ!?」


 全く見当違いの発言に拍子抜けしたまま都市に帰還する羽目となってしまった。


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