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第94話 虎と小型犬 Ⅱ

「結婚ねぇ。お前、ガキのくせにそんな事まで考えてんのか」


 あ。やべ、つい結婚って単語を出してしまった。俺が焦っていると


「だが、お前の願いは叶わねぇぞ」


 と優馬がぼそりと言った。


「それは彼女の気持ち次第でしょう。貴方が決める事ではないと思いますが」


「いや、そっちは問題じゃねぇんだよ。決めるのは俺達の親父だ」


 親父? あのクソ親父が?


「親父はな……将来、由姫をアリスコアの次期社長と結婚させるつもりだ」


「は?」


 その情報は初耳だった。

 未来の由姫もそんな事、一言も……


「お、知らねぇって面だな。安心したぜ。お前でも知らねぇことはあるんだな」


 優馬は俺の肩をポンと叩くと、耳元で囁いた。


「アイツは由姫を餌にして、社内の幹部達を競わせてんのさ」


「競わせる?」


「うちの幹部はほぼ全員、独身で仕事に命を賭けてきたタイプだ。そんな奴らに、社長令嬢、しかもとびきり可愛く若い娘が一緒に手に入る権利をちらつかせてみろ。馬車馬のように働くだろうさ」


「な、なんだそれ。由姫はその事を知ってるのか?」


「さぁな? だが、薄々感づいてはいるんじゃないか?」


 俺が敬語を忘れるほど動揺したのが面白かったのか、優馬はくくくと笑うと


「つーわけだ。親父はお前との結婚はおろか、交際も許さないだろうな。果物に虫がついたら価値が落ちるからな」


「…………………………」


 そうか。未来で、資金援助の対価として彼女を差し出してきたのは、会社の経営が傾いたからだ。


 それまでの間は、会社の中で飼い殺し、幹部達の餌として働いていたのだ。


 いったいどんな気持ちで……。


「あのクソ野郎……」


 俺は拳を握りしめた。今すぐにでも、由姫の父親を殴りに行きたかった。


「クソ野郎ってのは同意だ。俺も親父の事は嫌いだからな」


 優馬は頭をばりばり掻くと


「ん……待てよ……」


 と、急になにやら考え始めた。


「そうか……生徒会長になりたがってるのは、そのへんが絡んでんのかもな」


「どういうことです?」


「単純な話だ。結婚相手はアリスコアの次期社長。なら、自分が社長になってしまえば、結婚もしなくて済む」


「っ………………」


 点と点が繋がる感じがした。あくまで勝手な想像だが、彼女の性格を考えると合っている気がする。


「そのための生徒会長とOB会へのコネクションって事ですか」


「だな。まぁ、生徒会長になったくらいで、親父がそれを許可するとは思えねぇが」


 同感だ。俺もあの昭和脳のクソ親父が、由姫を社長にさせるとは思えない。

 勉強に集中させるための嘘だろう。


「何度も聞きますけど、貴方がアリスコアを継ぐっていうのはナシですか?」


「たしかに、そうなりゃ由姫は解放されるな。だが、天地がひっくり返ってもありえねぇよ」


 だよな。前にも同じ質問をしたが、その時と同じ返答が帰ってきた。


「色々情報ありがとうございました」


 俺が小さく会釈して、帰ろうとしていると


「おい。ちょっと待て」


 と優馬に呼び止められた。


 優馬は制服の胸ポケットから一枚の紙を取り出すと、それを俺に渡してきた。


『有栖川優馬』


 名前と携帯電話の番号とメールアドレスが書かれているだけの簡易的な名刺だった。


 恐らく、ナンパの為に使っているのだろう。


「俺の連絡先だ。次からはここに来るんじゃなく、そっちに連絡しろ。二度と俺のサボりの邪魔をするんじゃねぇぞ」


 やっぱりサボってんじゃねぇか。


「どういう風の吹き回しです? 貴方は俺の事が嫌いなのでは?」


「俺は人付き合いは好き嫌いでやらねぇよ。有能か無能かで判断する」


 優馬はそう言うと、昼寝を再開すべく、給水塔の梯子を登り始めた。


「まぁ、せいぜい頑張れ。俺はお前が藻掻いてる様を見て、楽しむとするさ」


 給水塔に座ると、彼は俺に背中を向けながら、小さく手を振った。


「お前があと二年早くこの学校に入って来ていたら、こんな退屈な生活、送らずに済んだのにな」


と呟いて。


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